115.マーダードールベアーズアトラクション(1)
階層主の部屋の前に到達した俺たちは、軽く打ち合わせてから扉を開けた。
広い部屋の中央に、つぎはぎと縫合痕のあるカラフルな巨大熊のぬいぐるみが立っている。前回ヤス君が一人で仕留めた四十階層の主だ。
「ようこそ。僕はこのフロアのボス。マーダードールベアだよ。よろしくね」
一度見たことのある、身振り手振りを加えての自己紹介が始まる。
「これからちょっとだけ、僕のお話を聞いてもらいたいんだ。どうしてかというとね、このフロアは他のフロアと違って、特殊なルールがあるんだよ」
「前回はここでサクちゃんがドメスティックにバイオレンスしたんだよね」
「いや家庭内暴力じゃないだろ。俺はあいつの旦那じゃないぞ」
シッ! と口の前に人差し指を立てたフィルに叱られ俺たちは黙る。マーダードールベアは戯けた素振りで説明を続ける。
「どんなルールかって? それはね、僕に攻撃をしないことなんだ。もしそれを破ると、気の毒な女性たちの鬱憤と怨念が僕に取り憑いて大変なことになっちゃうから、絶対に攻撃はしないようにしてね」
俺は隣りにいるサクちゃんをじっと見る。サクちゃんは静かに俺の視線から顔を背けた。
だが反対側にいるフィルからも俺と似た視線をぶつけられていることに気づき、ビクリと肩を跳ねさせた後で正面を向いた。
「そのルールさえ守ってくれれば、この階層は戦わなくてもクリアできるんだ。戦う代わりに、アトラクションはクリアしてもらわないといけないんだけどね」
マーダードールベアが何もない壁に手を向ける。すると両開きの大きな赤い扉が出現した。地鳴りのような音をたてながら、扉がゆっくりと開いていく。
「あの扉の向こうがアトラクションルームになってるよ。チャレンジは一人ずつにしてね。もし破った場合は僕が君たちを死ぬまで引きずり回しちゃうよ。楽しいね。扉は開けっ放しにしておくから、無理だと思ったら戻っておいで。そのときも僕が殺してあげるから。それはそれで楽しいと思うんだ。それじゃあ頑張ってねー」
マーダードールベアが手を振る。物騒な物言いとは裏腹に愛嬌たっぷりに。
やっと説明が終わったか。とアトラクションルームに足を運ぼうとしたとき、サクちゃんが腕組みし、首を傾げて口を開いた。
「なぁ、アトラクションクリアでドロップアイテムって取れるのか?」
思いもよらぬ発言に、体が硬直する。フィルも気づいていなかったようで踏み出した足を一歩で止めた。
「た、確かに、言われてみればそうだね。でも、ここまで話を聞いちゃったし、一回だけでもチャレンジしてみない?」
「ぼ、僕も賛成。どっちが楽かを比べられるし、ドロップアイテムも取れるかもしれないからね。検証は必要だと思うよ」
サクちゃんは「それもそうだな」と言ってアトラクションルームに向かった。俺とフィルは顔を見合わせて苦笑しつつその後を追った。
アトラクションルームは綺麗に刈り揃えられた芝生の上にあった。ファーストステージとこちらの文字で大きく看板に書いてある。
書体が丸みを帯びていて可愛らしいが、その先でアトラクションの手本を示す小型のマーダードールベアは大変な目に遭っていた。
「これ、結構キツくない?」
フィルの言葉に、俺とサクちゃんが首肯する。ファーストステージは幅の狭い平坦な橋の走破でクリア。下は泡立つ紫色の沼。おそらく毒。まさか炭酸入りのグレープジュースではないだろう。チョコレート工場じゃあるまいし。
スタート地点にあるスイッチを押すとゴール地点の扉が開く。その扉はゆっくりと閉じていき、十秒ほどで完全に閉まる。距離は五十メートル程度だが、途中で鉄球の振り子が二つ揺れている。
手本を見せている小型のマーダードールベアは鉄球にふっ飛ばされたり、ゴール地点の扉に頭をむぎゅっと挟まれたりしてはトテトテとスタート地点に戻っている。
「隙間を見る限り、俺とユーゴの体格だと五秒が限界だろうな」
「だね。段々閉じていくってのが厄介。まぁ、俺は高速移動があるからまったく問題ないんだけども。心配なのはフィルだよね」
「うーん、なんとか頑張ってみるよ」
最初の挑戦者は俺とサブロ。【浮遊】を使い、スイッチを押した直後から風術推進で高速移動。鉄球も躱して約二秒で扉を通過した。
二番手はサクちゃん。こちらはスイッチを押してから全力疾走。二つ目の鉄球とのタイミングが合わず衝突したが、その瞬間に両手で鉄球を押さえ、金属製の吊紐の横を滑るように乗り越えて四秒でゴール。
最後はフィル。スイッチを押してからの全力疾走はサクちゃんと同じだが、歩幅が狭い。体格十歳にしては驚異的なスピードだと思う。そして走り方が乙女。そっちの方が気になって集中できなくなりそうな自分を必死に抑える。頑張れフィル。
振り子とのタイミングは合っているのだが、間に合うかどうかの瀬戸際。
六秒経過時点で、かなり狭くなったゴールの扉に飛び込もうとする。
それは無理だろ!
「フィル!」
首を扉に挟まれでもしたら骨折どころか切断の可能性もある。俺は心臓が締めつけられたようになり、思わず叫んでいた。
だが――俺の不安をフィルはすぐに打ち消した。
空中で体を九十度回転させ、一気に加速。扉の隙間をするりと抜けた。体の横に添えた手から風を起こして向きの調整。推進力をつけていたのも分かった。
飛び込んできたフィルをサクちゃんが慌てて抱き止める。
「うおー、危なかったな。冷や汗もんだぞ」
フィルが礼を言って地面に立ち「ふぅー」と深く息を吐いて額の汗を拭う。
「ギリギリだったけど、ユーゴの真似をしてなんとかなったよ」
「なんとかなって良かったよ。はぁ、心臓に悪い」
俺は胸に手を当て安堵の息を吐く。あと何回こんなヒヤヒヤ展開が待っているのかと、既にげんなりし始めていた。




