106.冒険者ギルド立てこもり事件(2)
だが、俺は心配が杞憂に過ぎなかったと思い知ることになった。安っぽい銃声のような破裂音が響いたかと思うと、火球が消滅してしまったのだ。
ルードは虫を追い払うように片手の甲で払っただけ。しかもゆっくり。
俺は呆気にとられて声も出せなかった。あんなものを、ただ手の甲で撫で払っただけで無力化してしまうのは異常だ。あまりに格が違いすぎる。
「びっくりするよね。僕も最初に見たときは驚いた」
「最初って、もしかして、ああいうこと何回もやってんの⁉」
「これで六回、いや七回目だな」
「七回も⁉」
耳を疑った。俺は驚きのあまり、思わずサクちゃんに顔を向け聞き直していた。するとサクちゃんは顎に手を遣って首を傾げ「うーん」と眉根を寄せて唸った。
「やっぱり六回だったかな」
「あ、うん、それはどっちでもいいよ」
難しい顔をして何を言うのかと思ったらズレていた。
六回だろうが七回だろうが驚愕したことに違いはない。悩んでまで回数を律儀に伝えようとしなくても良い。そんなところに正確さは求めてないんだ俺は。
「悪い。やっぱり七回だった」
フィルがブフォッと噴き出して「こだわり過ぎだろ!」と笑い、サクちゃんが何笑ってんだお前と言いたげな顔をする。無自覚の恐怖ここに極まる。
「七回ね、ありがとう。それで、あの異常な火球を撃ってきた敵は誰?」
「チエっす。俺たちがこうして手をこまねいてるのは人質がいるからなんすよ」
ルードがギルマスを殴った後、チエは腰を抜かして失禁したそうだ。
「俺らの憐れんだような目が気に食わんかったのか癇癪を起こしてな。ぶっ殺すだの、見てんじゃねぇだの、喚き散らして手近にあった物を投げてきたんだ」
「ルードはカウンターを飛び越えてギルマスを肩に担ぎ上げたんだけど、それがまた平然としてたんだよ。チエなんか眼中にない感じっていうか」
「ああ、完全に無視してたな。ギルマスの安否を気にしてる様子だった。『やりすぎた。回復術は使えますか?』って訊いてきたからな」
「それがチエの感情を逆撫でしたんすよ。で、トドメが『お漏らしか、恥ずかしいな』って微笑んでチエに言ったことっすね」
チエは激昂し、ルードの背中に向かってあの火球を放った。
片手は半月斧、片手は肩に担いだギルマスに添えていた為、ルードは両手が塞がっていた。それでも避けることはできたのだろうが、敢えて受けたのだという。
ギルマスは疎か、射線にいる皆を庇う為に。
「それでルードが吹き飛ばされて、皆は巻き込まれるような形で、外に放り出されたってことか。なるほど、だから出入口が木っ端微塵になってたんだ」
「いや、あれは皆で壊した。そのままぶつかったら死ぬと思って」
「フィル君以外は装備なしっすからね。咄嗟の判断っす」
「僕だってぶつかりたくなかったからね。頑丈そうだし、絶対怪我するもん」
吹き飛ばされながらも総攻撃して扉を破壊した模様。弁償しろとかは、流石に言われないだろう。もし言ってきたら全力で反駁しよう。職員が原因ですって。
「ところでさ、人質は他の職員と中に残ってた冒険者なんだよね? ここからもチラホラ見えるけど、あれ、普通に逃げれるんじゃないの?」
無理っすね、とヤス君が肩を竦める。
「チエは既に三人殺してます。見せしめっすよ。標的にされたのは出入口近くにいた新米冒険者っす。逃げ出そうとして火球に飲まれたんす」
「それも、その時点では殺してない。大火傷をさせて死ぬまで放置だ。俺たちと同じで、発動領域を無視できるようだ。視界にいる者はすべて標的になってる」
「あ、そうだ。言い忘れてたけどモンテさんもいるよ。チエの手伝いをしてる」
中の様子を見るが、チエもモンテさんも見当たらない。カウンターの向こうに隠れているのだろう。その状態で攻撃してこれるということは、探知が使えるということか。敵対して初めて分かった。渡り人は本当に厄介な相手だ。
「モンテさんは、何か弱みを握られてるんだろうね。でもそれが何であろうと共犯であることに違いはないから、罪は償ってもらわないとね。で、話を戻して悪いけどさ、その新米冒険者って《箱庭》と回復術でどうにかできなかったの?」
「大火傷した人を四五メートル下に落下ってのは鬼畜の所業っすよ」
「じゃあ、ヤス君が《箱庭》に入って近づいて、素早く中に引き込むとか」
「さっきも言ったが、全員標的で下手に動けん。ヤスヒトも似たようなことを考えたが、そのときに三人は焼き尽くされたんだ。遺体が見当たらんだろ」
確かに、どこにも遺体はない。影も形もないということは、相当な火力があるということだろう。その上で全員標的というのは反則ではなかろうか。
「八方塞がりって感じか。それで膠着状態になってる訳ね」
「転移が潰されたところで詰みなんすけどね。チエが無駄に粘ってるんすよ」
「何か狙いでもあるのかと思ったんだけど、そうでもないみたいなんだよね」
「どういうこと?」
「チエには不解爆呪がかけられてる。ユーゴが来る随分前に、いつでも自爆できるって騒いでたんだ。狙いも何も、ヤケクソになってるようにしか見えん」
サクちゃんに言われて初めて、不解爆呪が自爆することにも使えるという事実に気づく。心臓が縮み、冷たい血液が胸の周囲に渡るのを感じる。
胸糞悪い。命を何だと思ってるんだ。
「一応、確認だけど、嘘じゃないんだよね?」
「『害悪露呈』を使える距離じゃないですし、勘でしかないですけど、あれはただの脅しって感じじゃなかったっすね。嫌な気配がしました」
「そっかー。ヤス君が言うなら間違いないねー」
せめて、チエが隠れている向こう側の状況が分かれば……。
打開策を求め、カウンターを見つめてそう思う。
すると不意に目の前の景色が変わった。
膝立ちの状態で、チエがモンテさんを靴で殴り続けている。モンテさんは既に意識を失っているようで、カウンターを背にぐったりとしている。
チエはそれでも殴るのを止めず、顔と服には返り血を浴びている。歯噛みして、憤激で歪んだ表情を浮かべ、ごねたような喋り方でヒステリックに叫ぶ。
ここは私の世界のはずでしょ⁉ なんであんな奴らがいるのよ⁉ 上も上よ! 役に立たない奴ばっかり寄越して、だからこんなことになってるんじゃない!
ああもう、グズばっかりいてイライラする! 私はちゃんとやってるのに! なんにも悪くないのに! だって選ばれた存在よ⁉ 主人公よ⁉
異世界転移した勇者様なのよ! その辺のゴミ共とは違うのよ! それが、こんな汚らわしい動物なんかと! なんで一緒に働かなきゃいけないのよ!
チエはそう吐き捨てた後で、こちらに顔を向けて言った。
おいそこの猫! こいつの耳を切り落として食べなさい!
餌の時間よ!
俺はかぶりを振って我に返った。目眩がするほどの酷い悪寒と吐き気。脱力するような恐怖心が汗を噴き出させる。
精神感応か……。
おそらく今のは、誰かに自分の置かれている状況を伝えたいと、強く念じた猫人の職員から見た映像だろう。
カウンター向こうの状況を知りたいと思った俺との思惑が合致したことで、精神感応が反応したのだと思う。
お陰でチエの異常性が良く分かった。ああいう風になるように洗脳されたのか、元々ああいう気質を備えていたから乗せられてしまったのか。
いずれにせよ、あれはもう駄目だ。理由はどうあれ手遅れ。反省していますと言って許されるものではないし、何より危険。
精神感応はタイムラグがある。あれはいつの映像なのだろうか。早く対処しなければ、犠牲者が増えていく一方な気がする。
ヤス君がふざけたことを言っている間も目が笑っていなかったのは、探知である程度の状況を把握していたからだったようだ。今も事件を解決する為に、延々と思考を巡らせているのだろう。
だが、そこにはある選択肢が欠けている。だから踏み込めないでいるのだと覚る。




