10.五十六の名言と希望ある推測で迎える幸せな朝(1)
日本では、風呂で溺れて死ぬ事故は結構多いらしい。浴槽内溺水と呼ぶそうで、推定では年間二万人近くが亡くなっているのだとか。冬場から春先に掛けては特に注意が必要とのこと。つい今しがたマツバラさんから聞いた話である。
「マジ焦りましたよ」
「面目ない」
「いえ、大事なくてよかったです」
不覚にも、入浴中に居眠りをしてしまった。文字通り、湯の心地よさに沈んだという訳だ。側にいた二人が異変に気づき、すぐに引き上げてくれたお陰で事なきを得たが、こうして寝床に入ってからも話題にするのは少々引っ張りすぎではないかと密かに思う。
ちょっとした事故はあったが入浴を終えた俺たちは、与えられた部屋で早々に床に就いた。旅館のように部屋に入った時点で布団が用意されていたが、それは今晩のみのことらしく、明日からは自分たちでやってくれとのことだった。
「見ての通り俺たちもいい歳なんで、ここまでお気遣いしてもらわなくてもよかったですよ。布団を敷くくらいならできますし。何から何まで申し訳ないので」
「皆さん親切ですので、こうすることで気を遣わせてしまうのは分かっているのですが、イノリノミヤ神教の教えで『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ』というものもありますので、寝具の場所と扱い方の説明まではこちらもせざるを得ないんです。それに、皆さんの世界とは勝手が違うこともあるでしょうから」
というのが、俺たちが床に就く前、案内役のスミレと苦笑しながらした会話。確かに彼女の言うとおり、寝具一つとっても、いつどこで洗うのか、干すのか、また洗い方や干し方など、いざ説明が始まってみれば質問もかなり出た。
後々スミレを煩わせることのないようにという思いから真面目に取り組んだが、そう思っていたのは俺一人だけでなかったようで、カタセ君もマツバラさんも積極的に質疑応答に参加し、話し合い、最後には役割分担まで行った。
役割分担は、カタセ君とマツバラさんがほぼ同時に提案したことだった。俺が料理を担当することになったのが理由らしい。
「食事の後の洗い物とか洗濯は、水属性持ちの俺がやった方がいいですよね」
「じゃあ、俺は掃除と洗濯物の取り込みを担当します。他にもできることがあれば声を掛けてください。何でもしますんで」
二人とも気のいい若者だよなぁ。ただあれは山本五十六の名言だったよなぁ。
カタセ君がいまだに続けているヒノキ風呂溺水事件の話を右から左に聞き流しながら、俺はそんなことを思って小首を傾げていた。それもこれも、俺とカタセ君が川の字の両端にいるからできることだ。真ん中がカタセ君だったら、察しのいい彼のことだから、聞いていないと一発でバレて叱られただろう。
「カタセさん、その辺で。ほら、カガミさんはもう聞いてませんから」
マツバラさん⁉
まさかの伏兵による襲撃。慌てて「聞いてる、聞いてるよ!」と必死にアピールしたのだが、どうもそれが疚しいことを抱えているように映ったらしく、俺は二人から細く狭められた疑いの目を向けられた挙げ句に「じゃあ、俺が最後に話した内容言えます?」と質問を投げられ敢えなく撃沈した。
「ごめん、聞いてなかった」
「いや、別にいいんですけどね。大した話もしてなかったんで。ただ嘘は駄目っすよ。今は一番若くなっちゃいましたけど、中身は最年長なんすからね」
「面目次第もございません」
謝罪後、静寂。
妙な空気が流れ、俺は不意に笑いそうになった。何この空気、という心のうちで自分でツッコんで窮地に陥るアレだ。別に笑ってもいいのだが、何故か無駄に我慢してしまう謎の耐久時間が始まる。
少しの沈黙の後、カタセ君が噴き出したのを切っ掛けに皆で笑う。
この大人たちは本当にどうしようもないよね。
「いやー、まぁ、ふざけるのはこのくらいにして、ちょっといいっすかね?」
一頻り笑った後で、カタセ君が言った。
「うん、何?」
「あー、なんていうかっすね、その、思ったんすけど、この世界、じゃなくて、えーっと、この家とか、この辺の国とか、宗教も、どうも引っ掛かってるんすよ。色々と説明してもらったじゃないですか? それがなんか、俺の中にある情報と繋がっていくっていうか」
俺はうんうんと相槌を打つことに徹することを決めた。この声の調子だと、カタセ君なりの鋭い推測が始まると予感したからだ。
そしてその予感は的中した。だが、まさか俺だけでなくマツバラさんまで跳ね起きるほどの話が飛び出すとは思ってもみなかった。




