3話 瀕死の中年男が倒れた夜は
3話になりました。
主人公の暮らし向きは暗く、逆境は命運を削っていきます。
多分、この物語で一番の鬱パートになります。
神の夢を見た数日後。
その日、体の不調で来栖川慶太は自宅で寝入っていたが、空腹を覚え目をさました。
もう夕方だ。
なぜこんな時間まで眠ってしまったんだろうと思った。
起きようとして一度よろける。
40歳で足腰が弱るのは早いよな、と思いながら布団から出て押し入れにしまう。
ここは安アパートの2階。
物は少なく、あるのは今しまった押入れの布団と小さな机、タンスはない。
申し訳程度のカバーが付いたハンガーラックには、会社勤めのための背広上下とワイシャツが2枚、普段用の私服はズボンが2本、ほつれかけたセーターと擦り切れたシャツ。
夜になるにはまだ少し時間があるが、陽当たりが良くないこの部屋ではもう電灯が必要な時刻だ。
机の上には2通の封書があり、スマホにはメールの着信がある。
どちらもいい知らせではない。
封書の1通目は会社からの解雇通知。
その会社は、Seek Future Energy Holdings Co, Ltd. という。略称は SFEH。
この名前ばかりかっこいい会社も、元は福地光運営株式会社という太陽光パネルの零細設置業者だった。
これを社長の福地が、仕入先の太陽光パネル製作元や風力発電など売れない次世代エネルギーの各社を抱き込んで作ったのが、SFEHである。
資産は立ち上げ時に銀行に頼み込み各社に振り分けて大きく見せているが、それぞの従業員のいる会社は決して大きくない。
結局は、『大手にはなれなくとも意見を言えるようにしたい。弱いものがまとまって大手にいいようにされたくない』という共通の悩みを福地に突かれ、抱き込まれた零細企業の集まりである。
それが、ひょんなことから世間の注目を集めたまでは良いものの、この会社には実際には評判に応えるだけの実力がなかった。
詰め込み式で社員を叱咤激励して研究開発を進めたはいいが、研究員はともかく営業にはそこまで専門的な知識がなかったのである。
そしてある日、大事な得意先で新人が大きなミスをした。
慶太はその新人のミスを庇って上司の逆鱗に触れ、解雇になったのである。
立派な不当解雇なのだが、この来栖川慶太という男が訴えることはないだろう。
少なからずショックな出来事にも、この男は外から見た目には大きな落胆を見せていない。
「まあ、運がなかったな。仕事は明日から探すとしてとりあえず、メシは……と、お米が切れてるか」
突っかけを履いて、近所に買い物に行った。
行き先は近所のスーパー。
黒ずんで見えない文字もある古い看板のこの店は、意外にも評判が良い。
安くて新鮮な野菜と大盛りのお惣菜がこの近所では重宝がられているからだ。
叩き上げの店長が、近郊の農家をまわり、大手では扱わない規格外の不恰好な野菜、大きさの不揃いな果物を仕入れている。
惣菜も崩れかけだが食べるのには問題がない野菜を長年パートで雇っているおばちゃん達が、昔ながらの作り方で料理したものだ。
「慶太さん、買い物ですか?」
顔見知りの店員が声をかけてきた。
大通りには大きな店があり、そちらはいつも混んでいる。
それに引き換えこちらは、店員が仕事の途中で声をかけてくる余裕があるぐらいなので、評判が良いとは言っても商売的にはお察しのレベルだ。
「ああ、マキちゃん。ちょっとお米と今晩のおかずを買いにきたんだ」
「珍しいですね。いつも自炊の慶太さんが」
「いや、まあ、ちょっとね」
苦笑いを返す慶太。
だが、精彩がない様子がわかる。
「何だか疲れてるみたい」
「まあ、ちょっとね。仕事でちょっとしくじってしまってね」
ちょっとどころではない。
クビになってしまったのだから。
「あの会社は仕事大変よね? 大丈夫?」
この店員。篠原まき32歳。
離婚して子供を育てながらこのスーパーで働いている。
実家からは帰ってこいと言われているが、転校を嫌がる小学生の子供のために、この町に止まることにしている。
一応、実家はシングルマザーである彼女が心配でお金を送ってくれているらしい。
本人はそれに甘えるのが嫌で手をつけないようにしたいのだが、現実には難しい。
慶太はそのことを知っている。
篠原まきは、結婚した相手ともども会社の元同僚であったからだ。
彼女を捨てた元同僚は、大手取引先の顧客の娘と不倫の中になり会社を辞めた。
その後離婚したが、玉の輿に乗った元同僚がその後どうしたかは知らない。
「ええ、大丈夫です。また、明日からまた頑張りますよ」
慶太は彼女のことを気遣っている。
気遣っているから自分の心配ごとは話さない。
だが流石に、会社を首になって落ち込んでいるのを隠して、心配をかけないように話すのは一苦労だ。
適当な会話が一段落すると、当座間に合うように米を2kg買い安売りのおかずを買った後は、軽く会釈をしてアパートに帰った。
それを心配そうに篠原まきは見送っていた。
「慶太さん、心配ね。しくじったと言っていたけれど、また誰かの失敗を庇ったんじゃないかしら」
まきはそう独りごちたが、始まった特売タイムに忙殺されていった。
これが、慶太にあうのが最後になるとも知らずに。
買い物から帰った慶太は米を炊き、買ってきたおかずで簡単な夕食を済ますと机の上に乗っている2通目の封書を開けた。
差出人は実家のある田舎の不動産屋からだった。
両親の住んでいる家のローンが払われていないので、その代金を立て替えろと言っている。
その額が3,000万円。
これもどう考えてもおかしい。
あの家がローンであったはずがない。
借金自体が架空のものか、それとも両親が騙されたのか。
考えなければいけないが、誰に相談すれば良いかもわからない。
とりあえずはどうにもならない。
気が進まないが、後で実家に電話をしてみよう。
最後にスマホを見てみる。
メール着信を開けてみるとさほど親しくない知人の借りた金の連帯保証人としての返済請求のメールだ。
金額は大したことはないが、これを払うと当座の生活資金がなくなる。
まずは借金した当人に電話をかけたが、どうやらすでに解約されているようだ。
使われていない、と告げる携帯電話。
SNSのグループ通知が一つ。
開けてみると昔慶太が大学で友人に焚きつけられ、流れで告白させられてフられた時の女が結婚したそうだ。
二次会で慶太が昔告白してきたことを笑い話にしていたとわざわざ書き込んでいる。
物笑いの種になっているわけだが、なるべく気にもしないようにしていた。
心がなるべく削られないように。
そんな悪い知らせばかりを表示したスマホは、充電が切れたらしくパタっと消えた。
「僕の人生。何が悪かったんだろうねー。まあ、考えても仕方がないか」
そうつぶやいた彼は、立ち上がろうとしてよろけて倒れ、気を失った。
彼は流石に落ち込んではいるものの体を病んでいるわけではない。
借金は不当な物でありきちんと訴えれば払う義務もないものであった。
確かにどん底ではあるが、仕事を探して地道に借金を返し立ち直れば正常な生活に戻れるはず。
人生なんてものは元々うまくいかないことも多い。
そう思っていた。
いつも通り、そう思い込もうとしていた。
しかし、限界だった。
だが、この男の背負っている不運はいささか酷すぎた。
それも人ならざる者による数奇な運命による過酷な人生を背負わされていた。
高校・大学受験や入社、出世のかかる仕事、異性への告白など人生の大事な瞬間に何故か自分を失った。
わけがわからないまま、その節目節目で全てに失敗してきた。
彼はそれを自分の力のなさだったりたまたま運の悪さだったり自分の魅力のなさだと思っており諦めと共に受け入れていた。
だが、この男の人生はあまりにも多くの不幸に彩られている。
その不幸と不運に削られた人生が限界を迎えればどうなるか?
来栖川慶太の健康状態は、良くはないが特に病気をしているわけではない。
来栖川慶太の精神状態は、自らを偽っているので最悪ではあるが平静である。
しかし、それなら人が生きていくのに必要なもの。
心の奥底にある魂が傷ついていたら。
人間の根源が摩耗していたら。
その一つ一つ、魂と命の持つ運勢。
それが命運だ。
命運が尽きれば人は死ぬ。
姉の死以降は、その後の自分の人生をおまけか何かのように感じ、自らを偽るためにその事情を知る田舎を捨て東京に上京した。
その全てが命を削る行為であり、生きていく代償であった。
そして、今また会社から不当に解雇され、アパートで実家に膨大な借金があることを通知された。
理不尽ではあったが、いつもの事として心の表面上は納得しているつもりだったが、心の奥底に蓄積されていた気力の摩耗や人間の根源にある運気、つまり命運はすでに尽きていたのである。
このままでは慶太は死ぬだろう。
慶太には親しい友人はいない。
そう仕向けてきたからだ。
本当は気遣ってくれる人はいたはずなのに。
慶太から心を開けば心通じる人はいたはずなのに。
誰もこのアパートには来ない。
会社の同僚や近所の人やアパートの管理人もこの部屋に近づくことはない。
しかし、神だけはこの部屋を見ていたのである。
アパートで一人暮らしのサラリーマン。
首になってしまったので元サラリーマンですが。
悪い知らせの連続にめげてはいても、やるべきことはやろうとするのは案外強いのかも知れない……
それでも死んでしまっては元も子もありませんね。
しかし、これほど酷い慶太の人生ですが、今後は好転します。
気に入っていただけたなら、ブックマークと評価ポイント★を入れていただけると励みになります。