後悔
ランスフォードホテルの風呂は屋上にあった。
プレミアムスイートを利用中の客だけが使える貸し切りの露天風呂である。
いやあ、絶景絶景。
この景色を眺めながらの風呂は最高だね。
肩まで浸かるとお湯の中に疲れが溶けだしていくようだ。
極楽である。
ドラファルさんはワイングラス片手にくつろいでいた。
いつの間に。
そういえばオプションにそんなサービスがあったっけ。
ずいぶん美味そうに飲むなあ。
食事の前だけど、俺もちょっと飲んじゃおうかな。
チェックインの際に貰った腕輪型の魔道具でフロントに連絡する。
10秒もしないうちにホテルのコンシュルジュがやってきた。
ハッキリした顔立ちの美しい女性だった。
高級ホテルともなるとやはり顔採用とかあるのだろうか?
そういえばウチのホテルスタッフも美人や男前ばっかりだったな。
人事に関与していないのでそのへんのところはよくわからないけど。
ちょっと際どい制服は無視して、俺もドラファルさんと同じ銘柄のワインを注文する。
山の向こうに燃えるような橙の夕日が沈んでいく。
湖が夕日を反射してきらきらと輝いている。
こうした自然の美しさを眺めていると、どうしてこうも心癒されるのであろうか。
「ふぉっふぉっふぉ。
実に美しい。
どれだけ長く生きていても雄大なる自然の景色にはいつも心を奪われてしまいます」
「俺もそう思うよ。
商会のみんなにも見せてあげたいもんだよ。
そうだ。
屋敷に戻ったら次は社員旅行しようか」
「それはいいですな。
みな喜ぶと思いますぞ。
しかし、幹部全員が持ち場を離れるとなりますといろいろと問題が出てきそうですな」
「まあ、そこはなんとか対応をするしかないね。
いまのうちに考えておかないと」
「彼らの穴を埋めるのは大変ですぞ。
なにせとびきりの人材ばかりですからな」
「そうだなあ。
ほんと立派にやってくれているよ。
みんな最初は右も左もわからない状態だったのにな」
「努力をしたのでしょう。
コウタロウ様への強い忠誠心がなければ心折れてしまうほどの努力を。
私も長いこと様々な人間を見てきましたが、彼らの成長ぶりはそれはもう目を見張るものがあります」
「まったく俺は幸せものだ」
そう、俺は幸せなのだ。
しかし、俺はそれを素直に喜んでいいのかわからない。
幸せを感じるとどうしてもあの娘の影が頭をよぎってしまう。
俺に必死に手を伸ばして助けを求めるあの娘の泣き顔が……
「時折見せるその表情……
また彼女のことをお考えで?」
「……そうだな。
こんな歳になってもなかなか頭から拭い去れないもんだ。
我ながらそろそろ吹っ切れてくれてもいいと思うのだが」
この世界にきてまだ間もないころ、俺は少女に出会った。
少女は奴隷で、俺は金がなかった。
冷たい檻越しで交わしたつかの間の交流だったが、俺は彼女を助けたいと思った。
彼女も俺に買われることを望んでくれた。
必ず助けると約束を交わし、なんとか金を工面した俺だが、あとからやってきた貴族に半ば奪われるように買われてしまった。
激怒し貴族に掴みかかった俺。
床に転がされ守衛にボコボコにされる俺に彼女は涙を流しながら必死に手を伸ばしていた。
気を失い、しばらくして目を覚ましたころには彼女はすでにいなかった。
この世界では奴隷商も立派なビジネスだ。
俺は手を出していないが、彼らの商売なしにこの世界は語れない。
冒険者という危険な職業、終わらない戦争、魔物の大発生、安定しない食料供給……
ただ生きていくことすらままならない命など容易く生まれる。
奴隷商はそんな命のためのセーフティーネットだ。
後ろめたいことなど何一つない。
彼らも商売人。
金払いがいい方に売るのは当然のことである。
誰も悪くない。
あの時、悪かったのは弱い俺だけなのである。
あれから俺はがむしゃらに働き続けた。
ただでさえナチュラルボーン仕事人間の俺だが、あの当時はそれを遥かに超えた働きっぷりだったように思う。
彼女との苦い記憶を忘れようとしていたかもしれない。
シマダ商会がそこそこ大きくなった時に彼女の今を調べさせたが、返ってきたのは死亡報告だった。
貴族に買われた彼女は戦闘奴隷となり、指示によってとあるダンジョンの調査に送られてから消息を絶ったらしい。
奴隷は行動を縛る隷属紋が刻まれるので、逃亡や自害といった主に反するような行為は不可能だ。
ダンジョンにて遺品の確認も取れている。
つまりは彼女は自由なきままその命を散らせたのである。
彼女は幸せだっただろうか?
彼女は満足してこの世を去ったのだろうか?
そんなわけがないとわかっていながらも、俺は自問自答してしまう。
彼女を救えなかった俺が幸せであっていいのだろうか?
そんなことも考えてしまうが、かといって自ら不幸になろうとする意志はない。
どこにも行けない後悔の迷宮に俺はまだ囚われたままだ。
独身主義を貫いているのも、そんな後悔が起因している。
それが彼女へ贖罪になろうはずがないにしても。
「……いかんなあ。
すっかり辛気臭くなっちゃったね。
過去を彷徨うのはここまでにしよう。
せっかくの旅行だ。
楽しまないと」
「……過去は変えられませんが、いまのコウタロウ様であれば如何様にもこの世界を変えることができるでしょう。
私も生ける伝説などともてはやされておりますが、所詮武人。
個人の武力で成せることなどたかが知れております」
ドラファルさんは静かにワイングラスを傾ける。
「ですがコウタロウ様は違います。
桁違いの財力はもちろんですが、それよりなによりこの世界中に散らばるあなたを慕う者たち。
国の垣根、種族の垣根を越えて繋げてきたシマダ商会の絆。
この強固な絆を持ってして不可能なことなどありますでしょうか?」
「……そうかもしれないな。
つまりは何が言いたいんだい?」
「過去に囚われることが悪いこととは言い切れませんが、いまのままではコウタロウ様の記憶の中の彼女はいわば呪うだけの存在にしかならないでしょう。
この旅の中で見つけるとよろしい。
亡き彼女に顔向けできるなにかを。
過去を払拭できるだけの愛を」
浴槽の縁にことりとグラスを置くドラファルさん。
透明のグラスが夕日を浴びてきらきらと輝いている。
「これまでコウタロウ様はどちらかというと誰かのために動いてきました。
まあ、それがシマダ商会がここまでの規模に成長した大きな要因なのでしょう。
ですが、これからはご自身のためだけに動いてみてはいかがですかな?
コウタロウ様は商会に私情を持ち込むことを嫌う傾向がありますが、私もエマ殿も皆、コウタロウ様のために働きたいのです。
それこそが我々の幸せであり、喜びなのです。
存分にこき使っていただきたい。
たとえそれがこれまで築き上げた商会を破滅させるものであっても。
ふぉっふぉっふぉ、最後のは余計な心配だったかもしれませんがね」
「……ありがとう。
少しずつ考えてみるよ」
なんとなくで始まって、なんとなく進めていた旅に、俺はほんの少しだけ目的を見出せてきたような気がした。




