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関係ないことは置いておいて、余った時間を酷く雑に潰していく。
適当に歩き回ったり、それこそ特に知り合いがでるわけでもないため興味を惹かれなかった演劇を見に行ったりと、一人というフットワークの軽さをこれでもかと活かした。
結果として思いの外演劇を楽しむことができた満足感に浸りつつ、時間を見て教室へと戻る。
(交代十分前……こんなもんだろ)
着替えもその他の引継ぎのための時間も考えると、五分じゃちょっと心もとない。
客を入れるための扉とは別になっているクラスメイト用の扉を開け、雪緒と共に来た時と同じように中に入る。
「お、よぉ! 凛太郎」
すると、先に来ていた堂本が声をかけてきた。
堂本はすでに執事服を身に纏っており、髪型もワックスでしっかりと整えている。
この前のプールの時から思っていたことだが、男が憧れる男とでも言うべきだろうか。分厚い胸板のせいで胸元はかなり張っており、反対に腰はきゅっと引き締まって見事な逆三角形体型を作り上げている。
いわゆる細マッチョ体型の柿原と違ってしっかりとゴツイ印象は受けるが、無駄な筋肉がついていないからか、ボコボコした醜い印象はない。
「結構早く来たつもりだったんだけど、竜二君には負けちゃったか」
「いやー、しばらくは祐介とかほのかたちと一緒にいたんだけど、祐介と梓が一旦実行委員の仕事で離れちまってさ。ほのかと二人で回るかーってなったんだけど、何か急に恥ずかしいとか言って顔赤くしてどっか行っちまったんだよ」
「……へぇ」
「何かあいつらしくなかったなぁ。体調でも悪いのかもしれねぇな」
おそらくだが、その心配は見当違いだと思われる。
柿原→二階堂、野木→堂本という構図だったわけか。堂本はラブコメ主人公よろしく難聴人間のようだし、野木もずいぶんと苦労するだろう。
この先はさすがに俺には関係ないし、変に触れていくことはしないけど。
「悪い! 遅くなった!」
その話が終わった時、俺の後ろにある扉を開けて息を切らした柿原が飛び込んでくる。
「大丈夫だよ、まだ交代まで五分以上残ってるし」
「そ、そうか……思いの外トラブルの解決に手間取ってたんだけど、間に合ったならよかった……」
息を整えつつ、柿原は自分用の衣装を手に取る。
さて、俺もそろそろ着替えなければならない。
大雑把なサイズだけが決まっているレンタル品であるため少し違和感は感じるが、堂本ほどギチギチのギリギリというわけではないし、問題もなさそうだ。
「凛太郎は髪の毛セットしないのか?」
「んー……正直ワックスとか得意じゃないんだよね。普段からあんまりつけないかな」
ワックスの何が苦手かって、やはりあのベタベタだ。
髪型をセットするということはある程度身だしなみが整うことだというのは理解しているが、髪が硬くなってしまうことに酷い違和感を覚えてしまう。
俺の髪の毛は男の割には長い方だと思うが、それにワックスをつけるのも面倒臭いというか。
「そいつはもったいなくねぇか? そう何度もできる格好じゃないんだし、髪型もバシッて決めてみろよ」
「えぇ……?」
「い、いや、そんなにしたくねぇならいいけどよぉ」
思いのほか俺が嫌な顔をしていたせいで、堂本を引かせてしまった。
ただこいつの言っていることは一切間違ってはいない。
せっかくの衣装だし、ちゃんと着飾った方が楽しめるのは事実。
「……やり方、教えてもらえる?」
「え、いいのか?」
「竜二君の言葉で確かにって思っちゃったし、たった二時間程度だって思えばやってみてもいいかなって思えたからさ」
「……そうか」
一つ頷いた柿原は、自分の使っていたワックスを手に取って俺の後ろに立つ。
「そう言うことなら手伝うよ。竜二、お前も意見をくれ」
「あいよ。どうせなら凛太郎をすげぇ男前にしてやろうじゃねぇか」
いや、そこまではしなくていい――――。
そう俺が告げる前に、柿原と堂本は俺の髪のセットに手を付け始める。
「ここは少し立たせてやった方がいいんじゃねぇか?」
「そうだな。それでこっちに流す感じで……」
自分の髪を他人が触るというのは、相変わらず不思議な気分だ。
もちろん玲に触られたりした時とは違って鼓動が速くなったりはしないけれど。
「――――おい、結構いい感じじゃね?」
「ああ……いい感じ過ぎるな」
二人の視線が、身だしなみを確認するための姿見に映る俺の顔に集まっている。
俺の目にも髪型がセットされた自分が映っているのだが、まあ、確かにいつもよりは決まっているというか。見られる格好にはなっていると思う。
執事の格好も相まって、普段の俺らしくないのも自分から見ればポイントが高い。
「普段からちゃんと身だしなみを整えているとこんな風にできるんだね……二人ともありがとう」
「いや……むしろ俺たちが一番驚いてる」
「え?」
マジで二人が驚いた顔をしているせいで俺は段々状況が分からなくなり、むしろこの格好がどこか変なのかと思い始めた。
そうして俺が困った顔をしていることに気づいたのか、柿原は慌てた様子で口を開く。
「お、驚いてるって言うのは、あまりにも似合い過ぎてって意味だ!」
「そうだぜ! 何なら他の女子にも聞いてみりゃいいさ!」
それは別にしなくていいのだが。
まあお世辞で言っているようには見えないし、この二人から肯定的な意見をもらえただけで俺としては及第点だろう。
そもそも一緒にいるのがこいつらである以上は、どれだけ見た目をよくしても敵いやしないのだから。
「おーい、凛太郎。そろそろこう……たい……」
俺たち三人のセットが終わったちょうどいいタイミングで、メイド服姿の雪緒が姿を現わす。
「ん、ああ。今行く――――って、どうした?」
「え? えっと……凛太郎、だよね?」
「うん……そうだけど?」
呆然とした様子で、雪緒は俺の顔を見ている。
何だろう。せめて感想が欲しいところなのだが、もしかして柿原たちがいる手前普段通りのやり取りは遠慮してくれているんだろうか?
「なあなあ! 稲葉も今日の凛太郎はイケてるって思うだろ⁉」
「へ⁉ あ……うん。す、すごくいいと思う」
感想を求められ、雪緒はどこか困惑した表情を浮かべる。
口から出た言葉に嘘の気配はしないのに、何故複雑そうにしているのか理解できない。
「……これじゃ皆凛太郎の良さに気づいちゃうじゃん」
「何だよ、それ」
「別に何でもないよーだ。ほら、もう時間だよ!」
雪緒の言う通り、もう交代の時間になってしまった。
俺たちが控室もどきから教室内に出ると、中にいた連中の注目が集まる。
一部の女子が黄色い悲鳴を上げ、柿原たちを知っている男子たちは冷やかすような歓声を上げた。
『え、嘘……帰る時に限ってめっちゃイケメンが来たんだけど』
『どうしよう⁉ もう一回並ぶ?』
『でもそれじゃ回り切れないし……』
近くの席にいた他校生と思われる女子たちのそんなやり取りが聞こえてくる。
彼女たちの感想は彼女たちだけのものではないようで、教室にいた在校生、一般客も含めて、皆が皆柿原と堂本へと視線を向けていた。
「うっ、何だかむず痒いな」
「そうか? むしろ注目されて嬉しいもんじゃねぇか」
「まあ嫌な気分ってわけじゃないけどさ……」
そんな会話を繰り広げる二人をよそに、俺は奇妙な感覚に襲われていた。
柿原と堂本の二人にばかり向けられていると思っていた視線のうちのいくつかが、何故か俺にも向けられている。
そしてその視線の持ち主たちは何かひそひそと話し始め、俺の居心地の悪さをさらに加速させた。
せめて悪口等は言われていないといいのだが――――。