22-2
「ふざけてんのかよっ!」
その時、堂本の怒声が響いた。
スタジオ内に気まずい空気が流れる。
怒鳴られた対象である柿原は、普段の明るさを失った表情で堂本の方へと振り返った。
「凛太郎も初めての楽器なのにめちゃくちゃ練習してきてくれてさ、必死についてきてくれてるっていうのに……! 何で一番の主役のお前が適当な演奏してんだよ!」
「……っ」
――――確かに。
一番の初心者が口を出すべきではないと思っていたが、最初の演奏から回数を重ねるごとに柿原のミスが目立ち始めている。
俺がテンポについて行けるようになってきたが故に、余計それが顕著になってしまっていた。
スタジオに入ってから一時間以上経過したものの、そのほとんどはろくな練習になっていなかったと言えるだろう。
「俺たちはお前の告白を成功させるために時間使ってんだぞ⁉ お前にやる気がねぇんじゃ俺たちどうすりゃいいんだよ!」
「――――だろ」
「あ?」
「こんだけ練習したって、結局告白が成功しなかったら意味ないだろ!」
こんなに声を荒げた柿原を、俺は初めて見た。
堂本も柿原がこんな風に爆発するとは思っていなかったようで、少なからず動揺が見られる。
「……どうせ成功しない告白のためにお前たちの時間を使わせるわけにもいかない。面倒臭くなったならやめてもらっても構わないから」
「お前……」
「悪い。今日はもう帰るよ」
俺たちが唖然としている間に、柿原はギターを仕舞ってスタジオから出て行ってしまう。
そしてその背中を見送った堂本は、悔しそうに拳を握りしめた。
「……くそっ、ここまで来てビビりやがって」
いや、悔しそうというより――――辛そうか。
「何か顔色悪かったし、きっと調子が悪かったんだよ」
「……そうかもしれねぇけどよぉ」
どのみちこの空気では練習どころではなさそうだ。
こう言っては何だが――――俺も正直今日の柿原にはいい印象がない。
堂本も別にミス自体を怒っているわけではないだろう。
問題なのはそのやる気のない姿勢だ。
人によってここは意見が違うかもしれないが、何とか二階堂と付き合いたいと相談してきた柿原よりも俺たちが張り切るというのはどこかおかしいと思ってしまう。
奴がもう諦めていると言うなら、もう俺たちに協力する義理はない。
「どういう気持ちで言ったのかは分からないけど、次学校で会う時に聞いてみようよ。しっかし休めばいつも通りに戻ってくれるかもしれないしさ」
「……そうだな」
結局俺たちはこの日解散となり、家に帰ることとなった。
今日のところはさすがに不完全燃焼と言わざるを得ない。
夕方、日が暮れ始めた時間帯を一人で歩きながら、深いため息を吐く。
聖人君主でも何でもない俺は、この状況をただただ面倒臭いと思っていた。
玲たちのためや、雪緒のために動くのとは訳が違う。
結局のところ、一度作ってしまった壁を崩すのは難しいということだ。
「ふぅ……」
マンションまで戻り、自分の部屋の鍵を開けて中へと入る。
すると俺の靴の他に、三つの女物の靴が並んでいることに気づいた。
遠い目をしつつ廊下を進んでリビングに入れば、見慣れた連中の姿が目に映る。
「あら、おかえり」
「……一応聞いておくけど、ここ俺の家だよな?」
「何変なこと言ってんのよ。どう見てもあんたの家でしょ?」
何を馬鹿なことをという視線で見てくるのは、カノン、玲、ミアの三人。
全員ラフな格好をして、どこからか買ってきたであろうスナック菓子と炭酸飲料を楽しんでいた。
「おかえり、凛太郎君。君を待ってたんだよ」
「俺を?」
「まあまあ、とりあえず座ってほしいな」
「……別にいいけどさ。とりあえず先に手洗いうがいだけさせてくれ」
こいつらが家にいる分には別に構わない。
俺は洗面所で手洗いうがいを済ませ、リビングまで戻る。
「待たせたな。……で、何の話だ?」
「凛太郎、この前カノンと私と一緒にいる時にした話覚えてる?」
「ああ、バンドがどうのこうのってやつだろ」
カノンがギターをやって、ミアがドラムをやって、玲がボーカルをやるという話だったはず。
あの時点ではまだミアには話を通していなかったはずだが――――。
「あの後ミアにも連絡したら、あっさりオーケーをもらえたのよ」
「だって面白そうなんだもの。たまにスタジオを借りてストレス解消のために叩かせてもらうことはあっても、誰かと合わせたことなんてないしね」
「……って話みたい。それをあんたにも伝えときたくてね」
話は大方理解できた。
堂本もずいぶんと楽しげだったし、やはり一人で弾くのとバンドとして弾くのでは楽しみ方が大きく違うのだろう。
もちろんただの趣味と言ってしまえばそれまでだが、俺も彼女らも普段からやるべきことはしっかり済ませているはずなので誰からも文句を言われる筋合いはない。
「色々合点はいったんだけど、それならラインで一言くれるだけでよかったんじゃないか? わざわざ俺の部屋で女子会することもなかっただろうに」
「それはあんた……ほら、あれよ」
「あれって何だよ」
「あれはあれなの!」
なるほど、特に理由はなかったということらしい。
一応俺は玲のスケジュールについては把握していて、今日明日はオフということも知っている。
つまるところ彼女らも暇なのだ。
こういう風にだらけている所を見ると、こいつらが天下の大人気アイドルだということはまるで信じられない。
容姿はすこぶる良いのだが、これは態度の話である。
――――どういう話であれ、どちらかと言えば潔癖症寄りの俺が家への侵入を許しているというのは、我ながらこいつらのことを信用し過ぎな気がしてきた。
それがダメというわけでは一切ないけれど。
「りんたろー、あんた今練習してる曲があるんでしょ? せっかくだからそれ教えなさいよ。覚えてきてあげるわ」
何それマジでかっこいいじゃん――――と言いそうになったが、相手がカノンなのでやめておく。
こいつだけには調子乗らせるわけにはいかない。
俺が言葉を呑み込んだ後に曲名を言えば、カノンとミアは納得したように頷いた。
「やっぱり最初に練習する曲と言えばそれが鉄板よね。構成にも癖がないし、特別難しいパートもないし」
「ボクも完璧じゃないかもしれないけど、ほとんど分かるよ。これなら明日までに間に合うね」
ん? 明日?
「あ……凛太郎、明日時間ある?」
「それ最初に聞くことだと思うぞ、玲」
「忘れてた」
あっけらかんと言ってみせる玲に、思わずため息が出る。
この流れで俺が予定を入れていたらどうするつもりだったのだろうか?
それとも簡単には予定ができないほどの暇人だと思われていたのか?
――――まあ、正解だけども。
今月は優月先生にも学校が忙しいだろうからあんまり来なくても大丈夫と言われているし、雪緒とも毎日遊ぶようなことはしていない。
「でもバンドで練習するためのスタジオって、予約とか取らないといけないんだろ? 大丈夫なのか?」
「だーれに物言ってんのよ。今さっきマネージャーに連絡してプライベートスタジオにドラムとアンプを運び込んでもらったわ」
「ああ、レベルが違ぇや」
聞くところによると、この前俺が弁当を届けたスタジオがプライベートスタジオだったらしい。
玲が借りていると言っていたからてっきり毎回順番待ちなどをしてレンタルしているのかと思ったが、あくまで所有者が事務所であるという意味だったようだ。
つまりあの場所は"ミルフィーユスターズ"が借りているスタジオであり、彼女ら以外は使用しないということのようで――――。
「他のアーティストさんは個人スタジオを建てちゃったりするらしいけどね。さすがにあたしらが持っててもたまり場に使うか持て余すだけだし、ずっとレンタルできるだけで十分よ」
でしょうね。