20-4
「なあ、本当にコスプレするのか?」
「え?」
文化祭の出し物が決まった日の夜、俺は洗い物をしながら、ソファーに腰掛ける玲へと問いかけた。
何故そんなことを聞かれるのか分からないと言った様子の顔を浮かべた彼女は、食後のデザートであるバニラアイスを食べる手を止めて視線をこちらに向ける。
「いや……マジでコスプレすんのかなぁって思って……」
「うん。私のせいで皆に迷惑かけちゃうところもあると思うし、せめて求められるなら応えたいと思うから」
「……そうか」
初日参加できないことや、普段から仕事のせいで行事に参加できないことが多いという立場に、玲なりの罪悪感を抱いているのだろう。
だけど、それでも――――。
(なーんかモヤモヤするんだよなぁ……)
気づいたらずっと同じ皿を洗い続けていたことに気づき、俺は複雑な気持ちになりながらこれでもかと付着した泡を水で流す。
「凛太郎」
「何だよ……」
「もしかして、私にコスプレしてほしくない?」
思わず肩が跳ねた。
心のどこかでそんなはずはないと思っていた部分を突かれ、自分でも驚くレベルの動揺をしてしまったらしい。
(俺は本当に玲にコスプレしてほしくないのか……?)
一度深呼吸をしてから、冷静に考えてみる。
コスプレ自体は別に好きにすればいいと思う。うん、これは本心だ。
そもそも他人がどんな格好をしようが俺には関係ないのだから、そもそも嫌がる必要がないわけで。
じゃあどうしてモヤモヤするのか――――。
「……分かんねぇ」
「分からないの?」
「人のやることにとやかく言おうと思ったことなんてなかったんだけどな……」
手についた泡も洗い流し、最後の皿を他の食器と同じように水切り用のかごの中に並べる。
冷凍庫に入れておいた自分用のバニラアイスを手に取ってから、俺も玲と同じようにソファーに腰掛けた。
「悪いな、何か小言言ったみたいになって」
「ううん、別にいい。むしろ嬉しいから」
「え、何で?」
「それよりも、アイス溶けるよ?」
どこか嬉しそうな玲の態度に疑問を抱きつつ、俺は手元のカップに入ったアイスに目を落とす。
確かに端の方が柔らかくなり、すでに俺の体温で溶け始めていることは明らかだった。
「……それもそうだな」
スプーンで柔らかくなった部分を削ぐようにしてすくって口に運べば、少し高いアイス特有の滑らかさが舌の上でじんわりと溶けていく。
このアイスは夏休み後半に優月先生のところでバイトした際に差し入れで分けてもらったものだが、今度は自分の金で買いたいと思うくらいにはいいものだ。
それこそ、俺のモヤモヤを吹き飛ばしてくれるくらいには――――。
「そう言えば、男子も執事服着るんだよね?」
「ん? ああ、そういう話だったな」
柿原やら堂本が着ればそれなりに様になるだろうし、元々の女子人気も考えると集客面にも影響が出ることだろう。
雪緒の執事姿も人気が出そうだ。あいつもあいつで女子人気はかなり高い。
「凛太郎も着るの?」
「ああ。初日と二日目で料理係とホールは入れ代わるらしいし、必ず一回は着る仕組みになってるはずだけど」
「そっか」
何だか不思議な会話だ。
そんな風に思っていると、玲はアイスのカップを空にしてから、俺の方に向き直る。
「ねぇ、凛太郎は私のメイド姿、見たい?」
「は、はぁ⁉」
驚きのあまりアイスを取り落としそうになる。
何とか手の中で体勢を立て直せば、ちょうど素朴な疑問を口にした子供のようにパチパチと瞬きをする彼女と目が合った。
「私は見たい。凛太郎の執事姿。きっとカッコいいから」
「……そりゃ期待し過ぎだろ。絶対大したことないぞ」
「ううん、絶対そんなことはない」
まあそりゃ普段そこまで丁寧に身だしなみを整えたりはしないから、新鮮味はあるかもしれないが――――。
「でも、その執事姿を他の人にはあんまり見てほしくない。無理なことは分かってるけど、せめて最初に見るのは私がいい。これは水着の時と一緒」
「お、おお……相変わらず物好きだなぁ」
「凛太郎は?」
「え?」
「凛太郎は私のメイド姿、見たい?」
「いやまあ……見てみたいとは思うけど」
あ――――。
思わず小さく声をもらした。
そんな俺の様子を見て、玲は微笑む。
俺は今、彼女にさっきまで抱えていたモヤモヤの正体を暴かれたのだ。
それは不覚にも玲が俺に向ける感情と同じモノで――――。
「ちょ、ちょっと買い出しに行ってくる……」
「こんな時間に?」
「明日の弁当用の食材が足りないんだ。い、今行かないと朝じゃ間に合わないからな」
「……それは仕方ない。お弁当は大事」
弁当と聞いてあっさりと信じた玲を置いて、ソファーから立つ。
そして財布とスマホ、それに家の鍵だけを持って、サンダルを履いて外に出た。
「……焦ったぁ」
マンションの前にある花壇に腰掛け、息を吐いて項垂れる。
何度も言っている気がするが、ここまでの人生で俺をここまで動揺させるのは乙咲玲だけかもしれない。
彼女といる時間は心地よいのに、ふとした拍子に落ち着きがどこかに吹き飛んでしまう。
ただそれだけのことでこうして逃げ出してしまうのは我ながらダサいと言わざるを得ないが。
妙に熱くなった頬を冷やすべく、俺は空を見上げる。
「――――何してんの? あんた」
その時、見知った赤い髪の女と目が合った。
「うおっ⁉」
「なーに大袈裟に驚いてんのよ。それとも……急にこんな美少女が現れて動揺しちゃったのかしら⁉」
「ふぅ、驚かすなよ、カノン」
「あれー⁉ 声小さかったかしら⁉ まさかスルーされるとは思ってなかったんだけど⁉」
「別にスルーしてねぇだろ。ちゃんとこうして目合わせて話してんじゃねぇか」
「あんたの耳が都合よすぎる!」
相変わらず夜道に対してはうるさいカノンの声を聞いて、思わず笑ってしまう。
仕事用の鞄に、顔を見えにくくするための帽子。
どう見ても仕事帰りだ。
そう思って顔を見れば、いつもより心なしか疲れているようにも見える。
「仕事終わりか? ご苦労さん」
「どーも。まああたしにとってはシングル曲のMV撮影なんて朝飯前だけどね」
「……の割には疲れてそうだけど」
「……そうね。今日はきっと爆睡できるなーって確信するくらいには疲れるかしら」
「そりゃ相当疲れてんなぁ」
こういう時こそ俺の出番だ。
「んじゃとっておきの物があるから、俺の部屋に――――あ」
「ん? 何よ、その「まずい!」みたいな顔」
「いや……そう言えば俺の部屋に玲を残したまんまだなーと……」
「喧嘩でもしたわけ? あんたがこうして外にいるのも珍しいし」
「喧嘩でもなく……その、ちょっと気まずいっていうか、照れ臭いっていうか」
思わずか細くなってしまった俺の言葉を聞いて、カノンは大袈裟にため息を吐く。
「はぁ、どうせまたレイの何気ない一言であんたのペースが乱されてるだけでしょ?」
エスパーかよ、こいつ。
俺が分かりやすく黙ったことでカノンも確信したのか、もう一度大きくため息を吐いた。
まさかこいつに呆れられるなんて――――かなり悔しいぞ?
「そんなのいつものことなんだから、あんたが気にするだけ無駄でしょ。アイドルと絡んでるからって浮つかれても困るんだからね!」
「あ、ああ……分かってるよ」
そう、だよな。
変に浮かれてるから、変に期待して、そんで変に動揺するんだ。
――――うむ、何だかんだ冷静になってきたな。
ようやく志藤凛太郎が地面に足をつけて立ち直った気がする。
「ありがとな、カノン。頭冷えたわ」
「……そ、ならいいわ」
カノンは腕を組み、どこか安心したような笑みを浮かべる。
その安心がどんな意味を含んでいるのかは、俺には分からない。
ただ、彼女の意志に反して滲み出てしまったものだということは分かる。
――――だから俺は、気づかなかったことにするのだ。
「それじゃあんたの言うとっておきの物を見せてもらおうじゃないの」
「おう。多分損はさせないぞ」
俺はズボンについた僅かな砂を払い、立ち上がった。