20-2
夏休みという学生の安らぎの時間はあっという間に過ぎ去り、新学期がやってきた。
まだ蒸し暑さの残る中で始業式を終え、そのさらに翌日のこと。
すでに新学期の授業は始まり、幾人かのクラスメイトがげんなりした顔を浮かべている昼休み。
俺は相変わらず雪緒と机を突き合わせて弁当を食べながら、世間話に花を咲かせていた。
「凛太郎、この前買ったマグカップはちゃんと丁寧にしまってある?」
「当たり前だろ。お前が来た時用にちゃんと綺麗にしまってあるよ」
「それならいいんだ。うん」
そう言いながら、雪緒はどこか満足げな表情を浮かべる。
夏休み後半。俺は約束通り雪緒と共にマグカップを買いに行った。
俺と玲が使っていたイルカのキャラクターが描かれた物と同じ系統の物を購入した雪緒が、珍しくはしゃいでいたのをよく覚えている。
「そういえば、ベースの調子どう?」
「ベース? んー……ベースなぁ」
「あれ? もしかして調子悪い?」
「いいや、練習自体は毎日欠かさずやってるし、上手くはなってる――――と思う。ただ二人と合わせる練習を一度もしてないから何とも言えねぇって言うだけで」
「ああ……僕は楽器に詳しくないけど、人に合わせるって何においても結構難しそうだもんね」
俺はお世辞にも協調性が高いわけでもないし、技術面だってまだ始めて一か月未満の素人。
正直ここ一週間くらいはずっと不安だったし、成長の幅が小さくなってきてどうしていいか分からない時間もしばしばあった。
「今はこんな感じだけど、本番が近づけばスタジオ借りて練習するみたいだし、そこまで思い詰めてはいないけどな」
「へぇ、そうなんだ。僕も凛太郎がベース持ってるところ楽しみにしてるから、頑張ってね」
「ああ、やれるだけのことはやるよ」
俺はずっと弦を押さえていたことによって硬くなった指先に触れる。
家事以外のことにこんなにも熱中していることが、ほんの少しだけ誇らしい。
「ん……そういや今日の午後の授業って何だっけ?」
「文化祭の出し物決めだよ。もう一か月後だからね」
うちの学校は生徒も多いからか、文化祭自体がかなり大がかりだったりする。
どのクラスもそれなりに本気を出すし、新入生の中にはこの学校の文化祭を体験して自分もやってみたくて志望したという者もいるくらいだ。
「去年は何やったっけ?」
「忘れちゃったの? 屋台だよ。お祭りのたこ焼き屋とか焼きそば屋で意見が割れたから、逆に全部やっちゃおうってなったじゃん」
「……そういえばそうだったな」
思い出してきた。
確か焼きそば、たこ焼き、わたあめ、かき氷の四つの店を教室の中で開いたのだ。
「去年は結構盛況だったけど、今年はどうなるかな」
「まあテーマさえ間違わなきゃ失敗することもないだろ」
「そうだね。うちのクラスも真面目な人が揃ってるし」
やっぱり大きなイベントが始まるということで、教室からは若干のソワソワした雰囲気が感じ取れる。
それだけ楽しみにしている者が多いという証拠だ。
時間は進み、放課後へ。
俺たちが席について待っていると、担任である春川百合先生が教室に入ってきた。
起立から始まる挨拶を終えた俺たちを前にして、春川先生は一つの咳払いを挟んだ後に話し始める。
「さて、今年もこの季節がやってきました。待ちに待った文化祭の出し物決めよ!」
「「「おおー!」」」
一部のテンション高めなクラスメイトたちから歓声が上がる。
このテンションのまま面倒臭いが先に来るような出し物にならなきゃいいのだが。
「うんうん、やる気はちゃんとあるみたいね。っと、本格的に会議に入ってしまう前に、文化祭実行委員だけ先に決めちゃいましょうか」
「「「……」」」
「こらこら、露骨にテンション下げるのやめてよ」
まあ、その役職が一番面倒くさいからな。皆のテンションが下がるのもよく理解できる。
正直出し物が何になろうとも、この実行委員だけ避けることができればそれでいい。
「はぁ……じゃあとりあえず、実行委員をやってもいいよって人ー」
春川先生がそう俺たちに声をかける。
ここから始まるのは、クラスメイト同士の探り合い。
誰かやってほしい、そんな願いのこもった視線が教室内に飛び交う。
「……こうなることは分かってたけど、先生ちょっと悲しいな。まっ! 気持ちは分かるけどね!」
面倒臭いことは先生のお墨付きということで。
「でもこのままじゃ埒が明かないし、次はお決まりの推薦制で行ってみようか。誰か、この人なら任せられるって人いる?」
さて、始まった。
文化祭実行委員の推薦など、言い換えれば生贄の選定である。
ここで推薦されてしまうと中々断りにくいことは言うまでもない。
そしてそれを皆が理解しているから、中々仲間を売ることもしづらい。
――――と、言う訳で。
ここでも声が上がらないのは当たり前のことであった。
「……はぁ。去年の皆は結構あっさり決まったんだけどなぁ」
それは俺たちが文化祭実行委員の過酷さを理解していなかったからである。
今頃一年生たちはあっさり決まっていることだろう。
そして意図せず生贄となったその真面目な奴が割を食うのだ。
「まあ仕方ないよね。それじゃあ……柿原君とかどうかな? 私は結構向いてると思うんだけど」
「え、お……俺ですか?」
皆の視線が柿原に向けられる。
どうやら今年の生贄は決まったらしい。
「か、柿原なら安心して任せられるな!」
「うん! 適任って感じ!」
「頼れる奴だと前から思ってたんだよ!」
ここぞとばかりにクラスメイトが声を上げ始める。
柿原はもう完全にロックオンされた。
もちろん、断る奴はこの状況に置かれても容赦なく断る。少なくとも俺だったら絶対に断っていた。
しかし、柿原の性格上――――。
「……わ、分かった! 俺、皆の期待に応えるよ!」
「「「おおー!」」」
――――こうなる。
まるで示し合わせたかのような流れで、文化祭実行委員は柿原に決まった。
しかしこう言っては何だが、適任であることは間違いない。
誰もが認める優等生でありつつ、部活や委員会に所属していないから何かと掛け持ちすることもない。
理屈だけで言えば、これほど向いている人間は存在しなかった。
「よし! じゃあ実行委員は柿原君に決定! それじゃクラス委員長の二階堂さん、今後は柿原君のサポートをよろしくね」
「あ……分かりました」
二階堂がそう声をかけられた時、視界の端で柿原が小さくガッツポーズするのが見えた。
(なるほど……意外と策士だな、柿原)
文化祭実行委員はクラスで一人だが、その補佐としてクラス委員がつくことはある種の決まり事となっている。
ある種という曖昧な言い方になったのは、制度として正式に決まっているわけではないからだ。
少なくとも春川先生が担当するクラスではそういうシステムになっているというだけである。
この間クラス委員長は本来の職務よりも文化祭実行委員の補佐を優先しなければならず、必然的に二人の時間が増えることになるはずだ。
後夜祭ライブの前の下準備としては、最良とも言える状況である。
実行委員の仕事に対して私利私欲が入ってくることは褒められるべきことではないかもしれないが、俺は大いに構わない。
自分の恋路のために俺たちの面倒事を一手に引き受けてくれるのだ。
むしろそれなりの見返りがあるべきだと思う。




