18-2
「いやでもそもそもベースなんて持ってないしなぁ」
文化祭のたった十五分間のライブのために、最低数万はするベースを買うっていうのもかなり抵抗がある。
知り合いで持っている人間もいないから借りることもできない。
「実はほのかが持ってるんだなー、これが。本当は俺と祐介とほのかの三人で合わせるために買ったんだけど、最初にあいつが飽きちまってさ」
「野木さんがベースかぁ」
うーん、野木の性格を考えるに、確かにすぐ飽きそうだ。
どちらかと言うとギターやドラム、ボーカルの方が楽しんでやりそう。勝手なイメージだけれど。
「捨ててはないと思うし、明日にでも借りられると思うぜ」
「……分かったよ。そこまで言うなら」
あんまり人前に出たいとは思えないが、あくまで主役は柿原。
淡々と演奏すれば、そうそう印象になど残らないだろう。
それに――――楽器に対して興味がないと言ったら嘘になるし。
「祐介は間違いなくギターボーカルだな。歌も上手いし器用だから。コーラス用に俺たちの前にもマイクは置くけど」
「……俺の役割重くないか?」
「けどボーカルだけ募集するってのも締まらねぇぞ?」
「それこそほのかは?」
「最終的な目標は告白なのに、バンド内に他の女子がいるっていうのはちょっと違和感ねぇか?」
「あー……そうだな」
何がとは具体的に言えないが、俺も堂本の意見に概ね同意だった。
まあ要は男子だけでバカをやりたいという考え方だろう。
「……元々練習してた曲なら多分行ける、かな」
「よし、んじゃ決まりだな!」
決まってしまったか。
きっとなるようになるだろう。そもそもこのイベントは柿原の告白のためにあるわけだし、俺は最低限の仕事をすればいいのだから。
それで――――。
「――――曲はどうするの?」
「よくぞ聞いてくれた! 男の恋愛曲と言ったらやっぱりあれだろ!」
そうして堂本が告げた曲名は、俺でも知っているような有名な恋の曲だった。
◇◆◇
翌日。
俺は学校の最寄りの駅を訪れていた。
野木からベースを受け取るためである。
あのファミレスでの話し合いの後、堂本が事情を説明した結果「次の日なら渡しに行ける」との返信をもらった。
そして実際にこうして足を運んだわけだが――――。
「おーい志藤君! おまたせー!」
「ああ、野木さん」
「ありゃ、結構待たせた?」
「いや、今さっききたばっかりだよ」
「そっか!」
正確には十二分とちょっとだけどな。
この炎天下の中で十二分とちょっとだけどな!
「ほい、んじゃこれが約束のベース」
そう言いながら、野木は背中に背負っていた黒くて長いケースを渡して来る。
それを両手で受け取った瞬間、想像以上の重さによろけそうになってしまった。
「おっ……意外と重いね。ここまで大変だったでしょ? 本当にありがとう」
「ううん! 祐介の恋を応援するためだからね! それより、そのベース返さなくていいや」
「え⁉」
素で驚いた俺が野木の顔を見ると、彼女は気まずそうに目を逸らす。
「うーんと、ね。ママに怒られたの。使わないのにずっと場所ばっかり取って邪魔だって。だからウチが貸すって言ったら、そのまんまあげちゃいなさいって」
「え、でも……高いだろ、これ」
「あはは、実は二万円くらいの安物だよ」
二万円は十分高いのだが、楽器の相場は俺には分からない。
まあ比較的安い方なのだろう。多分。
それか彼女の金銭感覚がバグってるかのどっちかだな。
「気にしてくれるんだったら、今度ご飯でも奢ってよ! ちょっと高めのお店!」
「ちゃっかりしてるなぁ……いいよ、分かった。元々人から借りるのってちょっと苦手だったから、素直にありがたいよ」
借り物だって思いながら使うと、余計なことばっかり考えて気が散るんだよなぁ。汚さないようにとか、傷つけないようにとか。全部当たり前のことなのだが、問題なのは考え過ぎてしまうという点だ。
心配性過ぎるのも困りものである。
「そっか! ……その、頑張ってね。ウチ、本当に応援してるからさ」
「……ああ。全力は出すよ」
「んっ! ならもっとよし! じゃあウチはこれからあずりんと遊ぶ約束してるから!」
「本当にわざわざありがとう。助かったよ」
「ううん、気にしないで! じゃあまた学校で!」
「うん、学校で」
手を振って去っていく野木を、手を振って見送る。
彼女は間違いなくいい奴だ。
気遣いもできて、周りから好かれているのも納得できる。
――だからこそ。
この件で、彼ら四人の友情にひびが入ってしまうかもしれないという未来を、何となく察しているのだろう。
カップルが成立すればそれでよし。だけど失敗すれば、多くの場合が今まで通りにはいかなくなる。
「……分かるぞ、その気持ち」
俺はポツリと虚空に向かって言葉を吐いた。
俺にも、考えなければならないことがある。
あの告白からもう数日が経過して、ずっと返事を待たせていた。
これ以上待たせてしまうのも気が引ける。
そろそろ、俺の本心を伝えなければならない。
◇◆◇
コトコトと鍋から音がする。
キッチンにはカレー特有の匂いが充満しており、自然と食欲がそそられた。
リビングのソファーには、金髪の女が一人寄りかかっている。
久々にこっちに帰ってきた、乙咲玲だ。
「……カレー、もうすぐできるぞ」
「待ち焦がれてた。久しぶりの凛太郎のご飯、楽しみ」
「久しぶりっつっても、実は一週間とかそのくらいだけどな」
「一週間も凛太郎と会えないのは、あまりにも寂しかった」
「……そうかよ」
「凛太郎は?」
「まあ……ちょっとだけな」
「ちょっとか。でも嬉しい」
はぁ、可愛いなちくしょう。
あの海での時間を経て、彼女は増々魅力的になった。
周りからはそんな話を聞かないため、もしかしたら俺がそう感じているだけかもしれない。そう考えると少し恥ずかしいのだが――――。
「とりあえずは期待に応えてさっさと飯の用意を済ませるか。ほら、机の上片付けてくれ。今から持ってくぞ」
「ん、分かった」
俺は鍋の蓋を開け、何度かかき混ぜる。
今日のカレーは、夏野菜がふんだんに入った夏野菜カレーだ。ナスやらピーマンやら、人によっては苦手な物も入っているかもしれないが、好き嫌いのない俺と玲ならばそんなことは関係ない。
「ほい、できたぞ」
「わっ……野菜がいっぱい」
「夏野菜カレーだ。ほら、スプーンも受け取れ」
「んっ、いただきます」
スプーンを握らせれば、玲は白飯とルーを一緒にすくって口に運ぶ。
そうして口の中で何度か咀嚼すれば、彼女の顔はパァと明るくなった。
「おいしい!」
「そいつはどーも」
俺も隣に腰掛け、同じようにカレーを口に運ぶ。
うん――――美味い。
少し大きめに切った野菜たちがルーとよく絡み合い、肉とはまた別の方向性で食が進む。
夏バテで食欲がなくても、肉ほどガッツリしていないからかいくらでも食べられそうだ。
「お前がカレー好きで本当に助かるよ。なんせまとめて作れるからな」
「ん、カレー大好き。でも凛太郎のカレーが一番好き。いつも色々工夫してくれるから、それが嬉しい」
「毎度毎度嬉しいこと言ってくれるなぁ、お前は。そうやって言ってもらえるなら、毎回考え抜いて作った甲斐があったよ」
別に毎回普通のカレーでも、玲は文句ひとつ言わずに食ってくれるだろう。
しかしそれでは何だかこう――――つまらない、と。
せっかく無限の可能性がある料理なのだから、色々と試してみたいと思ってしまう。
すごく極端な話、俺自身と玲を使って料理の実験をしていると言っても過言ではないかもしれない。
もちろん、不味く作らないことが前提ではあるが。
今回彼らが演奏する曲は、作中で既存の曲名を出してしまうのは大丈夫なのかどうか分からなかったので一応名前は伏せましたが、軽音部等では定番の「小さな恋のうた」をイメージしております。
明言はしませんが、あくまで参考程度ということで。