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12-3

 タピオカを飲み終えた俺たちは、軽い昼食を済ませた後にバスへと乗り込んだ。

 バスに揺られながら、会話もなく外の景色に目を向ける。

 俺と玲が二人でいる時は、基本このスタイルだ。会話はなく、各々が好きなことをやる。

 玲はスマホにイヤホンをつないで、音楽を聞いていた。

 画面には知らないミルスタの曲名が表示されており、おそらくは現在彼女らが練習中の新曲だと思われる。

 時間ができればすぐに練習につなげるその姿勢は、俺にとっては好感の持てる真面目さだった。


 よくデート中にスマホをいじることに関しての賛否両論の意見を聞くが、俺としては一緒にいる時に別のことをされようが一向に構わない。

 自分といることが退屈なのだろうかと勘繰ってしまう気持ちは大いに分かるが、こと玲に関してはそれがなかった。


 俺も玲も、こういう時間が好きなのである。

 

 相手が自分の世界の一部になっているような、気を使う必要もないような距離感。これを感じ取れる相手は本当に貴重だ。

 その距離感にいられるのは、彼女を除けば稲葉雪緒が該当する。

 そういう連中を大切にしていきたいと、俺は強く思っていた。


「……凛太郎」

「ん?」


 突然名前を呼ばれ、彼女の方に顔を向ける。

 玲はイヤホンを外し、俺の目をじっと見ていた。


「私に彼氏って言われたこと、嫌じゃない?」

「何だよ急に」

「ちょっと……気になって」


 玲はどこか浮かない顔をして、目をそらした。

 気になってしまう気持ちはよく分かる。俺も水族館の時に、玲のことを嘘であっても彼女と表現した時は同じ顔をしていたと思う。

 だからこそ、俺はあの時玲が返してくれた言葉を、そのまま借りるのだ。


「別にいいよ。嫌じゃなかったから」

「あ……」


 してやったりという意味を込めてニッと笑えば、玲も安心したように目尻を細める。


「それに、あの状況ならあれが一番の正解だったと思う。ああいう連中に対してはダラダラ引きずるような言葉は駄目だ。ワンチャンを狙ってもっとぐいぐい来るからな。寄せ付けないように、はっきりした言葉をぶつけるのが最適だよ」

「うん。次からもちゃんとはっきり言おうと思う」

「賢明だな。つーか、アイドルなのにナンパとかされんのか? 芸能人に声かけるのって中々無謀な気がするんだけど」

「意外と声はかけられる。"レイ"だって気づかないで声をかけてくる人もいれば、気づいたうえで声をかけてくる人もいる。多分、まだ高校生だから甘く見られているんだと思う」


 未成年であるうちは大人の言うことを聞かなければならないのは仕方ないわけで、そういう部分につけ入ろうとする奴がまあ多いのだろう。

 よく知ろうとしなければ、彼女たちは雲の上のただの成功者。しかしその実態は、様々な努力や困難の上に立つ並外れた苦労人だ。

 だからこそ俺は尊敬はするものの、憧れはしない。


「ひとえに美人で可愛いってのも案外大変なんだな」

「凛太郎に美人で可愛いって言われるの、嬉しい」

「そうかい。一回百円でいくらでも言ってやるよ」

「十万円払ったら何回言ってもらえる?」

「……千回?」

「じゃあそれで」

「嘘だよ。金なんているか」

「じゃあタダで言ってもらえるってこと?」

「心の底からそう思った時だけな」

「じゃあ頑張る」

「じゃあそうしてくれ」


 なんて言いながら、結局いざ言うべき時が来たら照れ臭くなるんだろうな。でも宣言してしまった以上は、俺も腹を括るべきだろう。

 乙咲玲の望みを叶えることが、今の俺の役目なのだから。


「ん……少し、眠くなってきた」

「え?」


 俺の肩に、遠慮がちな重みが加わる。

 間近に迫った彼女の顔を見て、俺は思わず息を呑んだ。

 どこまで行っても美少女だな、こいつ。顔の造形だけで、美術品以上の価値がありそうだ。


「カノンから聞いた。凛太郎の肩は五分までなら借りられるって」

「何言ってんだよあいつ……」


 カノンの弱みを聞いた時の話。俺は確かに彼女に対して五分間肩を貸した。

 別に隠すようなことでもないが、何故か少しだけ気まずい。


「ねぇ、凛太郎」

「何だよ」

「私には、何分貸してくれる?」

「……眠いんだろ? なら駅につくまでは貸しててやるよ。ちょうどあと二十分くらいだ」

「そっか……今は……それでいいや」


 玲の声は尻すぼみに小さくなり、やがて寝息に変わった。

 俺に寄り添って心地よさそうに眠る彼女を見て、俺は内心頭を抱える。


(だから……無防備すぎなんだって)


 触れようと思えば触れられてしまう位置に、あの乙咲玲がいる。

 シミもニキビも何一つない美しい肌に、長い睫毛。顔の造形は恐ろしく整っており、欠点が見当たらない。スタイルの良さも日本人離れしていて、胸元が開いている服を着ているわけでもないのに薄っすらと谷間が覗いている。これだけ大きければ、そうなるのもまあ仕方がないのだろう。きっと。


 ふとバスが止まり、バス停から新しい乗客が乗り込んでくる。

 空いている席がなく立ちっぱなしとなったその男性は、おそらく無意識に眠っている玲の胸元へ視線を送った。


 その途端、心の底から燃えるような嫌悪感がこみ上げる。

 

 俺はズボンのポケットからハンカチを取り出し、玲の胸元にかけた。

 さっき服の染みを取った後に手を拭いた物だが、それを気にしている余裕はない。

 こうして胸元を見ることができなくなった男性は、どことなく不満げに、そしてそれを悟られないようにしながら目を背けた。


 彼を責める気はない。俺だって一度は男の本能に従って見てしまっているのだ。少なくとも俺には責める権利なんてない。

 ただ、そう思いつつも自由にさせるわけには行かなかった。


「こういう時くらい独り占めさせろよな……」


 ぼそりと、男性に聞こえないようにつぶやく。

 

 ――――ぴくりと、玲が動いたような気がした。


 それに気づかない振りをして、再び窓の外へ視線を向ける。

 今日の空は、何故だかはっきりと夏だと分かる群青色だった。


◇◆◇

「ほら、玲。起きろ」

「ん……むう」


 肩に乗っている玲の頭を、肩ごと強めに揺らす。

 まだ眠たげな彼女は周囲をきょろきょろと見渡した後、俺の顔を見た。


「……どこ?」

「バスの中だよ。ほら、もう駅につくからシャキっとしろ」

「ん……あ、そうだった」


 ここらで意識を覚醒させた玲は、状況を飲み込んで荷物を持つ。

 俺も同じように服が詰まった紙袋を両手に持って、バスから降りる準備をした。

 降車ボタンを押してしばらく。駅前のバス停についた俺たちは、いそいそとバスを降りた。


「駅前まで戻ってきたけど、他に買い物する?」

「いや、これ以上は持てないし素直に帰ろうぜ。食材もできるだけ外出せずに済むように買い込んであるからな」

「ん、この暑さに対して、それはとても賢明」


 俺たちは熱されたアスファルトに苦しみながら、マンションまで何とか帰還する。 

 まずは荷物を置くために、玲の部屋に入らなければならない。

 部屋の鍵を開けた玲に付き添い、玄関から中へと入る。

 

 言うまでもなく、玲の部屋と俺の部屋の造りは同じだ。

 それに掃除のために何度か訪れているため、新鮮味などは一ミリたりとも存在しない。


「最近あんまり帰って来てないから、まだ綺麗だな」

「うん。汚す余地がない」


 部屋の風景は、前回掃除した時からほとんど変化していなかった。

 ペットボトルやジュースの缶がいくつかテーブルの上に置いてあるくらいで、散らかっているという印象は一切ない。

 定期的に俺が掃除しているのだから、まあこれも当然だ。

 実は壊滅的に一人暮らしが向いていない彼女を放置すれば、ゴミだらけになることは目に見えている。


「服はどこに置いておく?」

「あ、できればタンスに入れてほしい」

「はいよ」


 俺は寝室の方に置いてある服のためのタンスを開け、丁寧に衣類を詰めていく。もちろん値札は取りつつだ。


「ほい、終わったぞ」

「ありがとう、そこまでしてもらって」

「別にいいって。何たって今日はお前の彼氏だからな。彼女のお願いは聞いてやらねぇと」


 なんてな――――。


 そんな冗談をこぼすと、彼女は思いのほか考え込むような様子を見せた。

 バスの中での話を少し擦っただけなのだが、何かおかしかっただろうか?


「……じゃあ、今日はお願いを聞いてくれるの?」

「は?」

「一つ、どうしても聞いてほしいことがある」


 ――――うん、嫌な予感。

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