82-5
「ん? なんかいい匂いがするね」
足を止めると、確かに食欲をそそる匂いがする。
これは、揚げ物だろうか?
「あれか?」
視線の先にあった看板には、大きくコロッケと書かれていた。なんと分かりやすいことか。
「美味そうだな……」
「ね、買っていかない?」
「……そうだな。朝飯前だけど、一個くらい大丈夫だろ」
二人で顔を見合わせて、ニヤリと笑う。なんだか悪いことをしている気分だ。
近くで食べようと思ったが、人が多すぎて、下手すればミアの正体がバレるかもしれない。
市場の近くには、広瀬川という川が流れている。なんとなく、その辺りまで歩いてみることにした。
広い川辺に、人影はない。俺たちは、適当なところに腰を下ろした。
時折吹く涼しい風は、人ごみで火照った体を冷やしてくれる。
「よかった、まだホカホカだね」
ミアは、大きな口でコロッケにかぶりつく。
その瞬間、サクッという小気味のいい音が聞こえた。
「ん~! 美味しい……! ほっくほくだ!」
ミアは足踏みするように、足をパタパタと動かす。美味いものを食べているときのこいつは、いつもより少しだけ幼くて、可愛らしい。
我慢できず、俺もコロッケにかぶりついた。ホクホクのじゃがいもからは、ほのかな甘みを感じる。ほどよく利いた塩気が、その甘みをさらに引き立てていた。
使い切りのソースがついてきたのだが、これを使わずとも、コロッケの味だけで十分だ。
「なんか、ツアー中とは思えないくらいのんびりしてるかも」
川を眺めながら、ミアが小さく笑う。
水面の光が、ミアの瞳の中でキラキラと輝いている。
「凛太郎君がいてくれるから、いつもと変わらない感じでいられるのかな」
「はは、嬉しいこと言ってくれるな」
昨日の晩、玲からも似たようなことを言われた。
特別なことはしていないと思っているが、それでいいと言われている気がして、安心する。
「この調子で、毎回ついてきてくれたら嬉しいんだけどね」
「そりゃご免だね。俺は、専業主夫のほうが向いてるし」
「あらら、それは残念」
今回は特別についてきただけで、俺はあくまで普段の生活を支える立場だ。
しかし、本当に俺の助けが必要なときは、いつでもまたこうしてついていくつもりだ。
「ついでに、一生添い遂げてもらおうと思ったのに」
「どんなついでだよ……ったく、よく恥ずかしげもなく言えるよな」
「だって、本気だからね」
ミアが、俺の顔を覗き込んでくる。
妖艶に微笑む彼女の顔は、ゾッとするほど美しい。
「――――さて、ボクの本気が伝わったところで、ホテルに戻ろうか」
立ち上がったミアが、手を差し出してくる。
この手を取ったが最後。もう逃げられなくなってしまうのでは――――。
なんて、バカバカしい。
ミアの手を取り、立ち上がる。
俺の気持ち、変えられるもんなら変えてみろ。
「ぎゅ、牛丼⁉︎」
リハーサルが終わり、弁当を開けたカノンが、信じられないといった様子で叫んだ。
「仙台牛で作ってみた。それと、今朝市場で買った南蛮漬けもあるぞ」
「わお、お肉が大きいね……!」
「こんな豪華な牛丼、初めてよ!」
「ん、ご飯が足りなくなりそう……」
「そう言うと思って、おかわりもたくさん持ってきた」
「なら安心」
三人揃って、勢いよく牛丼をかき込んだ。
「おいひい。お肉が溶ける」
「濃い味なのも助かるわぁ。汗かくと塩気が欲しくなるのよねぇ」
「今朝買った南蛮漬けも美味しい。ね、凛太郎君?」
ミアが、ちらりと視線をこちらに向ける。
幸い、玲とカノンは弁当に夢中で、ミアの意味深な言葉に気がつかなかったようだ。
「……つゆは別で用意したから、つゆだくがよければ使ってくれ」
気を取り直して、スープジャーを見せると、揃いも揃って我先にと手を伸ばしてきて誰も譲らない。
このままでは埒があかない。並べと一喝したら、その場ですぐに列ができた。やはり、食の力は偉大である。
すっかり腹を満たした三人は、休む間もなく立ち上がる。
「さて、衣装合わせがあるから、そろそろ行かないとね」
「カノン、お腹出てる。衣装入る?」
「え⁉ うそ⁉」
「うそ」
「蹴っ飛ばすわよ⁉」
「カノン、どうどう。じゃあ凛太郎君、行ってくるね」
「ああ、行ってらっしゃい」
ワイワイと騒ぎながら、三人が去っていく。
すると、打ち合わせに呼ばれていた宇佐森さんが、入れ替わるように駆けてきた。
「あれ⁉ お嬢たちもう行っちまったか⁉」
「ああ、ついさっき衣装合わせに行ったぞ」
「そっか……。じゃあ、この間に飯食っておいたほうがよさそうだな」
「それなら、これ」
宇佐森さんに、弁当を渡す。
本来なら、スタッフには弁当が用意されているのだが……。
「牛丼だ。よければ食わないか?」
「んえ⁉︎ いいの⁉」
宇佐森さんがぴょん、と飛び跳ねた。
ミアが、宇佐森さんに餌付けしていた気持ちが分かる気がする。
「もちろん。この前から、ずっと食いたそうにしてただろ?」
「バレてたか……。実は、ずっと羨ましかったんだよ! めちゃくちゃ嬉しいぜ!」
「悪い、もっと早く用意すればよかったな」
「いや、これ以上世話になるわけにはいかないと思って……」
宇佐森さんは、弁当箱をしっかり抱えつつも、肩を落とす。
まったく、素直なんだか、素直じゃないんだか。
「弁当ひとつ増えるくらい、なんともねえよ」
「じゃ、じゃあ、明日からは頼んでいいか⁉」
「ああ、任せとけ」
そう言うと、宇佐森さんは何度もガッツポーズした。
「ありがとな! 大事に食べる!」
眩しいくらいの笑みに、俺は目を細めた。




