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そうこうしているうちに、夜になってしまった。
ぼちぼち腹も空いてきたということで、俺たちは牛タンを食べるために、宇佐森さんが予約してくれた店へ向かった。
「牛タン……牛タン……」
店の前につくと、玲がうわ言のようにつぶやき始めた。
目も虚ろで、今にも涎が垂れそうになっている。こんな姿、とてもファンには見せられない。
そそくさと店に入ると、そこにはレトロな雰囲気が広がっていた。
入って右側は、カウンター席。キッチンと一体になっているようで、大将が料理しているのが見える。
俺たちは左側の座敷に案内された。畳の上には、年季の入ったローテーブルと、座布団が置かれている。
玲たちがお上品に座ろうとする中、宇佐森さんは胡坐をかこうとした。俺が視線をやると、宇佐森さんはハッとした顔で、慌てて正座した。
「とりあえず、みんな牛タン定食は外せないよね」
ミアがメニューを広げると、そこには厚切りの牛タンがこれでもかと載った定食の写真が。
肉の枚数を選べるらしく、俺たちは迷わず一番多い六枚を選択した。
ちなみに、麦飯は何回でもおかわりできる。なんと太っ腹なことか。
「牛タンシチュー、ある」
理性を失いかけているバケモノのような声色で、玲がメニューを指す。
一般的なビーフシチューならよく作るが、タンシチューは作ったことがないうえに、食べたこともないな。
「みんなで、分ける」
「お、おう……そうしよう」
幸い、暴走した玲が破壊の限りを尽くす前に、注文した料理が届いた。
「おお……!」
思わず声が漏れる。
仙台には名物がたくさんあるが、中でも有名なのは、やはりこの牛タンだろう。
これを食べずして、東京に帰れるはずがない。
分厚い牛タンは、香ばしい炭火の匂いを漂わせながら、てらてらと輝いていた。
それから、透き通ったテールスープ、南蛮味噌、白菜の漬物、麦飯、とろろが並んでいる。
この南蛮味噌も気になっていたのだ。青唐辛子を味噌に漬け込んだもので、牛タン定食には欠かせない存在。自分じゃなかなか作ろうと思わないものだし、こういう機会にしかと味わっておきたい。
「でっか……」
牛タンをひと切れ持ち上げながら、カノンがつぶやく。
カノンは、そのまま牛タンを口に運ぶと、うっとりとした表情を浮かべた。
たまらず、俺も牛タンを口に運ぶ。
肉質は驚くほど柔らかい。サクッとした歯ごたえがありつつも、簡単に噛み切れてしまう。これは、上質な牛タンならではの食感だ。
口に入れたそばから、溶けるように肉の旨味が広がる。
あまりの美味しさに、天を仰いだ。
「おいひい……おいひい……」
玲が、一心不乱に牛タンを食らっていた。
これでようやく、玲の腹も満たされることだろう。
黙々と食べていると、牛タンシチューが運ばれてきた。
濃厚なデミグラスソースの香りが、さらに食欲を刺激する。
深い茶色のシチューの中央には、巨大な牛タンステーキが鎮座している。見るからにほろほろで、相当な時間煮込まれていることが分かる。
「おわっ、スプーンで切れる……!」
宇佐森さんが、牛タンにスプーンを刺し込むと、まるでプリンのように沈み込んでいく。
取り分けられたシチューを受け取り、すぐさま口に運ぶ。
シチューからは、肉と野菜の奥深い旨味がする。味はしっかりと濃いのに、決してくどいわけではなく、食べる者への気遣いすら感じるほどの優しさだ。
そして、この信じられないほど柔らかい牛タン。
口に入れた瞬間、溶けてしまったと錯覚するほどの柔らかさ。
角煮やチャーシュー、いや、それ以上の柔らかさかもしれない。
幸せな気持ちが、次々と押し寄せてくる。
もし、これを家で再現することができれば……。
――――いや、よそう。
今は、この幸せに没頭するべきだ。
今後のことなんて、あとでだって考えられる。
「……大満足」
麦飯を何回もおかわりした玲が、ようやく手を止めた。
テーブルの上には、すっからかんになった皿が並んでいる。
シチューの皿なんて、洗ったのかと思うほど綺麗になっていた。
店を出てホテルに向かう道中。俺はあるものを見つけて、足を止めた。
「どうかしたのかい?」
「悪い、ちょっと待っててくれ」
駆け足で向かった先には、肉屋があった。
ちょうど、明日の弁当をどうするか考えていたところで、この店の看板に〝仙台牛〟と書かれているのを見つけ、アイデアが浮かんできたのだ。
俺は、迷わず目当ての肉を購入した。
ホテルに戻り、早速明日の弁当の準備を始める。
ちなみに、今回はちゃんと一人部屋である。宇佐森さんが寝ぼけて部屋を出たりしないかは心配だが、モーニングコールをする約束をしたし、大丈夫だろう。
さて、気を取り直して、弁当の準備を進める。
まずは、たまねぎをくし切りにして、砂糖、醤油、酒、みりん、おろししょうが、水を入れた鍋で煮る。
たまねぎが透き通ってきたら、仙台牛の切り落としを、解しながら入れる。
さすがは仙台牛。切り落としでありながらも、赤身にしっかりサシが入っている。焼いて食べてみたいところだが、今日のところは我慢だ。
アクを取りながらしばらく煮込めば、牛丼のもとの完成。
米の用意もしておけば、明日の朝はかなり楽になる。
ひと通り準備が終わり、ひと息ついたところで、部屋の扉がノックされた。
ドアスコープを覗き込むと、廊下には玲の姿があった。
「どうした?」
「いい匂いがした」
「お前……すごいな、ほんとに」
血走った玲の目を見て、その食い意地に驚く。本当に犬みたいだ。
「もう腹減ったのか?」
「少し」
そう言うと、玲の腹が抗議するかのように鳴った。
少しどころじゃないよ、と言っている気がした。
「……仕方ねぇなぁ。なんか作ってやるよ」
「ありがとう。とても助かる」
呆れながらも、玲を部屋に招き入れる。
さて、もうひと仕事といきますか。




