7-4
がやがやと喧騒が激しいパーティー会場に、俺は立っていた。
ああ、またこの夢か――――。
そう思いながら、この前と同じ光景をただ眺める。
父親同士の会話。
俺と少女の小さな悪事。
それが終わったところで、この夢は終わる。
「――ろう――――凛太郎!」
名前を呼ばれた気がして、俺はゆっくりと目を開ける。
まず金色のカーテンが見えた。そしてすぐにそれが彼女の髪であることに気づく。
「玲……?」
「ただいま。大丈夫?」
「え、あ、ああ……」
どうやら帰宅してすぐにソファーで寝てしまっていたらしい。
制服のまま寝ていたせいか、少し皺ができていた。
「あとでアイロンをかけねぇとな……って、悪い、今何時だ?」
「19時くらい」
「あー……悪い、飯が用意できなかった。まだ待てるか? うどんかパスタでよければ作れるから」
「それならうどんがいい。正直……私も今日はそこまで食欲がない」
「……そっか」
玲の表情はどこか浮かない。
三者面談で何かあったのかもしれないな。
「じゃあ少し待っててくれ。十五分くらいでできるから」
「分かった。いつもありがとう」
「そういう約束だしな。気にするな」
立ち上がり、キッチンへ向かう。
冷凍うどんを二つ取り出し、茹でて解凍しながらめんつゆベースのスープを作った。
少し焼いたネギと油揚げを乗せて、ひとまず完成。
ソファーに座る玲の目の前にどんぶりを置き、箸を添えた。
「できたぞ」
「すごくいい匂い」
「もし足りないようなら言ってくれ。うどんはまだあるから」
「分かった。いただきます」
俺も彼女の隣に座り、器を持ってうどんをすする。
うん、落ち着く味だ。
ネギはほどよく芳ばしく、油揚げは一口噛むごとに汁がじわりと滲み出てくる。
美味い美味いと騒ぐほどではないが、優しい味のおかげで徐々に心は落ち着きを取り戻してきた。
食事を終えた俺たちは、ソファーに並んでテレビを見始める。
別に見たい番組があったわけではない。
何となしに間を持たせるため、適当につけただけだ。
画面の中には、若いながらにスタジオを沸かせる芸人が映っている。最近この人よく見るな――――なんて思いつつ、ちらりと横目で玲の顔を確認した。
「食欲がないのは……この前言ってた悩みごと関係か?」
「ん……どうして分かったの?」
「別に、ただの勘だよ。でもお前が思い詰めているところなんてほとんど見たことないから、そうなんじゃないかって思ったんだ」
「……大正解」
ため息が漏れる。
それなら、俺にどうにかできる話ではない。
あのデートの時、俺にそれを手助けすることは不可能とはっきり告げられたからだ。
「お父さんが、次のライブを見に来るの」
「……へぇ」
「お父さんは、私のアイドル活動にずっと反対している。できることなら辞めさせたいって、ずっと言っている」
玲は顔を伏せ、太ももの上で指を組む。
「今度のライブで私が失敗して恥をかくようなことがあれば、きっともうアイドル活動を許してもらえなくなる。普通の女の子に戻って、いつか家の利益につながる相手と結婚させられるかもしれない。それが……すごく怖い」
玲は、カノンとはまた違うプレッシャーを抱えていたようだ。
こう言ってはなんだが、アイドル活動に反対する父親の気持ちというのは少し分かる。
アイドルは危険な犯罪に巻き込まれる可能性も高いし、今のご時世だと言われもない噂で炎上して、人生が終わってしまうこともある。そんな世界で生きていく娘を心配しないわけがない。
「今までのライブも、プレッシャーはすごく感じてた。でも、今回はまた一味違う。目の前でお父さんに見られると思ったら、まだ二週間近く時間があるのに……緊張している」
「失敗……できねぇもんな」
俺の言葉に、玲は力なく頷いた。
確かに、こんな問題は俺にはどうすることもできない。
解決するためには玲がこのプレッシャーを乗り越え、ライブを成功させるしかないのだ。
「俺にはそういうプレッシャーを感じるようなシチュエーションがよく分からないが……いつも通りの玲なら失敗するようなことはないと思うぞ」
「いつも通りの、私……」
「まあそれが難しいことだってのは分かるけどな。俺にできることと言えば、せめてお前の日常くらいはいつも通りに保ってやることだけだ」
作る飯や、普段の接し方。それらすべてに特別な意味を持たせない。せめて生活面だけでもプレッシャーを感じずに済むようにする。
どれだけ努力しても、俺にできることはその程度だ。
「ううん。それで十分。結局は自分でどうにかしないといけないって、私が一番よく分かっているから。だけどそうやって気を使ってもらえるだけで、とても嬉しい」
「……そうか」
気の利いた言葉など、何一つ思いつきやしない。
ライブまであと二週間。
俺はただ、玲たちの成功を祈るのみである。
◇◆◇
玲が部屋に戻って、時刻は23時半と言ったところ。
明日は土曜日の休日であるため、早く寝なければならないという焦りはない。
ただ午後からはまた優月先生の下で単行本に収録される短編の作業があるのだが――――。
「俺にできること、か」
制服にアイロンをかけながら、そんな言葉をつぶやく。
小さい頃は、テレビ画面で活躍するヒーローのように何でもできる気がしていた。万能感というやつだ。
しかし今となっては、そんなものはとうに失っている。
現実を知り、限界を知った。
カノンの悩みも、柿原の悩みも、玲の悩みも、どれも俺の手には余るもの。
そして俺の悩みもまた、彼らにはどうすることもできないものであるはずだ。
そういう時は、もはや首を突っ込むことだけが正義じゃない。
首を突っ込んだ結果解決できなかったなら、それはきっとお互いが苦しい思いをするだけだ。
「……はぁ」
一つ、大きなため息が口から漏れた。
それと同時に、スマホの画面にラインの通知が届く。
何となくデジャヴを感じつつ確認してみれば、そこには"宇川美亜"の名前があった。
『今からそっちの家にお邪魔できないかな? 少し話がしたい』
本当にデジャヴだった――――。
俺はラインに既読をつけ、フリックして文字を打つ。
カノンのことは受け入れておいて、ミアのことは突っぱねるなんてことはさすがにできない。
『分かった。玄関は開けとく』
『ありがとう。すぐ行くから』
数十秒と待たずにそんな返信があって、ラインでのやり取りは終わった。
俺は玄関に向かい、鍵を開ける。
そしてその足でキッチンまで戻り、カノンの時と同じようにコーヒーの準備を始めた。
好みの味は俺と同じで、ブラックだったはず。
やはりどことなくミアには親近感を覚えるんだよなぁ……。