62-4
「それじゃ、私たちはこれで」
家の前で降ろしてもらった俺たちは、親父とソフィアさんに向かって軽く会釈した。
「今日は貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました」
「それはこちらも同じだ。……また、誘ってもいいだろうか?」
「もちろんです。ボクらも楽しみにしています」
ミアがそう言うと、親父はフッと笑った。
ソフィアさんが車を出し、家から遠ざかっていく。
やがて完全に見えなくなってから、俺は深くため息をついた。
「だぁ……疲れたぁ」
「やだやだ、凛太郎ったら。おじさんみたいなため息ついちゃって」
「仕方ねぇだろ……親父といると、まだまだ神経使うんだよ」
あと、こいつらが変なことを言いださないか警戒し続けていたのも、ここまで疲れた原因だった。今更言ったって仕方ないし、ダラダラ愚痴るつもりはないが。
「まあまあ、とりあえず家に入ろうよ。ここじゃ寒いしさ」
「ん、賛成」
家に入ると、温かい空気が俺たちを包み込んだ。
まさか、この家がホッとする場所になるなんて、夢にも思わなかったな。
「コーヒー飲むか? 今から淹れるけど」
俺がそう訊くと、三人とも素早く手を挙げた。
いつも通り、四人分か。
「了解。ちょっと待ってろ」
キッチンに向かい、コーヒーを淹れる。
その間、三人はドレスを脱ぐために、各々自室に戻った。
「ふぅ……」
コーヒーを淹れ終わり、ネクタイを緩める。
あいつらが着替えている間に、俺も部屋着になるか。
いつまでもこの格好では息が詰まるし、一応親父の服だから、汚さないようにしなければ。
「あら、もう着替えちゃうの?」
自室に向かおうとすると、ちょうどカノンと鉢合わせた。
素足を晒した部屋着姿は、毎回寒くないのかと心配になる。
「汚しちゃまずいからな」
「そうね。でも、ちょっと残念」
「え?」
「結構似合ってたから、もったいないなーって思って」
「からかうなよ……」
「いやいや、ほんとのことよ? お世辞なんかじゃないわ」
そう言いながら、カノンは俺の目を覗き込んできた。
そして俺が動揺しているのを確認したカノンは、満足げに笑った。
「……そういうお前だって、ずいぶん似合ってたけどな」
「そりゃそうよ、自分で選んだんだから。あたしのことを一番よく分かってるのは、あたし自身なの」
「ははっ、これ以上ないドヤ顔をどうも」
こいつを褒めたところで、反撃にはならないらしい。
なんという自己肯定感。羨ましい。
「次にあんたのスーツ姿を見られるのは、いつになるかしら」
「さあな。またああいう店に行く機会があったら、着ることになるんじゃねぇか?」
自分から行くことはないだろうけどな。金銭的に。
「……じゃあ、あたしと行かない?」
「え?」
カノンが、俺の横を通り過ぎる。
「あんたのスーツ姿、また見たいのよ。高いレストランなんていくらでも連れてってあげるから、そのとき着てくれない?」
「……別にいいけど」
「やった。約束よ?」
幸せそうに笑ったカノンは、そのままリビングのほうへ消えていった。
このスーツ、そんなに似合っていたのだろうか?
だったら、悪い気はしないな。
部屋着に着替えてリビングに戻ると、すでに他の三人はソファーに集まっていた。
三人が見つめているテレビの画面には、ミルフィーユスターズの特集が流れている。
夜の番組でも取り上げられているなんて、相変わらずの人気だ。
「あ、凛太郎君。コーヒーいただいてるよ」
「おう」
各々が自分のマグカップを持ち上げた。
自分のマグカップがあると、中身の取り違えが起きないから便利だ。
「お義父さんへの挨拶も終わっちゃったし、あとは武道館ライブへ一直線ね」
「ん、今日でまた気合いが入った」
「ふふっ、そうだね。お義父さんに恥ずかしい姿は見せられないし」
よく分からないが、三人ともやけに目が燃えている。
あんな食事会で、何故気合いが入ったのだろうか……。
「凛太郎、あんたはもちろん特等席で見てくれるわよね?」
「ああ、さすがに見逃すわけにはいかねぇよ」
特に、武道館ライブは玲の夢だ。
玲が夢を叶えるところを見届けなければ、ここまで支えてきた甲斐がない。
「そうだ、ライブが終わったら、打ち上げとかどうかな?」
「おお! いいわね、それ!」
「ん、賛成」
提案者のミアが、俺を見る。
「凛太郎君、急で申し訳ないんだけど……」
「打ち上げ用のご馳走の用意だろ? もう分かってるって」
「あはは、バレてたか」
ミアは、わざとらしく頬を掻いた。
最初から俺に用意させるつもりだったくせに、つくづく役者な女だ。
ま、頼まれなかったときは、自分から提案させてもらうつもりだったけど。
「ライブが終わったら、カロリーは気にしなくていいよな?」
「ん。なんでも食べられる」
「よし、やってやろうじゃん」
こいつらが胃袋を完全開放するということは、戦争が始まるということ。
何十人前という料理を、ひとりで用意しなければならない。
過酷なことは分かり切っているが、今の俺のモチベーションを舐めてはいけない。
手抜きは一切しない。すべてをメインディッシュ級に仕上げてやる。
「とびっきりの料理で迎えてやる。楽しみにしとけ」
三人に向かって、俺はそう啖呵を切った。