62-3
「その……こういう話をするのはどうかと思ったのだが……」
見たこともないような料理を楽しんでいると、親父が口を開いた。
「君たちは、凛太郎についてどう思っている?」
「ぶっ――――」
飲んでいた水を噴き出しそうになり、俺は慌てて口元を押さえた。
「な、何訊いてんだ親父!」
「すまん……」
何か気になることがあったから、親父は三人に話しかけたのだろう。
しかし、それをどう訊いたものか分からなくなってしまい、直接的な言葉だけが飛び出してしまったようだ。
ああ、不器用にもほどがある。
親父にコミュニケーション能力が欠けていることは理解しているが、まさかこれほどとは。
「ふふっ」
親父の狼狽が面白かったのか、ミアが口元を押さえながら笑った。
「凛太郎君には、いつも感謝しています。毎日美味しいご飯を用意してくれますし、ボクらが過ごしやすいよう、常に家のことをやってくれますし」
「お、おい……真面目に答えなくていいって」
慌てふためく俺を見て、カノンがニヤリと笑った。
「あたしもミアと同じです。凛太郎にはいっつもお世話になってます! 特に料理は、あたしたちのことを一番に考えて作ってくれているんですよ?」
「ぐっ……!」
こいつら、俺をからかいたいだけだろ。
「凛太郎は、私たちのことを一番に考えて、支えてくれています。そのおかげで、私たちはアイドルとして活動することができているんです。本当に、感謝しています」
「……そうか」
玲の言葉を最後まで聞いた親父は、目を細めて笑った。
いつもは不愛想なくせに、今日はよく笑うな、おい。
「あ、凛太郎がそっぽ向いちゃったわ」
「うるせぇ……今話しかけんな」
水を一気飲みして、火照った体を落ち着かせる。
どうしてこいつらは、やたらと俺を褒めるんだ。居心地悪いったらありゃしない。
「……人に恵まれたな、凛太郎」
「――――ああ、そうかもな」
そっぽを向いたまま、俺は親父の言葉を肯定した。
恵まれている自覚はある。俺の周りにいる者は、みんないいやつだ。
俺がこうして充実した日々を送れているのは、みんなのおかげだ。それを恵まれていないだなんて、口が裂けても言えない。
「見ての通り、凛太郎はとても不器用だが、優秀で、気配りができる男なのは私が保証する。どうか、これからもよろしく頼む」
そう言って、親父は玲たちに深く頭を下げた。
天下の志藤グループ社長が頭を下げたことに対し、彼女たちは目を見開いた。
「……はい、もちろん」
微笑みを浮かべた玲が、深く頷く。
もはや拷問だろ、この空間。
それから、妙に打ち解けた雰囲気になった親父と彼女たちは、色々な話をし始めた。
あの親父と打ち解けることができるなんて、若くして芸能界に揉まれている連中は、やはりコミュニケーション能力が高いのだろう。
ただ、さっきから話題が俺に関することばかりなのは、頼むからやめてほしい。
こんなんじゃ、せっかくのフルコースが喉を通らなくなる――――なんてことはなく。
他のレストランとは一線を画す料理たちは、居心地の悪い空間であっても、俺に強い衝撃を与えた。
スープ、魚料理、肉料理、デザート。どれも、新たな味覚を開花させるような、今までにない料理ばかりだった。
拷問に耐えた甲斐があったと、心から思う。
「社長、そろそろお時間です」
「ああ、もうそんな時間か」
いつの間にか、長い時間が経っていた。
ぼちぼち帰らないと、遅くなってしまう。
「カノン君。CMの依頼については、後日事務所のほうに連絡させてもらう」
「はいっ! ぜひ!」
――――おい、なんの話だ。
「志藤グループのCMにボクらを起用してくれるって話さ」
俺がきょとんとしているのを察してか、ミアがそう説明してくれた。
「これまで、志藤グループは芸能関係の力をほとんど使わなかったから、かなり話題になるだろうね。ボクらもすごく楽しみだよ」
「……いつの間にそんな話つけてたんだよ」
「君が料理に夢中になっているときさ。周りの話も聞こえていなかったなんて、本当に集中してたんだね」
「……ああ、まあな」
そうそう何度も食べられるもんじゃないし、絶対忘れてなるものかと、脳の奥の奥まで味を刻み込もうと必死だった。
そりゃ、周りの話も聞こえなくなるわけだ。
「営業ってのは、どの業界でも大事よ! どこからどんな縁が繋がるか分からないんだから!」
俺たちのそばに来て、カノンが胸を張る。
まあ、言っていることは正しいのだろう。
「皆様は、私がご自宅までお送りいたします。どうぞこちらへ」
帰り支度を整えた俺たちに、ソフィアさんが言った。
このまま帰る前に、俺にはひとつ、やり残したことがある。
「親父」
「ん?」
「ちょっとだけ、時間くれねぇか」
「今からか?」
「ああ、今から」
俺がそう言うと、親父は頷いた。
「悪い、お前ら。ちょっと先に行っててくれ」
「ん……分かった」
心配そうに俺を見る玲に、思わず苦笑いしてしまう。
「大丈夫だって。ちょっとした話だから」
こくりと頷いた玲は、ソフィアさんに連れられて部屋を出ていく。それに続いて、ミアとカノンも部屋をあとにした。
さて、ここからは家族水入らずってやつだ。
「――――それで、話とは?」
「……進路についてだよ」
俺がそう言うと、親父は顔をしかめた。
「まさか、お前と将来の話をすることになるとはな」
「こっちだって驚いてる」
「……好きにすればいい、と言いたいところだが、それをよしとしなかったのは、私のほうだったな」
申し訳なさそうに目を伏せる親父を見て、俺は首を横に振った。
「別に、ひとり暮らしの条件については、なんとも思ってねぇよ。むしろ、許してくれただけ感謝してる」
「だが……」
「俺がしたいのは、これからの話だよ、親父。いや、まあ……こんな話されてもって思うだろうけどさ」
「……?」
「相談してぇんだ、その……進路についてさ」
「相談、か。何か、やりたいことでもできたのか?」
「まあな。……この先、当分はあいつらと関わることになると思う」
そう言って、俺は玲たちが座っていた席を見る。
「さっき、あいつらも言ってくれたけどさ、俺の料理を楽しみにしてくれてるんだ」
彼女たちは、これからもどんどん大きくなっていく。
世界中の人間を熱狂させる日だって、近いかもしれない。
そんな彼女たちを支えようとする俺が、やはりこのままでいいはずがない。
「もっと、あいつらが喜ぶ顔を見たいんだ。そのためなら、大学に行かないって選択肢が出てくる可能性だってある」
「……」
「親父。あんたはそれを許してくれるか?」
親父は俺から顔を逸らし、窓から外を見下ろした。
「私は、親としてはこの上なく未熟だ。子の将来をどう考えたらいいのか、皆目見当がつかない。……だが」
親父は、俺のほうへ向き直る。
「好きにしたらいい。私にできることがあれば、なんだって、喜んで協力する」
「……ははっ、大袈裟だな」
俺としては、進路を選ぶ許可さえくれたらそれでよかったのに。
もちろん、何か失敗をしたとしても、親父のせいにしたり、頼ったりするつもりは毛頭ない。
今の親父なら、俺への負い目で、どんな頼みでも聞こうとするだろう。
それは俺の望むところではないし、俺の人生には、自分でちゃんと責任を取りたい。
自分の足で歩きたい。だから、その許可がほしかっただけなのだ。
――――とはいえ。
親父の言葉が、嬉しくなかったと言えば嘘になる。
「訊きたかったのはそれだけだ。悪いな、時間取らせて」
「いや……」
「行こう。これ以上あいつらを待たせちゃ悪い」
にやけた顔を見せたくなくて、俺はそそくさと部屋を出た。
自分で言うのもなんだが、俺が素直になれる日は来るのだろうか。
……無理だな、多分。ま、別にいいじゃねぇか、それでもさ。
俺たち親子の関係は、これでいいんだ。