59-1 おせちと決起会
元日の朝八時。
今日ばかりは、さすがの俺も少し遅めに起きた。
昨日は午前三時頃までのんびりと過ごし、眠たくなった者から、順に寝た。
「ふわぁ……」
大あくびをしながら、自室を出る。
大掃除から始まり、大量のおせちの準備、そして年越しそば作りと、ここ数日は想像以上に忙しい日々を送っていた。そのせいか、やけに眠い。とはいえ、二度寝している場合じゃない。
リビングに来ると、そこには誰もいなかった。
三人とも、年末まで仕事で疲れていることだろう。起きてくるのは、きっと昼頃だ。
底冷えする寒さに震えつつ、暖房の電源を入れる。
さて、あいつらが起きてくる前に、おせちを重箱に詰めておかなければならない。
冷蔵庫から、昨日のうちに作っておいた料理を取り出す。
黒豆、伊達巻き、かまぼこ、栗きんとん、数の子、紅白なます、きんぴらごぼう、れんこんの酢漬け、鰤の照り焼き、昆布巻き、田作り、海老の塩焼き、筑前煮。
我ながら、よくぞこんなに作ったものだ。元日にこれだけの量が出てきたら、食べ切れずに絶望する自信がある。
ただ、これはあくまで〝一日分〟の量だ。
冷静になってみると、これが一日で消えるのは、何かがおかしい気がする。
「……それじゃ、詰めていくか」
気合と共に腕まくりをし、この日のために用意した巨大な重箱を並べる。
こんな大きさ、果たして一般家庭で使うのだろうか? これはもはや宴会用だ。
ちなみに、重箱には壱の重、弐の重、参の重、与の重と、段に応じた数字と、縁起物としての意味がある。四段目を〝四〟ではなく〝与〟と書くのは、死という言葉を連想させないためだとか。とはいえ、今では手軽なものも増え、三段しかないものや、一段にすべてまとめられたものもあるらしい。時代とは移りゆくものである。
俺がこうして四段のものを使っている理由は、一重に量が足りなくなるからに他ならない。
ただ、適当に詰めるのはあまりにも雑だし、ここは由来や意味に従っておこうと思う。
一番上に来る壱の重には、かまぼこ、栗きんとん、田作り、数の子、黒豆、きんぴらごぼう。これらは〝祝い肴〟〝口取り〟と言われるものたちだ。
このとき、盛りつける数は奇数が望ましい。なんでも、日本では奇数を縁起のいいものとし、偶数を縁起の悪いものとしているそうだ。考え方としては、結婚式のご祝儀と同じである。
続いて、弐の重。
ここに入るのは〝焼き物〟と言われる、おせちの中のメインディッシュたちだ。
俺が作ったもので言えば、鰤の照り焼きと、海老の塩焼きが入る。
参の重には〝酢の物〟が入る。
紅白なますに、れんこんの酢漬け。
これだけでは枠が余るため、伊達巻き、かまぼこを入れておく。
与の重には〝煮物〟が入る。
メインは筑前煮。そして昆布巻きを入れて、料理の配置は終わった。
あとは、見た目がよくなるよう、並べ方や数を調整して――――。
「ふぅ……こんなもんかな」
綺麗に盛りつけられたおせちは、まるで宝石箱のようだ。
我ながら、よくここまで用意できたと思う。
今のところ、まだ彼女たちが起きてくる気配はない。
しばらくはのんびり過ごしてよさそうだ。
コーヒーを淹れてから、ソファーに深く腰掛ける。テレビをつけてみると、生放送中のバラエティ番組が映った。
人気の芸人たちが、体を張って笑いを取ろうとしている。
――――新年早々よくやるなぁ……。
芸人がローション相撲をしている様子をボーっと眺めながら、コーヒーを飲む。
うむ、暇だ。腹は空いているけど、先におせちに手をつけるのは、抜け駆けのようで気が引ける。
再びコーヒーに口をつけると、突然スマホが震えた。
画面を見ると、優月先生からメッセージが届いていた。どうやら、新年の挨拶のようだ。
『やっほー! あけおめ! そしてことよろ! 今年はもう受験生でしょ? 何か困ったことがあったら、お姉さんを頼っていいからね! 追伸。来月頭、修羅場ありけり。救援希望』
そんなメッセージを見て、俺は苦笑する。
「本題は後半なんだろうな……」
売れっ子漫画家である優月先生は、俺をバイトとして雇ってくれていた。
しかし、今は玲たちのサポーターに専念するため、一時休業という形を取らせてもらっている。こうして懇願されるときは、本当にピンチのときだけだ。
優月先生には大変お世話になっているわけで、さすがにこの救援信号を無視することはできない。玲たちにも事情を説明し、手伝いに行くとしよう。
適当なメッセージを返し、俺は再びテレビに目を向ける。
すると、トントンと階段を下りてくる音が聞こえてきた。
「ふわぁ……おはよう、凛太郎君」
「おはよう、ミア」
珍しく眠そうにしながら、ミアはリビングに入ってくる。
ミルスタの中では一番朝に強いミアだが、さすがに疲れが来ているようだ。
「結構遅く起きたつもりだったんだけど……」
「あいつらなら、まだ下りてきてねぇぞ」
「そっか」
朝のルーティン通り、洗面所に向かったミアは、身だしなみを整えて戻ってくる。
「同居生活のよくないところは、寝ぐせ姿を君に見られることかな」
「今更じゃねぇか」
「こう見えて、意外と恥ずかしいんだよ?」
やれやれと肩を竦めて、ミアは俺の隣に座る。
相変わらず、芝居がかった態度が様になるやつだ。
「それにしても……。可哀想だなぁ、二人とも。こうして早起きすれば、凛太郎君と二人っきりの時間を過ごせるのに」
そう言って、ミアは俺に腕を絡めてきた。
俺はやんわり腕を引き抜き、顔をそらしながら距離を取る。
「……あれ、もしかして照れちゃったかな?」
「お前に触られて照れないやつがいるなら、今すぐここに連れてこい」
「あらら、それは難しい要求だね」
俺の肩を小突き、ミアはケラケラと笑った。
こいつも、ずいぶんと無邪気に笑うようになったもんだ。
出会いたての頃は、もう少しクールな印象が強く、何を考えているのか分かりにくい感じがあったが、今はとっつきやすいとすら思う。
きっと、俺もミアも、お互いに心を開くことができた――――ということなのだろう。
「まあまあ、そう突っぱねなくてもいいじゃないか」
再び、ミアが俺との距離を詰めてくる。
もう、距離を取るような真似はしない。ここで同じことをしたら、まるで俺がミアにビビっているようではないか。
「おや、今度は耐えるね。だったら、もう少し攻めちゃおうかな」
ミアは、さらに俺に体をくっつけてきた。
いい加減、やられっぱなしって言うのも癪だ。
そっちがその気なら、やってやろうじゃないか。
「……先に仕掛けたのはそっちだからな」
「え?」
俺は勇気を振り絞り、ミアの肩に手を回した。
そして、そのまま自分のほうへ強く抱き寄せる。