58-1 大晦日
『ミルフィーユスターズで、〝スノウメルト〟でした!』
九十八インチという、バカでかいテレビ画面の中で、ミルフィーユスターズの三人がやり切った顔でお辞儀をする。
今日は十二月三十一日、大晦日。
我らが国民的アイドル、ミルフィーユスターズは、大晦日の特大歌番組に出演していた。
SNSは、初出演のミルスタに大盛り上がり。次に出演するアーティストが、気の毒に思えるほどの熱狂っぷりだ。
「さてと……」
彼女たちの出番を見届けた俺は、チャンネルをそのままに、キッチンへと向かった。
何を間違ったか、俺はミルフィーユスターズと共に、この家で暮らしている。
日付が変わる前に、彼女たちはこの家に帰ってくるはずだ。それも、相当腹を空かせて。
彼女たちを労うため、そして、来る新年に向けて、年越しそばを用意しておかなければならない。
そばは帰ってきたあとに用意するとして、その前にトッピングの下ごしらえをしておく。
年に一度のイベントだし、豪勢なものにしたい。そう思って買ってきたのは、鴨のロースだ。
中々見つからず、かなり探し回ってしまったが、なんとか手に入ってよかった。
鴨肉なんて、普段の料理じゃまったく使わないし、作る側としても楽しみである。
まずは、長ネギを食べやすいサイズに切る。
今から用意する〝鴨南蛮そば〟は、鴨にばかり目が行きがちだが、実はネギも立派な主役なのだ。そもそも、南蛮という言葉は、そば屋の言葉でネギを意味している。
江戸時代に来日した南蛮人が、ネギをよく好んでいたことから、南蛮と言うようになったらしい。まあ、他にも南蛮呼びされていたものはあったようだが、それはまた別の話。
つまり、鴨南蛮そばとは、鴨と、ネギが載ったそばということになる。
――――なんて、レシピを調べているときに得た知識を思う存分披露したところで、準備のほうに戻ろうと思う。
ごま油を引いたフライパンでネギを炒めながら、鴨肉に塩を振り、よく馴染ませておく。
そして、ネギを炒めているフライパンに鴨肉を入れ、全面に焼き色をつける。
ほどよく焼き色がついたら、アルミホイルに包んで、しばらく放置。
その間に、鰹節で取った出汁に、しょうゆ、料理酒、みりん、三温糖を入れ、煮汁を用意する。
あとは、この煮汁に鴨とネギを入れ、しばらく煮立たせたら、メインのトッピングの準備は完了。
これだけでも、トッピングとしては十分かもしれないが、俺はまだ満足していなかった。
煮立つのを待つ間、かまぼこ、てんぷらの準備を進める。
鴨肉を探している途中で見つけた、大きな海老。これをてんぷらにしなければ、年越しそばを楽しみつくしたとは言えない。
海老の処理は少し面倒臭いが、面白くもある。
頭を外し、背わたを抜く。尾の剣先を取り、殻をむき、油に入れたときに丸まってしまわないよう、腹側に包丁を入れて、身が真っ直ぐになるようにする。
あとは水、全卵、薄力粉で衣を用意しておけば、てんぷらの準備も完了だ。
「よし、こんなもんか」
ひと息つくため、俺はコーヒーを淹れることにした。
挽いた豆にお湯を注ぐと、コーヒーのいい香りが広がっていく。
賑やかな日常に慣れてしまったからか、たまにはこういうひとりの時間というのも、息抜きとして悪くない。
ひとりで使うには広すぎるソファーに腰かけ、再びテレビをぼんやりと眺める。
画面の向こうでは、有名なアーティストが自身のヒット曲を歌っている。
詳しくは知らないが、確か、何かのドラマの主題歌だったはずだ。
「……」
ふと思い立って、テレビの動画配信アプリを開く。
このアプリでは、ミルスタのライブ映像が配信されている。
一年前のものらしい。高校一年生の頃の彼女たちは、今よりも初々しい姿で映っていた。
「ははっ、まだ玲とも話してないときだ」
笑いどころではないが、なんだか微笑ましい気持ちになった。
玲と話すようになったのは、確か五月頃の話。それから一年足らずで、ひとつ屋根の下で暮らすようになった。よくもまあ許されているものだと、今更ながらに困惑する。
来年になったら、いよいよ進路について真剣に考えなければならないときが来る。
俺は大学に行くという目標を掲げているが、その先のことはまるで考えていない。
専業主夫になる。それは俺の変わらない夢だが、あくまで最終目標だ。
つまるところ、一度は社会人を経験するつもりはあるわけで、その際に何をするか、自分の〝やりたいこと〟が見えてこないのだ。
どうせ専業主夫になるなら、間に合わせの仕事でもいい。そう囁く俺がいる。
ただ、自分の夢を叶え、無我夢中に走り続ける玲たちを見ていると、そんな投げやりでいいのかと思ってしまう俺もいる。
困ったものだ。良くも悪くも、俺の人生は、玲たちによって大きく変えられてしまった。
ふと、玄関のほうで物音がした。
どうやら、彼女たちが帰ってきたらしい。
テレビを歌番組に戻した俺は、彼女たちを出迎えるべく、玄関へと向かった。
「ただいまー! はー! 寒いったらありゃしない!」
帰ってきて早々、カノンが中年女性のように叫んだ。
テレビとはまるで違う姿に、俺は苦笑いを浮かべる。
「おかえり。そんで、お疲れ様」
「ただいま、凛太郎君。……コーヒーの香りがするね」
「飲むか? すぐに淹れるぞ」
「ぜひ。あ、でも先にお風呂行きたいかな」
ミアがそう言うと、カノンがビシッと手を挙げた。
「賛成! もう三人まとめてでもいいから、早くあったまりたいわ!」
「私も、賛成」
最後に入ってきた玲が、カノンに続いて手を挙げた。
「おい……さすがに三人まとめては狭くねぇか?」
「大丈夫じゃないかな。ほら、前に四人で入ったことあるし」
「ぶっ……」
噴き出しそうになり、慌てて口元を押さえる。
「その話はするな……!」
「あれ? あんまり覚えてないんでしょ? だったらいいじゃないか」
「だから逆に怖ぇんだよ……」
自分が何をしたか覚えていないというのが、一番怖い。
酔っぱらって記憶を飛ばす人は、きっとこういう気持ちなのだろう。
「凛太郎も、一緒に入る?」
「何を真顔で訊いてんだ、お前は……」
真顔で訊いてきた玲に、俺は頭を抱えた。
相変わらず、玲の言葉は本気なのか冗談なのか分かりづらい。
「……すぐにお湯張ってやるから、着替えて待ってろ」
「ん、ありがとう」
深くため息をついて、俺は風呂場へ向かう。
お湯張りのボタンを押し、なんとなくお湯が出る様を眺めていると、リビングのほうから彼女たちの声が聞こえてきた。
「はぁ~~~~やっぱり家が一番ねぇ」
「カノン、ちょっとおばさん臭い」
「はぁ⁉ どこがよ⁉」
「瑞々しさの欠片もない発言のせいじゃないかな。とても高校生アイドルには見えないよ」
「仕方ないじゃない! 今日まで死ぬほど頑張ったのよ⁉ もっとみんなあたしを労え!」
「ん……労われたいのは同意」
「そうよね? そう思うわよね? ……ていうか、なんかネギの匂いしない?」
「……カノン、さすがのボクも、いよいよ擁護できないよ」
「あたしも〝やべっ〟って思ったわよ! ごめんなさいねっ!」
――――ふざけた会話だなぁ。
思わず笑ってしまった俺は、順調にお湯が溜まっているのを確認して、浴室を出た。
ひとりの時間は好きだ。だけど、この賑やかな時間を、それ以上に好きになっていた。