57-3
気合を入れて臨んだはずなのに、すでにドッと疲れている。
しかし、残すは玲の部屋だけ。
このあと家全体の掃除が待っているというのは置いといて、玲の部屋を片付けたら今日の難関はすべてクリアだ。
――――最後が一番しんどいんだけどな……。
玲の部屋は、ミアとカノンと比べて散らかり具合の次元が違う。
家事に対してほとんど適性を持たない玲だが、中でも片付け、掃除に関しては壊滅的と言っていい。
洗濯を覚え、料理も覚えたのだから、片付けだっていつかできるようになる可能性は十分ある。いつになるかは、まったく見当もつかないが。
「ふぅ……玲、今大丈夫か?」
そう声をかけてみたが、返事がない。
「……玲?」
ノックしてみても、部屋の主から声が返ってくることはなかった。
部屋の中にいることは、間違いないはずなのだが――――。
「……もしや」
俺はそっと扉を開け、部屋の中に入る。
すると案の定、気持ちよさそうに寝息を立てる玲の姿があった。
「だいぶ待たせちまったしな……」
思いのほか前の二人が長引いたため、退屈で寝てしまったのだろう。
驚いたのは、いつもなら散らばっているはずの衣服やゴミに片付けようとした跡があること。空いている時間に、少しでも自分でやろうとしたらしい。
甘やかしすぎと言われようと、そういう玲の意識の変化を、俺は褒めたいと思う。
さて、残酷なことだが、このまま玲を寝かしておくわけにはいかない。
断捨離のために、今は起きてもらおう。
「玲、起きろ」
「ん……」
身じろぎしながら、玲は目を開けた。
まさに寝ぼけまなこといった様子の玲は、何を思ったか急に俺の手を取って、頬ずりし始めた。
「んぅ……りんたろう……」
「おいおい……!」
顔が熱い。
こんなことをされて、ドキドキしない男がいるだろうか?
「れ、玲! 起きろ……!」
「……あれ、凛太郎」
意識がはっきりしたようで、玲は身を起こして周囲を見回す。
「あ、寝ちゃってた」
「いや……それは別にいいんだけどさ」
「ミアとカノンの部屋は終わったの?」
「ああ。待たせて悪かったな」
「大丈夫。ちょっと片付けて待ってた」
「おお、やるじゃん」
俺がそう褒めると、玲は自慢げに胸を張った。
まあ寝てたけどな、普通に。
「……じゃあ、やっていくか」
「ん、お願いします」
ある程度自分で片付けたとはいえ、部屋の中はまだまだ散らかっている。
目立つのは、やはり脱ぎ散らかされた服だ。
出かける前に何着も試着しては、その辺に放置してしまうらしい。
外に着ていったわけではないから、洗濯にも出さずそのままにしてしまうんだとか。
理屈は分かるが、それでもはやはり片付けたほうがいいぞと言いたい。
まあ、それをサポートするために俺がいるのだ。
「いらねぇ服とかあったか?」
「中学の頃からずっとある服とか……そういうのはもういらないかも」
「じゃあそれがどの服か教えてくれ」
「ん」
玲に判断を仰ぎながら、服を仕分けていく。
いらないと言われた服たちは、確かに今の玲の服と比べれば、一回り小さい。
新品同然のものもあったが、もう着られないだろう。
「あ、ここに入ってるブラは全部いらない」
「ブラって……」
玲が豪快にタンスを開けると、そこにはカラフルな下着類が詰まっていた。
「どうしてお前らはそんな簡単に下着を見せるんだよ……!」
「最近つけてるやつは、さすがに恥ずかしい。でも、これはもうつけられないやつだから、ただの不用品」
「意味分からん理屈だな……」
今はつけていないとは言え、下着は下着だと思うんだが。
「この辺は、全部一年生の頃のやつ。胸が大きくなったせいで、つけられなくなった」
「そういう話はいいんだよ……!」
今日は朝から永遠に気まずいな。
「こっちの体操着とかも、今着たら多分すごいことになる」
そう言って、玲は中学時代に着ていたであろう体操着を引っ張りだした。
胸元には、しっかり乙咲という文字が縫われている。
「でも、中にはそういうのが好きな男の人もいるって、ミアが言ってた」
「マジでろくなこと教えねぇな……あいつ」
「凛太郎は、体操着の女の子、好き?」
「い、いや……別に……」
「そう……」
「なんで残念そうなんだよ」
「凛太郎を〝萌え〟させたかった」
「萌えさせたってどうにもならねぇぞ……」
実ところ、興味がないと言えば嘘になる。
俺とて健全な男子高校生。興味があるのは自然の摂理。
しかし、だからこそ、素直になり切れない部分があることを理解してほしい。
「なんか、凛太郎が喜びそうな服……他にもあったかな」
「探さんでいいわ……」
もうツッコむことにも疲れてきた。
さっさとやるべきことを済ませてしまおう。
黙々と服の仕分けを進めていけば、それだけで玲の部屋はかなり片付いて見えるようになった。これだけ不用品を溜め込めるのは、ある意味才能ではなかろうか。
「ふぅ……だいぶすっきりしたな」
「ん……ちょっと寂しい」
「……分からんでもねぇな」
捨ててしまったほうがすっきりするのは理解していても、割り切れない部分はある。
他人から見れば無価値なものでも、本人にとっては、たくさんの思い出が詰まった宝物かもしれない。
だから俺も、明らかに不要なものですら、持ち主に確認を取ってから捨てている。
こうしてまとめた不用品の中には、玲がまだアイドルではなかった頃のものもあった。
彼女にとって、何か思うところがあってもおかしくない。
「悪いな、時間もらっちまって」
「ううん、自分のものだから」
「あとはゴミをまとめて、掃除機と拭き掃除して終わりだ」
「ん、あとはお願いします」
「任せろ」
そうして俺は、すぐに玲の部屋の掃除を済ませた。
「そんじゃ、別のところの掃除に行くから」
「ありがとう、凛太郎。おかげで綺麗になった」
「あいよ」
笑顔でそう返した俺は、玲の部屋をあとにした。
だいぶ時間を食ってしまったが、これで今日の難関は終わった。
あとは普段から掃除している場所ばかり。
面倒臭いと言えば面倒臭いが、やってりゃ終わる。
「ん?」
俺のスマホに電話がかかってきた。
相手は――――親父か。
「珍しいな……」
そうつぶやきながら、俺は電話に出る。
「もしもし?」
『急にかけてすまんな、凛太郎』
「ああ、別にいいよ」
今でも思うが、まさか俺が親父とこんな風に話すようになるなんてな。
人生、本当に何が起きるか分からない。
「急にどうした?」
『ああ、年始に少し時間が取れそうでな。あまりない機会だから、お前と暮らしている子たちに挨拶させてもらえないか?』
「おいおい……柄にもねぇな」
『社会人として、挨拶するのは当然だろう』
それはまあ、確かに。
むしろ今まで家主と顔を合わせていないことのほうが、よっぽど問題か。
「……分かったよ。伝えとくけど、結構忙しい連中だから、会えない可能性も十分あるぞ?」
『極力合わせるようにする。当日はお前たちに迎えの車を用意するから、指定の店で落ち合おう』
「わざわざ外で会わなくても、この家で顔合わせればいいんじゃねぇか?」
『なんか照れ臭いだろ。少しは考えろ』
「うぜぇ……」
いい歳した親父が何を言ってんだか……。
つーか、こんな愉快な男だったか?
「一応聞くけど……奢りだろうな」
『当然だ』
「それならいいよ」
『現金なやつだな』
「あんたの息子だからな」
俺がそう言うと、スマホの向こうから女の噴き出す声がした。
今のはソフィアさんの声だ。親父のやつ、スピーカーで話してんのかよ。
『ごほん……というわけで、予定を聞いておいてくれ。頼んだぞ』
「はいよ」
そう言って、俺は通話を切った。
あいつらと一緒に、親父に挨拶か……。なんか、急に緊張してきたな。
ひとまず今は掃除だ。詳しい話は、やることをやってからにしよう。