56-2
玲の要望通り、俺たちは油そばの店へと向かった。
この近辺だけで何軒もあったのだが、どこが美味いとかよく分からない俺たちは、一番口コミがよさそうな店を選んだ。
「おお、ここもちょっと並んでるな」
店の前につくと、さっきのカフェと同じように列ができていた。
かなりの人気店らしい。外の看板には、テレビで取材を受けたとか、有名ミーチューバ―が来店した、とか、宣伝文句がこれでもかと書かれていた。
「少し待つだろうけど、大丈夫か?」
「ん、ここまで来たら絶対食べたい」
「よし分かった。じゃあ並ぶぞ」
そうして俺たちは、油そばの列に並んだ。
「凛太郎は、油そば食べたことある?」
「ああ、まあ何度か」
祐介と竜二に誘われて、何回か行ったことがある。
特に竜二のほうは、見かけ通りラーメン好きで、色んな店を自分の足で回っているそうだ。三店舗くらいはしごしたことがあるとか語っていたが、塩分量を想像して、ちょっと引いた。
しかし自分の舌で確かめているからこそ、竜二が行きたがる店はどこもめちゃくちゃ美味い。その熱意を勉強のほうに回せと言ってやりたいところだが、最近はめちゃくちゃ頑張っているため、もはや言うことがない。
「スープがないって聞いた」
「ああ、スープじゃなくて、油とタレを麺に絡めて食べるんだ」
「へぇ……!」
期待の表情を浮かべながら、玲は小さく体を揺らす。
相当楽しみにしているのが、全身から伝わってくる。
「早く回ってこないかな」
「ははっ、そうだな」
子供のように目を輝かせている玲を見て、俺は自然と笑っていた。
しばらくして、俺たちは入店することができた。
まずは食券を買って、それからカウンター席へ。玲は食券制自体初めてではないものの、まったく慣れていないらしく、俺のサポートでなんとか購入を果たした。
――――にしても、特盛のトッピング全部載せか……。
玲が購入した食券を見て、俺は冷や汗を浮かべた。
ちなみに俺は、大盛のチャーシュー増し。どれだけ腹が減っていたとしても、特盛全部載せは完食できない気がする。
「これを店員さんに渡すんだよね?」
「ああ。そのとき味の濃さを訊かれるから、薄い、普通、濃いの三段階で選ぶんだ」
「おすすめはある?」
「初めてきた店だし、普通でいいんじゃないか?」
「ん、分かった。じゃあ普通にする」
カウンター越しに、店員に食券を渡す。
「お兄さん、味の濃さは?」
「普通で」
「普通で! かしこまりました! お姉さんは……」
活気に溢れた店員が、玲の食券を見て目を見開く。
「えっと……お姉さん、これ特盛だけど、大丈夫?」
「大丈夫です。食べ切れます」
「そ、そうですか……」
疑われているというより、困惑されているように見えた。
そりゃ、無理もないわな。はたから見れば、とても大食いできるようには見えないし。
「あ、味の濃さは⁉」
「普通で」
「普通で! かしこまりましたー!」
困惑しながらも、店員は己の使命をまっとうし、注文を取った。
さて、あとは待つだけだ。
「店中いい匂い……ますますお腹が空く」
「だな」
見回せば、みんな一心不乱に麺をすすっている。
その様子がとにかく美味そうで、俺たちの空腹をさらに加速させていた。
「へい、お待たせしました! こちら大盛のチャーシュー増しと、特盛の全部載せです!」
それから少しして、俺たちの前に油そばが着丼した。
テラテラとした黄色みがかった麺の上に、メンマ、ネギ、海苔、チャーシューがこれでもかと載っている。とにかく美味そうだ。
「美味しそう……!」
玲が自分の前に置かれたどんぶりを見て、目を輝かせる。
俺の器と比べると、そのどんぶりの大きさは一・五倍ほどだろうか。どんぶりの中には麺がどっさりと盛られており、その上には大量のトッピングが載っていた。
まず普通のトッピングがすべて倍になっていて、それ以外にも、温玉、もやし、キムチ、マヨネーズ、チーズなどが大量に追加されていた。
これはとても食べ切れん。さっきの店員も、心配そうな表情を浮かべ、チラチラと玲のほうを気にしている。そうなる気持ちはよく分かる。
「いただきます……!」
「……いただきます」
どんぶりの大きさには面食らったが、どうせ玲なら食べ切れる。
今俺がやるべきことは、目の前の麺に集中することだ。
「そうだ、まずはよくかき混ぜるんだぞ。底のほうに油とかタレがあるから、麺を絡めるようにするんだ」
「分かった……!」
玲は楽しそうに麺を混ぜ始める。
俺も隣で同じように混ぜているのだが、まったく規模が違うため、なんだか不思議とみじめな気分になった。これでも一応大盛ではあるんだけどな。どうして少なく見えてしまうのだろう。
「もう大丈夫かな」
「ああ、全体が混ざってるし、いい感じじゃないか?」
俺がそう告げると、玲はさっそく麺をすすった。
そして目を輝かせながら、すぐに俺のほうを見た。
「美味しい!」
「そいつはよかったよ」
俺も玲を見習って、勢いよく麺をすする。
ああ、これは確かに行列ができるのも納得の味だ。ガツンとした醤油ベースのタレと、油から感じられる甘みが、高いレベルで調和してる。食べれば食べるほど次を口に運びたくなり、箸が止まらない。
隣では、玲も夢中になって箸を動かしていた。空腹に対して、このハイカロリーな味わい……そりゃたまらんわな。
「ラー油かけたらますます美味いだろうな……」
そうつぶやきながら、卓上にあったラー油を麺に回しがける。
ラー油の辛みと風味が麺に合わさり、さらに俺好みの味に仕上がった。
こういうときにふと考えてしまうのが、これを家で作れるのかどうかという疑問。タレの作り方さえ分かればなんとかなりそうだが、きっと店で食べるときとは、また違ったものになってしまうだろう。シチュエーションというのは、食においてかなり大事な要素だ。
「凛太郎、私もラー油ほしい」
「ん? ああ、ほら」
玲にラー油を渡すと、俺と同じように麺に回しがける。
そしてまた箸を動かして、頬を緩めた。
「美味しい。この店に来てよかった」
「ああ、まったくだ」
俺たちは、一心不乱に麺を食べ進める。
その途中、急激に胃が重たくなり、俺の食べるペースがガクっと落ちた。
――――大盛でもだいぶ多いんだな……。
苦しくはなってきたが、食べ切れないことはない。
そんな俺と比べて、玲の食べるスピードはまったく落ちていなかった。
すでに全体の三分の二が彼女の胃袋の中に消え、残りも今まさに丼の底から掬い出されようとしていた。
これは負けていられない。俺も負けじと手を速める。
……まあ、最初の量が違う時点で勝負にすらなっていないのだが。
「ふう……ごちそうさまでした」
そうして結局、玲はあの特盛油そばをぺろりと完食してしまった。
これでまったく苦しそうにしていないのが、こいつの恐ろしいところである。
――――なんなら、まだ食べられそうな顔してるし。
こっちは腹がギチギチだっていうのに。
「お……お姉さんすごいね。あれを完食したんだ」
「はい、美味しかったです。ごちそうさまでした」
「いえいえ、ありがとうございました……」
店員とそんなやり取りをしたあと、俺たちは店を出る。
退店際、あの店員が玲に向かって拍手を送っているのが見えた。