56-1 ぶらりデート
二十七日の午前中――――。
俺は駅前で、人を待っていた。
いつかと同じようなシチュエーションだと思っただろう。
その感想は、あながち間違っていない。
「凛太郎、お待たせ」
「おう」
待ち合わせ場所に現れたのは、玲だった。
俺は今日、玲と出かける約束をしていた。
玲が俺とイルミネーションを見に行きたいと言うから、それに付き合うことにしたのだ。本人的にはクリスマス当日に行きたかったらしいのだが、さすがにそれは難しかったということで、今日になった。
イルミネーションを見たいだけなら、夜から集まればいい。しかしそれでは寂しいという話になり、朝から出かけることにしたのだ。
「毎度思うことなんだが、どうしてわざわざ駅前で待ち合わせするんだよ」
「そのほうが気分が上がるから」
「カノンはそのほうがリスクが下がるからって言ってたけど……」
「それは建前。待ち合わせしたほうがデートっぽい」
「……なるほどね」
どうやら、ただのこだわりだったようだ。
逆にそう言い切ってもらえたほうが、すっきりできていい。
「……凛太郎」
「ん?」
「この前のカノンとのデートでは、手を繋いで歩いたんでしょ?」
「……どうしてお前がそれを」
「カノンが自慢してた」
なんでそんなこと自慢してんだ、あいつ。
「だから私も繋ぐ」
「おい……変装してるからって、一応周りを警戒したりしながら――――」
「異論は認めない」
「……」
玲はこうなると頑固なんだよな。
こいつの変装は、自分の高校の文化祭に来てもバレなかったくらいには完璧だ。
そのことを考えると、俺が気にしすぎなのかもしれない。
というか、どうせ折れてくれるわけがないのだから、従うしかあるまい。
「じゃあ……ほい」
「んっ」
玲は嬉しそうに俺の手を取った。
俺と彼女の手の温度が、ゆっくりと混ざり合っていく。
「どこ行く?」
「……なんにも決めてねぇんだよなぁ」
遠い目をして、天を仰ぐ。
集まったはいいけど、本当にやることがない。
「適当にぶらぶらするか」
「ん、そんな日があってもいい」
そう言って、俺たちはのんびりと歩き出した。
冬の風を感じながら、俺たちは街を歩く。
本当は今日、ミアとカノンも含めた四人でイルミネーションを見に行こうと思っていたのだが、ミアは日本に戻ってきた両親と食事に、カノンは弟たちの宿題を見るために実家に戻ってしまった。……という経緯があって、最終的に俺と玲だけで行くことになったのである。
「ん……コーヒーの香りがした」
歩いていると、玲がふとそんなことを言い出した。
周囲を見回してみれば、キッチンカースタイルのカフェを見つける。匂いの出どころはあそこのようだ。
「いい香りだな」
「コーヒー飲みたくなってくる」
「じゃあ買うか」
俺もちょうど飲みたいと思っていた。
人気なのか、キッチンカーの前には数組の列ができていた。
列に並んでしばらく待つと、俺たちの番がやってくる。
「ご注文は?」
気前の良さそうな男性が身を乗り出し、俺たちにそう問いかける。
「ホットのブレンド二つで」
「ホットのブレンドですね、かしこまりました」
お代を受け取った男性は、早速俺たちのコーヒーを淹れ始める。
その後ろ姿がやけに楽しそうで、俺は笑みを浮かべた。
「どうしたの?」
「ああ、やけに楽しそうだなって」
そう言って視線で誘導すると、玲は納得した様子で頷いた。
「コーヒーが本当に好きなんだろうな。気持ちは分かるけど」
「このお店も趣味だったりするのかな」
「ああ、そういう人もいるよな」
世の中には、金持ちが税金対策でお店を開くなんてこともあるらしい。
俺には想像もできない世界の話だが、もしかしたら彼も、そちら側の人なのかもしれない。
コーヒー好きの淹れるコーヒーか。とても楽しみだ。
「お待たせしました、ホットのブレンド二つです」
「ありがとうございます」
二つとも受け取り、玲に片方を渡す。
もちろん、ミルクと砂糖も一緒に。
近くのベンチに座って、俺はコーヒーに口をつける。
「……うん、美味い」
豆は中煎りだろうか。苦味と酸味のバランスがちょうどいい。
かなり豆にもこだわっているようで、口当たりにまったく癖がない。
これはコーヒー好きどころか、コーヒーのプロかもしれない。どんな味にすれば多くのお客さんに楽しんでもらえるのか、色々と研究したんじゃなかろうか。
俺も毎日のようにコーヒーを淹れているけど、毎回こんなに上手くは淹れられない。
「……いただきます」
そう言いながら、玲がコーヒーに口をつける。
しかし俺は、彼女がミルクも砂糖も入れていないことに気づき、慌てて肩を叩く。
「おいおい、それブラックだぞ……大丈夫か?」
「うん。凛太郎が美味しいっていうコーヒー、まずはそのまま味わってみたい」
「……なるほど、そういうことだったか」
入れ忘れていたわけじゃないと分かり、俺は安心する。
さて、このコーヒーは玲の口に合うだろうか。
「……おい、しい?」
そう言って、玲は首を傾げた。
なんとも微妙な反応である。
「どうした? なんか変か?」
「ん……苦いけど、飲める。なんだか飲みやすい?」
「ああ、店主のこだわりなんだろうな。万人受けする味にしてるんだと思う」
「これなら、全部飲めるかも」
玲は嬉しそうにコーヒーに口をつける。
この様子なら、家でも豆次第で玲が飲めるコーヒーを淹れてやることができるかもしれない。この味をできる限り再現するために、今後はもっとドリップの練習をしよう。
「そう言えば……凛太郎ってなんでコーヒーが好きになったの?」
「あー、話してなかったっけ」
「聞いてなかった気がする」
確かに話した覚えもない。
「優月先生のところでバイトするようになったとき、作業のお供にスタッフさんが淹れてくれたのがきっかけでさ。初めは俺も苦くて飲めなかったよ」
「……想像もできない」
「だろうな。そんでブラックを飲むようになったのも、スタッフさんたちの影響だよ」
あの仕事場で、ミルクと砂糖を入れて飲むのは俺だけだった。
それがなんとなく恥ずかしくて、子供だから仕方ないって思われたくなくて、無理やりブラックを飲むようになった。
最初は、ただの見栄だったわけだ。
「いつの間にか、ブラックで飲めるようになってたんだよなぁ……いつからっていうのは具体的には分からねぇけど」
「私も飲み続ければ、いつかは好きになれるかな?」
「なれるんじゃないか? 俺もお前が飲みやすいと思えるように、もっと上手く淹れられるようになるよ」
「ん……それはありがたい」
そう言って、玲は安心したように笑った。
今思えば、こいつもよく笑うようになったもんだ。
最初の頃は、何を考えているのか分からないくらい表情が乏しかった。今でも周りの連中と比べると、こいつの持つ雰囲気はかなり独特だ。しかし、俺は着実に、彼女の心の変化を敏感に感じ取れるようになっていた。
……ぐぅ。
「ん……?」
腹の鳴る音がして、俺は玲のほうを見る。
「……お腹空いた」
「ははっ、いつも通りだな」
時間はまだ十一時だが、まあ、昼時と言っても差し支えないだろう。
「どっかでちゃちゃっと飯でも食うか! 何か食いたいもんはあるか?」
「あ、それなら行きたいところがある」
「お、どこだ?」
「油そば」
――――おお、だいぶガッツリ系が来たな。