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「――――なんて、冗談だよ」
俺が呆気に取られているのを感じ取ったのか、ミアは俺から距離を取ってから茶目っ気のあるウィンクをする。
「がっかりした?」
「はぁ……むしろ安心したわ。お前に本気で惚れられたら逃げられる気がしねぇ」
「よく分かってるね。ボクは意外と狡猾だから、ありとあらゆる手で逃げられなくするよ」
意外と、ではないと思うが。
とりあえず今はツッコミを入れることも疲れる時間帯なので、スルーしておく。
「そもそもボクらが恋愛なんかしてしまえば、一部のファンから総叩きに遭ってしまうしね。例え隠れてお付き合いするようなことがあっても、そのリスクの方が大きく見えてしまうよ」
「……つくづくお前と俺って似てるのかもしれねぇな」
「おや、それは光栄だね」
アイドルとお近づきになれるということより、それが発覚した時の損害の方を大きく考えてしまう部分が、彼女とよく共感できる。
結局のところ、今が壊れることが怖いんだ。
「……じゃあ、そろそろボクはお暇しようかな。夜更かしはお肌の天敵と言うしね」
「そうか。んじゃ気ぃつけて――――なんて言う距離じゃねぇな」
「ふふっ、そうだね。片付けとか手伝った方がいいかい?」
「いや、俺が全部やる。自分の使うキッチンに関係することは、全部自分でやらねぇと気が済まねぇんだ」
「君も十分ストイックだよ。ならお言葉に甘えて。今日は美味しいご馳走をありがとうね」
ミアは自分の荷物を持つと、手をひらひらと振って部屋から出て行った。
さて、片付けの前に俺は眠りこけている二人を起こさなければならない。
寝室に向かい、玲とカノンが寝ているベッドへ近づく。
(カノン……お前寝相が悪すぎだろ)
豪快に玲の体に足を乗せているカノンを見て、俺はため息を吐いた。
ともかく起こそうと、二人の肩を揺する。
「おい、二人とも。ここからは自分の部屋に戻って寝ろ」
「ん……うん……なに? もう朝?」
「深夜だよ。さっさと帰って二度寝しろ」
「あー……そうするわ」
だらしなく起き上がったカノンは、そのままふらふらと部屋を出ていく。
所々で壁にぶつかる音が聞こえてきたが、何とか外の廊下には出られたようだ。
心配だからあとで一応廊下だけ確認しておこう。倒れているかもしれん。
「ほら、玲も」
「……うん」
カノンとは違い素直に起き上がった玲は、俺を一瞥した後にそのまま部屋を出ていく。
こうして、俺は部屋に一人となった。
綺麗に完食されたパエリアやスープ、スペアリブの食器を持って、流しへと向かう。
油物の皿はぬるま湯に漬けておき、洗いやすい物からスポンジと食器用洗剤で擦っていく。
無心で皿洗いに没頭すること数分、俺はふとした瞬間に違和感を覚えた。
「玲の奴……やけに素直に帰ったな」
言葉にしてみて、ようやく違和感の正体に気づいた。
そう、寝起きの玲がふらふらしていなかったのだ。
普段ならばカノンのように寝ぼけて危なっかしさすら感じるというのに、今日の歩みはしっかりしていた。
(まあ、だから何だっつー話なんだけど)
大して長く寝ていたわけでもないし、きっと本格的な睡眠とはまた違うのだろう。
この時の俺はこれ以上特に考えたりもせず、黙々と皿洗いを終わらせた。
◇◆◇
がやがやという喧騒と、上品な音楽が俺の耳を打つ。
ふと足元を見れば、やけに小さな靴が視界に入った。
そうか、これは夢だ。
この格好は小学生の時のもの。高校生になった俺に着ることができる代物ではない。
たまにあるだろ、夢だと理解できる夢。
ふわふわと景色が歪む。
今俺が立っている場所には、見覚えがあった。
大企業が集まった交流パーティーの会場。
俺は確か、他企業からの招待を受けた親父についてきたのだ。
『おお、その子が志藤さんのご子息ですか』
『ええ、まあ』
俺の隣で、親父が知らない男と話している。
二人ともどこか顔に靄がかかっており、はっきりとは見えない。
『そちらは――――さんの?』
『はい、自慢の娘です』
景色だけでなく、二人の会話の一部までもがぼやけてしまう。
それだけ俺にとって、この会場での記憶が曖昧と言うことなのかもしれない。
『ほら、"れい"。挨拶するんだ』
"れい"と呼ばれた少女が、俺と親父の前に現れる。
綺麗な金髪に、青みのかかった目。
年齢は俺と同じくらいだろうか。まるで人形のような可愛らしさだ。
『――"れい"です。はじめまして』
俺は目の前の少女の顔に、どことなく見覚えがあった。
しかし記憶と記憶を結び付けようとすると、靄が濃くなってそれ以上の思考を止められる。
「おとうさん、この子すごくかわいいね」
俺の意志とは関係なし、口がそんな言葉を吐く。
そうだ、この時久しぶりに親父に会えて、俺は少し浮かれていた。口ぶりで、何となくそのことを思い出す。
『ああ、そうだな』
『さすがはあの志藤グループのご子息。見る目がありますな』
『……それはどうも』
そう告げた親父は俺の背中をそっと押して"れい"の方へと近づける。
『私はしばらく彼と仕事の話をしなければならない。お前たちは二人で遊んでいるといい』
「わかった!」
俺は"れい"に近づき、その手を取る。
「行こ!」
『……う、うん』
どことなく困惑しているような彼女の手を引いて、俺は会場を歩く。
一流企業の重役ばかりが揃う会場が故に、バイキング形式の高級料理が所狭しと並んでいた。
俺は自分が食べて美味しかったと思えたものを皿に取ると、彼女の方へと差し出す。
「このケーキすごくおいしかったから、よければ食べてみて?」
『あ……』
"れい"は俺からケーキの乗った皿を受け取ったものの、見つめるだけで手を付けようとはしない。
「もしかして、きらいだった?」
『ち、ちがう……ちがうけど、お父さんが甘いものは虫歯になるから食べちゃだめって』
「そんなのもったいないよ。こんなにいっぱいおいしいものがあるのに……」
『――――でも』
「"れい"ちゃんは食べたい? 食べたくない?」
俺の質問に、"れい"は困ったように眉を顰める。
しばらく考えて、ようやく彼女は口を開いた。
『たべ……たい』
「じゃあさ、こっそり食べちゃおうよ」
俺は周囲を見渡し、まず誰も見ていないことを確認する。
そしてテーブルの周りでしゃがみ込むと、そこにかかっていたテーブルクロスをめくりあげた。
「こっちこっち」
『う、うん』
二人して、テーブルの下へと潜り込む。
大人では入れないような、子供だけの空間。
そんな場所に胸を躍らせつつ、改めてケーキの皿を彼女へと渡した。
「甘いものを食べたあとは、ちゃんと歯をみがくんだ。そうすれば虫歯になんてならないよ」
『そうなの……?』
「だいじょうぶ。俺を信じて」
俺の目を見た"れい"は、意を決した様子でケーキを口に含む。
その瞬間、彼女の表情は見ているこっちが眩しく感じるほどに晴れやかになった。
『おいしい……!』
「でしょ? 待ってて、ほかにも持ってくるから」
それから親父たちに見つかるまで、俺は彼女のために色んな料理を持ってきた。
何故そんなことをしたのか————ああ、そうだ。"れい"が美味しいものを食べた時に浮かべる笑顔が、もっと見たいと思ったからだ。
美味しい物を食べると、人は笑顔になる。
そうだ、この時だ。
この時、俺はそんな当たり前の事実を初めて知ったのである。
次回からデート回です。