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52-5

「全部終わった」

「ん、ご苦労さん」


 戻ってきた玲は、何故か大人しい様子でベッド脇にちょこんと座り込んだ。

 俺はふうとため息をついて、布団を持ち上げる。


「ほら、来ていいぞ」

「ありがとう、凛太郎」

「ったく……これの何がいいんだか」


 持ち上げた部分から、玲がのそのそと入ってくる。

 あまり広いとは言えないベッドで、俺たちは並んで横たわった。


「ん……凛太郎の匂いがする。すごく落ち着く」

「落ち着くって……」


 こっちはお前の甘い香りのせいで理性がどうにかなりそうだっつーの。

 待て、いかんいかん。俺はまだ病人。意識しすぎると、熱がぶり返すかもしれない。俺は心を落ち着けるために、深く深呼吸する。すると再び玲の匂いがして、本末転倒であることを理解した。


「凛太郎、もう少し側にいっていい?」

「……でも」

「だめ?」

「……」


 お互い、もうかなりギリギリの距離にいる。

 これ以上近づいたら、触れ合ってしまうかもしれない。

 しかし、この青い目に覗かれると、どうにも逆らえなくなってしまう。


「ああ……いいよ」


 玲はそのまま近づいてきて、俺の胸に額を当てるようにした。


「凛太郎、心臓の音が早くなってる」

「そりゃ、こんなに近づいたらそうなるだろ」

「意識してくれてる?」

「……」


 コメントを控え、顔をそらした。


 抱きしめようと思えば、抱きしめられてしまう距離。

 俺だって、触れられるものならそうしたい。

 ――――分かってる。それだけは絶対に駄目だということは。

 

「……凛太郎」

「ん……?」

「今なら、誰も見てないよ」

「っ!」


 潤んだ瞳が俺を射抜き、心臓が一層大きく高鳴る。

 ここはベッドの中。玲の言う通り、ここで何があっても、誰かがその事実を知ることはない。たとえ〝レイ〟に触れたとしても――――。


「……まだ少し、熱があるんだ」

「うん」

「体も怠い」

「うん」

「だから……甘えさせてもらって、いいか?」

 

 俺がそう問いかけると、玲はくすりと笑った。

 なんてダサい言い訳だろう。言ってる傍から恥ずかしくなる。


「うん、いつでもどうぞ」


 しかし、玲はそんな俺を受け入れるべく、少し離れてから、手を広げてみせた。


「……ありがとう」


 そうして俺は、玲を強く抱きしめた。

 その柔らかさが、体温が、匂いが、頭の中を埋め尽くしていく。

 どこかで抱えていた、不安や焦り。そういったものたちも、すべてどこかへ流れていった。

 何も考えずに済むようになった途端、また眠気が襲ってきた。

 ――――今日はもういいだろ。

 俺は玲を抱きしめたまま、あっさりと意識を手放した。


◇◆◇


「――――それで、最終日はどうだったわけ?」

 

 不貞腐れた態度で、カノンがそう問いかける。

 その態度の理由は単純明快。表情変化に乏しいレイの顔が、パッと見で分かるほど緩んでいたからだ。


「……別に、何もなかった」

「嘘つけぇ!」


 カノンが吠える。

 昨日まではどこかおぼつかない様子の凛太郎だったが、今日はずいぶん回復したようで、意識がはっきりしていた。そんな彼と、レイがこの家で二人きり。何かあったと疑うほうが自然だ。


「レイ、聞かせてよ。そういう行為(・・・・・・)はあったのかな。それとも、なかったのかな」

「……あったか、なかったかで言えば……なかった」


 ミアとカノンは、安心した様子で盛大にため息をついた。

 そういう行為があった場合、凛太郎を巡る戦いはゲームセット。そう認識していたミアたちにとって、レイの言葉は試合続行を意味していた。


 二人の安心とは裏腹に、レイは余計なことを喋ってしまわないよう、細心の注意を払っていた。あのことは、凛太郎と自分だけの秘密。たとえ苦楽を共にした戦友であっても、この秘密だけは共有できない。


「……まあ、よかったわね、熱が下がってきて」


 カノンの言葉に、レイとミアも同意を示した。

 先ほど凛太郎が熱を測ったところ、三十六度九分になっていた。夜になっても熱が上がっていないため、明日は落ち着いている可能性が高い。

 今も凛太郎は自室でゆっくり体を休めている。三人のおかげで無茶をせずに済んだ彼は、なんとか回復することに成功した。


「病み上がりで無茶させられないけど……早く凛太郎君のご飯が食べたいね」

「ん、同感」


 この三日間、市販のものや楽屋に置かれた弁当でなんとか食いつないできた三人。

 凛太郎と暮らすようになってから、ここまで長く彼の料理を食べられなかったことはなかった。


「まさか、あいつの作るものが食べられないってだけで、こんなにきついなんてね……」


 カノンは、凛太郎に依存している自分に呆れていた。

 その気持ちは、レイとミアも痛いほど分かる。


「いつか、凛太郎君が誰かと結ばれたら……残された人は、もうこういう生活は送れないってことだよね」

「そりゃ……そうよね。そんなの、結ばれた人に悪いわ」


 リビングに、沈黙が広がる。

 彼女たちの悩みは、行き場のない迷宮のようなものだった。

 どれだけ考え込んだところで、全員が幸せになる答えなどない。

 だから、こんなにも苦しいのだ。


「……」


 レイは、自分と同じように葛藤している二人の顔を見つめた。

 この状況を生み出したきっかけは、レイ自身。凛太郎に近づき、凛太郎を二人に近づけたことで、今が生まれた。


 ――――私には、責任がある。


 レイは胸の内でそうつぶやく。

 この状況を変えるのは、自分でなければならない。何度もそう言い聞かせる。

 そしてレイは、ひとつの手段にたどり着く。


「……あ」

「ん? どうしたんだい、レイ」

「う、ううん、なんでもない」


 とっさに首を横に振る。

 その手段を実行できるのは、自分だけ。まだ、考えられるだけの時間は残っている。今この場で伝えることではないと、彼女は判断した。


「とにかく、りんたろーも回復し始めたことだし、今はクリスマスライブに集中するわよ。細かい話は、全部終わったあと、腰を据えてやりましょう」

「……そうだね。考えても仕方ないことに意識を割いている余裕はないし」

「その通りよ!」


 クリスマスライブまで、残り二週間弱。

 ライブを成功させ、その後に待つクリスマスパーティーを思う存分楽しむため、三人は気を引き締めることにした。

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