49-2
「だぁー! 分かんねぇ!」
ひとつの問題で数分悩んでいた竜二が、天を仰いだ。
近くのファミレスに移動した俺たちは、各々勉強道具を広げていた。
自分の勉強をしながら、竜二の勉強も見る。難しそうに思えるかもしれないが、三人もいれば、まあなんとかなるものだ。
「今回のテスト範囲、結構広いよね」
「そうだな……実は俺も結構焦ってる」
そう言いながら、祐介は困った顔をした。
確かに、今回のテスト範囲は相当広い。中間テストと違って教科数も多いし、付け焼刃の勉強じゃ、高得点を取ることは難しいだろう。
普段から計画的に勉強している雪緒はともかく、俺程度の学力の人間は、普段以上に努力しないと置いて行かれてしまう。
「「「……」」」
俺たちの視線が、竜二に集まる。
自分が見られていることに気づいた竜二は、絶望の表情を浮かべた。
「お、俺を見捨てないでくれぇ! お前らだけが頼りなんだよ!」
「……冗談だ。竜二を見捨てやしねぇよ」
まるで命乞いでもするかのように縋りついてくる竜二を見て、俺は苦笑いを浮かべた。当然、ここで竜二を見捨てたりなどしない。自分で言った通り、人に教えるのも勉強のうちだ。テスト当日まで、時間はまだ残っている。今からでも真面目に頑張れば、赤点は回避できるだろう。多分。
「今はとにかくがむしゃらにやっていくしかないね。苦手科目からやっちゃおうか。堂本くんは何が苦手?」
「うーん……全部?」
「……強いて言うなら?」
「そ、そんな怖い顔しないでくれよ……!」
雪緒って、怒ったときほど何故か笑顔なんだよなぁ。
「強いて言うなら……数学だな。記号を使い始めた辺りから、もう何をやってんのか全然分かんねぇ」
「記号ってまさか……XとかYとかのことか?」
「そうそう!」
それって、中学の頃から何も分かってないままってことじゃないか?
どうしたものか。俺たちは高校生に勉強を教えるつもりで来たのだが。
「……そっか、そういうことなら、むしろ燃えてきたよ」
「雪緒……?」
急にどうしたというのか。
何故か雪緒の目に熱き炎が宿っている。
「堂本くん! 君の数学は僕が面倒を見るよ! 一緒に頑張ろう! 目指せ平均点超え!」
「い、稲葉……俺にできるかな、平均点超えなんて」
「できるよ! いや、できるようにしてあげる!」
「稲葉……!」
急にスイッチが入った理由はよく分からないが、ひとまず竜二の数学は雪緒が見てくれるらしい。まあ、雪緒が教えるならなんの問題もないだろう。教え方も上手いし、いくら竜二でも、さすがに少しは学力が伸びるはず。
「俺たちは俺たちで普通に勉強してようか」
「ああ、そうだな」
雪緒のスパルタ授業を尻目に、俺と柿原は自分の勉強に集中することにした。
店から追い出されないよう、適度に注文を重ねながら、二時間近くが経過した。
マラソンが午前に終わったこともあり、時間はまだまだ残っている。
しかし、残念ながら集中力には限界がある。いくら時間が残っていようが、こればかりはどうしようもない。
「……限界だ」
竜二の頭から湯気が上がっている。
申し訳なさそうにしている竜二だが、こっちはむしろ驚かされていた。
すぐに音を上げると思っていたのに、まさかこんなに長く食らいつくとは。
俺と同じように、雪緒と祐介も驚いている様子だった。
「むしろよくついて来てくれたよ。まだまだ教えたいことは山ほどあるけど、この調子で集中してくれるなら、たぶん平均点くらい取れるんじゃないかな」
「本当か⁉ そういうことなら頑張るぜ! 俺!」
そう言いながら、竜二はふんすふんすと鼻を鳴らしている。
その様子に、俺は違和感を覚えた。いくら赤点が嫌だからって、竜二がここまでやる気を出すものだろうか? 前回の中間テストでは、現実逃避して寝てばっかりだったのに。
「……ほのかと同じ大学に行きたいんだよな、竜二は」
「ちょっ……あんまりはっきり言うなって!」
竜二は顔を赤くしながら、祐介を止めようとする。
「ほのかって……野木さんだよね? 堂本くんと野木さんって付き合ってるんだっけ?」
「ま、まあな……」
照れ臭そうに頬をかきながら、竜二はひとつ頷いた。
本人たちは大っぴらには言っていないようだが、俺は色々と巻き込まれたよしみで、二人が付き合いだしたことは聞いていた。
確か、文化祭が終わってすぐの話だった。
「あいつ……ちょっといい大学に行きたがっててさ。今めちゃくちゃ勉強してんだよ」
「へぇ……」
野木のことはよく知らないが、勉強に力を入れている印象は一切なかった。
それがどういう風の吹き回しだろう。
「そんで……俺も同じところ受けたいって思っててさ。来年からじゃ間に合わないかもしれないから、今から始めねぇとって」
「……すごいね、堂本くん」
「別にすごかねぇよ。周りのやつらが普段から頑張ってることに、今更焦って追いつこうとしてるだけだし」
そう告げた竜二の言葉に、俺は口を挟む。
「すごいかどうかっていうのは、誰かと比べてどうこうって話じゃねぇよ。俺たちはやる気になったお前を褒めてるんだ。周りのやつらなんて関係ない」
「凛太郎……」
自分を変えるということが、どれだけ難しいことなのか、俺はよく分かっているつもりだ。はたから見れば、最初からずっと努力を欠かさない人間のほうがすごく見えるかもしえない。確かにそいつだって、十分すごいやつだと思う。だが、以前までの自分を否定し、新しい自分になろうとしている者も、同様にすごいのだ。
「俺たち全員、お前に協力するよ。一緒に頑張ろうぜ」
「お、おう! お前ら……! ありがとうな!」
うぉんうぉんと泣きながら頭を下げる竜二を見て、俺たちは苦笑いを浮かべた。
「……話の流れで気になったんだが、祐介はどこの大学に行くつもりなんだ?」
「ああ、まだ具体的には決めてないんだけど……俺も、梓と同じ大学を目指すつもりだよ」
「お熱いねぇ、相変わらず」
「や、やめてくれよ……」
口では否定しながらも、その顔はどこからどう見てもデレデレだ。
文化祭で付き合い始めてから、祐介と二階堂は校内でも有名な熱々カップルになっていた。もはや二人が付き合っていることを知らない者などいないだろう。
ここまで注目されると、さすがに過ごしづらくなっているかと思いきや、二人の雰囲気は付き合い始めた頃から何も変わっていない。元々目立つ二人だったし、注目されることに慣れているのだろうか。
「つーかさ、俺たちの話ばっかりだけど、お前らはどうなんだ?」
俺と雪緒のほうを見ながら、竜二がそんな風に訊いてくる。
「どうって?」
「彼女とかいんの? って話だよ。凛太郎はともかく、稲葉って結構モテるだろ?」
「うーん……」
雪緒がモテるっていうのは否定しないが、俺はともかくという言葉がすごく引っかかる。別にいいけどな、別に。
「……あんまり恋愛に興味ないんだよね。いい思い出がなくてさ」
「はー、確かに苦労してそうだもんな、お前」
「う、うん、まあ……ね」
竜二がやけにあっさり話を受け入れるものだから、雪緒は呆気に取られていた。
デリカシーのない言い方だが、そういうずけずけとした態度が人を救うこともある。実際雪緒は、竜二に対して安心したような笑顔を見せていた。
「じゃあ凛太郎は? 彼女は置いといて、好きな女子とかいねぇの?」
「なんでお前は俺に彼女がいない前提で話を進めるんだ?」
「え、いんの?」
「……いねぇよ」
俺がそう返すと、竜二は何故かドヤ顔をした。
とんだ辱めだろ、これ。