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「お待たせいたしました、こちらフレンチトースト・トッピング三種と、五種です」
そんな話をしているうちに、フレンチトーストが運ばれてきた。
――――多いな。
皿の上には、かなり厚みのあるフレンチトーストが二枚。見ただけで胃もたれしそうだ。二つの巨大フレンチトーストの周りには、トッピングがこれでもかと添えられている。
シロナと食べに行ったパンケーキもなかなかだったが、このフレンチトーストも勝るとも劣らぬ衝撃を与えてくる。
「おー! SNSの写真よりもボリューミーね!」
「食いきれるか不安になってきたんだが……」
「大丈夫よ。食べきれなかったらあたしがもらうし」
「それを聞いて安心したよ」
カノンの胃袋のでかさはよく知っている。
ミルスタの中では一番小食なカノンだが、それはあくまで玲とミアと比べればという話であり、一般的な女子と比べれば圧倒的に大食だ。普段料理を作っている側の見立てでは、三皿までなら食べられるだろう。
俺はナイフでフレンチトーストを切り分け、口に運ぶ。
まずはそのまま。外はカリカリ、中はふわとろ。しみ込んだ卵液がじゅわっと染み出し、素朴な甘みとバターの香りが口いっぱいに広がる。
「めちゃくちゃ美味いな……」
「うん、美味しいわね」
頬を緩めながら、カノンは二口めを口に運ぶ。
負けじと俺もフレンチトーストを切り分け、今度はアイスクリームを載せる。
アツアツのフレンチトーストに、冷たいバニラアイスが見事に調和し、思わずにやけてしまうほどの甘みが脳みそを溶かす。
なるほど、トッピングを使い分けて、飽きが来ないように食べ進めていくのか。そういえば、トッピングメニューにウィンナーやベーコンの文字があった。見たときは存在理由がよく分からなかったが、塩気が強いトッピングを途中で食べることで、甘さをリセットできるのだろう。よく考えられている。俺も頼んでおけばよかった。
ただ、今のトッピングだけでも、十分食べきれそうだ。
一緒に頼んだコーヒーもある。甘みを相殺できるのは、何も塩気だけではない。
そうして俺は、特大フレンチトーストを食べ進めた。
「……大丈夫?」
「ああ……なんとか」
俺は腹をさすりながら、大きく息を吐いた。
目の前には何も載っていない皿がある。
俺はなんとかフレンチトーストを食べきることに成功した。本当にギリギリの戦いだった。胃袋がパンパンというより、甘さにやられたという感じだ。
「もう当分甘いものは食いたくねぇ」
「ああ〝とうぶん〟だけにね」
「うるせぇよ」
上手いこと言ってやったぞって顔するな。
「まあまあ、コーヒーでも飲んで落ち着きなさいよ」
「言われなくても……」
俺は途中でおかわりしたコーヒーを、一気に飲み干した。
幸いだったのは、コーヒーのおかわりは自由だった。専門店と違い特別美味しいコーヒーというわけではなかったが、甘さを中和するには十分だった。
「ふぅ……でも、美味かったな」
「その言葉が聞けてよかったわ」
そう言いながら、カノンはニカッと笑った。
さて、食べきってしまったからには、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
客足はまったく衰える様子を見せず、行列はまだまだ長そうだ。
そろそろ席を空けるとしよう。手早く会計を済ませ、俺たちは店を出た。
「腹ごしらえも済んだし、今度はアクセサリーでも見に行こうかしら……ちょっと歩くけどいい?」
「もちろん。むしろカロリーを消費させてくれ」
腹をさすりながらそう告げて、俺たちは新たな目的地に向かって歩き出す。
その瞬間、俺は前から歩いてきたカップルにぶつかりそうになり、とっさに体をそらした。
「あ、ごめんなさい……!」
「いえいえ、大丈夫です」
このカップル、どうやらお互いの顔を見つめていたせいで、前を見ていなかったようだ。危ないからやめたほうがいいぞと内心思いながら、カノンと合流する。
「大丈夫?」
「ああ、ぶつかりそうになっただけだ」
「お熱いわね~。まあ、前はちゃんと見たほうがいいけど」
呆れた表情を浮かべながら、カノンは歩き去っていくカップルの背中を見る。
恋は盲目なんて言うけれど、あそこまで燃え上がるようなこと、果たして本当にあるのだろうか?
「……そういえば、あんたってまだ女の子と付き合ったことないって言ってたわよね」
「そんなはっきり言わんでも……まあ、その通りだけどさ」
別に、高校二年生で彼女がいないなんて、普通のことだろ。
うん、普通のことだ。
「そういうお前はどうなんだよ」
「あたしを誰だと思ってるの? バリバリ経験豊富に決まってるじゃない――――って、言いたいところだけど……これがゼロなのよねぇ」
「だろうな」
「だろうなって何よ⁉ こんな美少女に彼氏がいないなんておかしいでしょうが!」
ギャアギャアと切れるカノンは相変わらず面白おかしいが、言っていることはあながち間違っていない。
ただ、カノンの場合、俺のような人間とはまったく悩みの方向性が違う。
俺は恋人がほしいと思っても作れない。しかしカノンは、作ろうと思えばいくらでも作れるはずなのだ。アイドルという立場である限り、それは一生叶わない話だが。
「……ねぇ、アイドルに彼氏がいるって、おかしいと思う?」
「おかしいとは思わねぇが……ファンを裏切ったことにはなると思う」
「その心は?」
「うーん……最初から彼氏がいるとか、既婚とか発表してるならともかく、ファンになった人たちは〝彼氏がいない〟女の子を応援してるつもりになっているだろ? 彼氏がいたってだけで叩く連中の気は知れないが、ファンを辞めたくなる心理は……まあ、分かるんだよ」
アイドルはみんな、恋人なんていないというていで活動する。
はっきり〝いません〟と公言していない時点で、詐欺でもなんでもないのだが、少なくとも大部分のファンは、その〝てい〟に期待して応援する。
いざ恋人がいると分かったとき、期待していた彼らがファンを辞めるのは、自然なことだと俺は思う。
何度も言っておくが、それでアイドルを叩く連中はナンセンスだ。他者を傷つけるような人間に、自分を正当化する権利などない。ただ、それはアイドルにも言えること。勝手に恋人がいないと勘違いしたのはファンとでも考えているなら、そいつは最低な人間だ。
「アイドルだけじゃない。芸能界も、飲食店も、アパレルも……みんな、ファンや顧客の力で生かされてる。取引相手と言い換えてもいいな。彼らがノーと言えば、みんな利益を得られなくなるってわけだ。じゃあ、裏切るべきじゃないよな」
「……そうね。その通りだと思うわ」
金を出すのも自由だし、出さないのも自由。
その選択を咎めることは、誰にも許されない。
少し間が空いて、俺は妙に恥ずかしくなった。
本物のアイドル相手に何を語っているのだ、俺は。
「あたしもね、隠し通す自信があるなら、別にいいと思ってる。でも、それってめちゃくちゃ難しいことでしょ? 常に周りを気にして、相手にもそれを強要しないといけないなんて……申し訳なさすぎるわ」
そう言いながら、カノンはわずかに顔をしかめた。