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「うん、なかなか似合ってるじゃない」
試着室から出てきた俺を見て、カノンは大きくひとつ頷いた。
黒いインナーに、グレーのオーバーサイズのパーカー。下はデニムで、全体的にモノトーンな感じに仕上がっている。
鏡を見た感じでは、我ながら悪くないように思えた。
「思った通り、結構大人っぽい印象になったわね」
「そういうところまで考えて服を選んだのか?」
「当たり前よ。コンセプトは最初に決めておかないと、あとで迷っちゃうし」
――――なるほど。
俺はもはや頷くことしかできなかった。
「どう? 気に入った?」
「ああ、新鮮で気に入ったよ」
「ほんと? せっかくだし、今日はそれ着て歩いてよ」
「別にいいけど……マジで買うの? これ」
恐る恐る、ついている値札を見る。
そこには目を疑いたくなるような値段が書かれていた。さすがに十万を超えたりすることはないけど、このパーカーだけで、俺のひと月のバイト代がほとんど消し飛ぶ。
「いいのよ。ミーチューブの収益とか、あんたの協力ありきだったのに、全部あたしたちで分けちゃってるし……ずっとそれが心苦しかったから」
俺に気を遣う必要なんてまったくないのに、カノンは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていた。
「抵抗あるかもしれないけど、できれば受け取ってよ。一応、あんたが受け取るべき正当な報酬の範囲だと思ってるわ」
「……そういうことなら」
もはや断るのも野暮というもの。
俺は素直に受け取ることにした。
「ありがとう、カノン」
「いいのよ。あ、でもあたしの好きなもの作るって話は忘れないでね?」
「おう、お安い御用だ」
それから会計を済ませ、俺たちは店をあとにした。
◇◆◇
続いて俺たちは、新しくできたカフェとやらに向かっていた。
SNSで話題になっているらしく、ミルフィーユスターズというインフルエンサーとして、調査しておかなければならないというのが、カノンの言い分だった。
――――本当はこれが食べたいだけじゃないのか?
行列に並びながら、店の看板に描かれたフレンチトーストの絵を見る。
どうやらただのフレンチトーストではないらしく、上にはバニラアイス、そしてメープルシロップ、さらには生クリームが添えられているようだ。
一見、こんな行列ができるほど、目新しい要素はないように思える。
「このお店がバズってる理由は、トッピングの多さよ」
「トッピングの多さ?」
「そう。色々なトッピングを好きなだけ載せられるの」
「へぇ……」
フレンチトーストは、とてもシンプルな料理だ。
パンを卵、牛乳、生クリームに浸して、焼くだけ。
そのシンプルさが故に、トッピングによって無限大の可能性を見せるというわけか。
なるほど、面白そうだ。
それなりに待ったが、俺たちは店内に入ることができた。メニューにはドリンクと、フレンチトーストのトッピングメニューだけが書かれている。
「……トッピングって、どれくらい選べばいいんだ?」
メニューを見る限りでは、最大三十種類まで選べるようだ。
俺はそこまでのトッピングを必要としていない。この店で言うのもなんだが、一種類でも十分なくらいだ。
「オーソドックスなのは、アイスとメープルシロップとか? あたしは五つにするけど、あんたは三つくらいがちょうどいいんじゃない?」
「ありがたいアドバイスだ。じゃあ俺は三つにするよ」
俺はバニラアイス、メープルシロップ、イチゴをチョイス。
カノンは、俺と同じものにプラスして、キャラメルとアーモンドスライスを選んだ。
「やっぱ、こういうところに来ると、ちょっとそわそわするな」
俺は周囲を見回しながら、そう言った。
ざっと見た感じ、ほとんど女性しかいない。奥のほうにカップルが座っており、おかげで男の客がゼロというわけではないものの、この男女比で居心地がいいわけもなく……。
「……そういえば、あんたシロナとデートしたときも、こういうカフェに行ったとか言ってなかったっけ?」
「ああ、あれはパンケーキの店だったけどな」
「……ふーん」
カノンが機嫌の悪そうな表情を浮かべる。
ツインズとは色々あったからな。一応和解したとはいえ、思うところがあるのかもしれない。
「あの子たちとは、連絡取ってる?」
「ん? ああ、たまにどうでもいい世間話が送られてくるよ。あいつらもあいつらで、上手いことやってるみたいだ」
あの一件から、ミルスタもツインズもガンガン人気を伸ばしている。ミーチューブという海外でもメジャーな配信サイトで活動するようになったことで、ミルスタは一気に海外ファンを獲得した。
逆にツインズは、ミルスタとのコラボからテレビでの露出が増加している。シロナの話だと、来春からツインズのレギュラー番組が始まるとかなんとか。
紆余曲折あったが、結局あの一件は、両者にとっていい影響を与えたようだ。
「アイドルからダル絡みされるとか……いいご身分ねぇ、あんた」
「あいつらから絡まれてるのは、お前らがきっかけってこと忘れんなよ?」
俺がそう言い返すと、カノンはケラケラと笑った。
「……ふと思ったんだけど、ゲームの賞品が俺と出かけることなんて、もっといいもんがあったんじゃないか?」
「何言ってんのよ。あんたとの時間にはちゃんと価値があるわよ」
「そうなのか……?」
そう言ってもらえるのは素直に嬉しいが、俺自身はまったく理由が分かっていない。
「……あんたと一緒にいると、普通の女の子みたいに笑えるの」
カノンがそういったとき、店内BGMがミルスタの曲に変わる。
一瞬、カノンの存在が店側にバレたのかと焦ったが、どうやらそういうわけではなく、ただの偶然のようだ。俺が過敏になっているだけで、国民的アイドルの曲が流れてくることは、まったく不自然ではない。
「売れるために努力してきたんだから、こうして変装しないと外を歩けないっていうのは、むしろ望むところって感じなんだけど……しんどいもんはしんどいのよ」
「そりゃそうだろうな」
玲もミアも、同じようなことを言っていた。
アイドルになったことは後悔していない。ただ、たまに息苦しくなると。
贅沢な悩みであることを理解しているから、彼女たちはそれを愚痴ったりはしない。
「でも、俺といたって変装しなくて済むわけじゃねぇだろ?」
「そうだけど、うーん……気持ちの問題っていうか、なんか、安心するのよ。あんたといるだけでね」
理由はよく分かんないけど――――。
ヘラっと笑いながらそう告げたカノンを見て、ふいに心臓が跳ねた。
なんとなく、三人と同じマンションに住み始めた頃のことを思い出す。少し弱っていたカノンに肩を貸したあの日。
アイドルってことを忘れられる、確かにカノンはそう語っていた。
そして、安心できるとも。
「あ、りんたろーもあのときのこと思い出してたでしょ?」
「よく分かったな」
「分かるわよ。あたしも同じだし」
そう語るカノンの顔は、どこか大人びて見えた。
「また肩でも貸してもらおうかしら? それか、今度は膝枕とか?」
「そういうのは男側のロマンってやつじゃないのか?」
「別に、女だって膝枕されたいって子はいっぱいいるわよ。少なくともあたしは、あんたの膝ならよく眠れそうだわ」
俺と一緒にいることが、安心につながる。
本人である俺にその感覚は分からないけれど、その程度でカノンが安心できるというのなら、肩でも膝でもいくらでも貸してやる。心の底から、そう思えた。