48-2
まず俺たちが向かったのは、ハイブランドの店。
カノンはこの店の常連のようで、慣れた様子で店の中へと入っていった。
逆にブランドものなんてほとんど身に着けない、生粋の庶民肌を持つ俺は、おっかなびっくりあとをついていく。
これでも一応、大企業の社長の息子という立場なんだけどな。
「悪いわね、いきなりあたしの買い物に付き合わせちゃって」
「いや、今日はお前にとことん付き合うって約束だし、こっちのことは気にするな」
「そう?」
「それに、お前が普段どういう買い物をしてるのか興味あるしな」
正直、カノンがこういうお高めの店を好んでいると知って、安心した。
ミアもカノンと同じくそれなりにいいものを身に着けているが、少なくとも玲は、その辺の安い店で済まそうとする悪癖がある。結局シンプルに揃えても、玲が着こなせない服はないし、安いものでもよく見せようという考えは、むしろ好感が持てる。ただ、せっかくアイドルとして大成したのだから、もう少し贅沢してほしいというか……。
「女子が買い物してるところなんか、大して面白いもんじゃないわよ? 同じ柄にしか見えない服同士で悩んだり、ひたすら試着しまくったと思ったら『なんか違うなー』ってひとつも買わなかったり……とにかく時間がかかるんだから」
「お前から言うのかよ、そういう話」
「あたしの買い物に付き合うなら、これを全部許せるくらいの覚悟を持ってほしいってことよ。待たせるのが嫌で、普段はできるだけひとりで買い物するようにしてるんだから。家族だってほとんど連れてこないのよ?」
なるほど、本人がここまで言うってことは、本当に過酷なんだろうな。
だが、覚悟ならある。一度付き合うと言った以上、今更それを曲げるつもりはない。
「安心しろよ。こう見えて、我慢強さだけは自信があるんだ」
薄着で家の中を歩き回るアイドルたちと毎日過ごしているのに、理性を保っているのがその証拠だ。
「……あんたがそこまで言うなら、こっちも手加減しないから」
「おう、どんと来い」
俺がそう言ってのけると、カノンは噴き出すように笑った。
「これと……これも。どっちがいいかな……」
カノンは近くにかかっていた服を、何着か手に取った。
なるほど、カノン自身が言っていた通り、どこが違うかいまいちよく分からない服ばかりだ。わずかに色味が違うだろうか? そう思ったらそんな気がしてくるし、やっぱり同じにも見えるし……。
「ははっ、そんなにじっくり見なくても、これとこれはさすがに同じデザインよ?」
「げっ、マジか。じゃあなんで悩んでるんだ?」
「サイズが違うのよ。少し大きめのサイズを着るのがいいか、ぴったりサイズを着るのがいいかで迷ってたの」
「……どういう悩みなんだ? それ」
「結構印象が変わるのよ。丈が数センチ変わるだけでもね」
そういうもんなのか。
ファッションに無頓着な俺には、縁のなさそうな話だ。
「あ、そうだ。せっかくだし、りんたろーの服もここでコーディネートさせてよ」
「え? いや、いいよ……どうせ買えねぇし」
俺の貯金じゃ、ここにある服を一着買うことすら躊躇われる。
仮に全身揃えていくなんてことになったら、一瞬で破産だ。
「何言ってんの? お金はあたしが出すに決まってるじゃない」
「……本気で言ってんのか?」
「当たり前でしょ? あたしが着せたい服をあんたに着てもらうんだから、お金なんて頼まれても払わせないわよ」
なんたる男気。玲やミアとは、別のベクトルで豪快な女だ。
とはいえ、正直ありがたいという気持ちより、申し訳ないという気持ちのほうが強い。
「……後ろめたく思うなら、明日はあたしの好きなもの作ってよ。それくらいはいいでしょ?」
「ああ、むしろそんなんでいいのか?」
全然釣り合ってないと思うんだが。
「あたしがいいって言ったらいいのよ。あんまり恥かかせないでよね」
「……そう言われちまうと、もう言い返せねぇな」
「ほら、さっさと見繕いに行くわよ!」
カノンに無理やり腕を引かれた俺は、そのままメンズコーナーへと連れて行かれた。
あーでもない、こーでもないと言いながら、カノンは俺の服を選んでいく。
そうしているときのやけに真剣な顔つきが、印象に残った。
「うーん……りんたろーはハイネックよりも、少し胸元を開けてたほうが似合う気がするのよね」
「……どこで判断してるんだ?」
「骨格とか顔つきとか、色々よ」
カノンは手に取った服を、俺の体に合わせ始める。
視線を常に服のほうへ向けながら、カノンはぽつぽつと語りだした。
「……あたし、将来は自分のブランドを作りたいの」
「ブランド?」
「そう、服とか、アクセサリーとか。アパレル系の道に行きたいの」
「へぇ……」
不思議と、意外には思わなかった。
「いい夢だな」
「適当に言ってるわけじゃないわよね?」
「当たり前だろ? 本心だよ」
俺がそう伝えると、カノンは頬を赤らめた。
「不思議ね。あんたにそう言ってもらえると、なんだか叶う気がしてくるわ」
「叶うだろ、カノンなら」
「あら、はっきり言ってくれるわね。根拠でもあるの?」
「お前がカノンだから」
カノンは常に色々なことを考えている。ずっと未来のことまで、ちゃんと。きっと、すでに自分のブランドを持つための道筋ができているのだろう。カノンの言葉には、俺でも分かるほどの〝現実味〟があった。
「三人の中だと、お前が一番しっかりしてるからな。なんの心配もしてねぇよ」
「……ふ、ふんっ、当然よ」
カノンが顔を逸らす。
その顔が、耳まで赤くなっていることを、俺は見逃さなかった。
「おっと、あのカノン様が分かりやすく照れるなんてな」
「は、はぁ⁉ 別に照れてないわよ! あんたが当たり前のことしか言わないから、呆れてただけ!」
慌てふためくカノンを見て、俺は思わず笑う。
玲やミアと比べると、やっぱり打たれ弱いんだよな、こいつ。
「……あんたの夢は、相変わらず専業主夫なの?」
「ん? ああ、まあ……」
「あれ、違うの?」
「いや、違わねぇんだけど……」
正直、親父との確執がなくなって、俺は少しばかり宙ぶらりんな状態になっていた。今までは親父への反発で働かなくていい立場を目指していたが、その気持ちがなくなった今、専業主夫へのこだわりは薄れつつある。
とはいえ、働きたいのかと言われればそんなはずもなく。ミルスタのサポートをしているうちに、ポジティブな意味で、この生活が続けばいいのにと思っている俺がいる。ただ、これが都合のいい考えであることも理解していた。
「今の環境に満足しちまってるっつーか……お前らのおかげで、ある意味叶ってるからさ」
「ふーん? じゃあ、あたしたちに感謝しないとね?」
「ああ、いつもありがとな」
「……素直に返されると恥ずかしいんだけど」
今日のカノンはやけに弱いな。
いつもなら、ここからめげずに攻め返してくるんだけど。
「……このまま、ずっと四人で生活できたら……きっと幸せよね」
「カノン?」
「ううん、なんでもないわ。ほら、別の服も見てみるわよ」
取り繕った笑顔を見せ、カノンは歩き出す。
ずっとこのままでいられたら――――俺だって、そう思わない日はない。
だけど、そうはいかないと分かっているから、こんなにも心が苦しいのだ。
俺は奥歯を噛んで感情を押し殺し、カノンの背を追いかけた。