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それから俺は、またもやシロナに連れられる形で老舗の喫茶店に入った。
静かな空気が流れるその喫茶店で、シロナは注文したショートケーキを口に運ぶ。
「ん~! おいひぃ! ここのショートケーキも有名なんよ」
シロナの顔は、どこまでも幸せそうだ。
俺にはそれが信じられない。
「あんた……下手したら致死量だぞ、今日摂取した糖分」
「にゃはは、ウチを舐めたらアカンよ? デザートなんて無限なんやから」
そう言いながら、シロナはもう一口ケーキを頬張る。
あのバケツクレープを、こいつはペロリと完食した。
瞬きをするたびに消えていく山盛りのクリーム……。
あれは志藤凛太郎の十七年の人生で、もっとも信じられない光景と言っても過言ではなかった。
「ま、さすがにしばらくは甘いもんは食わんかもなぁ。体型維持のためのトレーニングがきつくなってまうから」
「ぜひそうしてくれ。見ていると心配になる」
「あれま、敵のことも心配してくれはるん? お優しい人やなぁ、りんたろーさん。惚れなおしちゃう」
「うるせぇよ……」
俺は盛大にため息をつく。
せっかく回復したはずの体が、妙に重い。
体調が悪いわけではない。純粋にめちゃくちゃ疲れたのだ。
「……ここならいいだろ」
「んー?」
「さっきのあんたについての話、もう少し聞かせろよ」
これ以上引っ張るのは、精神的にキツイ。
この静かな喫茶店であれば、少し重たい話をするにもちょうどいいだろう。
「そんなにウチの話が気になるん? もしかしてウチに惚れたりとか――――」
「してねぇよ」
「あんっ、ほんとにいけずやわぁ」
体をくねくねと揺らすシロナに、俺は冷たい目を向けた。
「……もうっ、冗談も通じんか?」
「そういう空気の話じゃないってだけだ」
「ふー……せやね、りんたろーさんの言う通りや」
シロナの雰囲気が、突然落ち着いたものへと変わる。
人が変わった……とまではいかないが、この底知れなさが俺に警戒させる要因になっていた。
ただ、さすがにこの雰囲気は、取り繕ったものではないように思える。
「ちょっと重い話になるけど、聞ける?」
「そういうのは慣れてる」
「にゃは、じゃあ遠慮はいらんね」
ケーキ用のフォークを置いたシロナは、ゆっくりと口を開いた。
「ウチと、ついでにクロメもなんやけど……二人ともいわゆる施設出身でな、親の顔もほとんど覚えてないんよ」
「……」
施設――――親を失ったり、捨てられたり、つまりは行き場のない子供が育つ場所。
もちろんそういう場所があることは知っているが、実際にそこにいた人に会うのは初めてだ。
「関西の田舎の、ちーっこい施設でなぁ……食べるもんとか、おもちゃとか、全部質素やったけど、温かい場所やった」
「……」
「あ、先に言っておくけど、同情してほしいから話してるんとちゃうで? りんたろーさんだから話しとるのよ」
「分かってる」
「……ならええわ」
シロナは安心したように微笑む。
たとえ話の内容が重く苦しいものでも、俺はそれを玲たちには話さない。
特に玲は、この生い立ちを聞いて同情してしまうだろう。
その感情は、ツインズの二人からしても、勝負を楽しむファンたちからしても、不必要なものだ。
「念を押すようやけど、本当に温かい場所やったのよ。……せやかて、親に捨てられたっていう途方もない絶望は、中々埋まらんもんでな」
口は挟まないが、そりゃそうだろうと思った。
自分がそうだったから分かる。
どれだけ苦しくても、どん底でも、手を差し伸べてくれる人はいる。
俺がもっとも沈んでいる時に助けてくれたのは、バイトとして雇ってくれている優月先生や、雪緒だった。
そして今は、玲たちがいる。
――――それでも。
みんなが埋めてくれた穴は、どこか別の穴だ。
母親によって開けられた穴は、一生埋まらない。
俺はその穴を抱えたまま、この先も生きていくのだ。
「そこでウチは考えたんよ。ウチが世の中でうんと有名になったら、両親も見つけてくれるんやないかって」
「……!」
「名案やろ? それがウチとクロメがアイドルを目指したきっかけ」
「まさか、ミルスタに勝負を吹っかけてきた理由は……」
「気づいてしまったようやね。そう、それが一番目立つと考えたからや」
何故ツインズがわざわざ喧嘩を売ってきたのか、この場で聞いてやろうかと思っていたくらい、そのことがずっと疑問だった。
こいつらは、面と向かって『喧嘩の理由に興味はない』と言っていた。
この勝負、負けて失うものはあれど、勝って得るものはほとんどない。
勝負自体やるだけ無駄なのだ。
それでもツインズは、外堀まで誘導して勝負の場を作り上げた。
そのすべてが目立つための行いだったとしたら、すんなりと納得がいく。
「ミルスタの知名度も利用して、ウチとクロメは誰も無視できないくらい世間を騒がせる……! そうすれば出てくるかもしれんやろ? ウチらを捨てた親っちゅーアホどもが!」
「……親を見つけたら、復讐でもするつもりか?」
「そこまで恐ろしいことは考えとらんよ。でも、罵るくらいのことはしてまうやろな」
そう言って、シロナはケラケラ笑った。
俺にはどうしても、その姿が無理しているようにしか見えない。
「りんたろーさんなら分かってくれはるとちゃいますか? あんたもぎょうさん嫌な思いをしてきた目をしとる」
「あんたと比べりゃ大したことねぇよ。単に母親が俺を置いてどっか行っちまったってだけだ」
「十分キツイっちゅーねん」
シロナのビシッとしたツッコミが決まる。
なるほど、上手く決まると案外気持ちがいいもんだ。
「お互い孤独を味わったって話については同意する。最近まで親父とも仲違いしてたし」
「最近までっちゅーことは、今はわだかまりも解けたん?」
「そうは言いきれねぇ。俺をほったらかしにしたのは事実だし、簡単に許していい話でもねぇし……けど、もう親父を憎いとは思わねぇ」
過去の清算なんて、どうせやり切れやしない。
だから俺と親父は、まったく新しい別の関係性を築いた。
過去から目を逸らし、未来だけを見る。
それが、どこまでも不器用な親父と俺の、前に進むための手段だった。
「……なるほど、りんたろーさんはもう前を向いてはるんやね」
「お節介は承知で言うが、あんたも折り合いつけて前を向くわけにはいかねぇのか? 今のあんたには、ついてきてくれる仲間も、ファンもいるだろ」
「アイドルとか、ファンとか、ウチにとっては実際どうでもええ。好きに推して、好きに嫌えばええ。ウチらの名前を少しでも広めてくれればね」
「……どうでもいい、か」
俺は、シロナの背後に巣食う大きな闇を見た。
しかし、今の発言は違う。
これを本心だと思っているのなら、こいつはとんだ勘違い女だ。
「……話してくれてよかったよ。俺はもう帰る」
「あら? 夜まで付き合ってくれへんの?」
「もう夕方だし、十分付き合ったろ。それにこっちは聞きたいことが聞けて満足してんだ」
俺が一番知りたかったのは、ツインズがミルスタに喧嘩を売った理由。
それが分かった今、ここに用はない。
「あいつらは絶対に勝つ。それが分かったから、もういいんだ」
「……」
「じゃあな。甘い物の摂りすぎには気をつけろよ」
俺はテーブルに自分の飲んだコーヒー代を置いて、席を立つ。
「……最後に教えたるよ、ミーチューブでバズる秘訣」
出入口へと向かう途中、後ろでシロナがそんな風に言った。
俺は一度足を止めて、振り返る。
「炎上を恐れないことや。多少のワルに目をつむってでも、とにかく注目されればええねん」
「……なんでやねんって言えばいいのか? 嘘ばっかつくなよ」
「っ!」
きちんとツッコんでやると、シロナは少し驚いた顔をした。
今の言葉が嘘であることくらいすぐ分かる。
何故ならツインズ自体が炎上商法をやっていないから。
「にゃはは! やっぱりんたろーさんはおもろいなぁ。そんじゃ、ミルスタのみなさんにもよろしゅう」
「ああ、伝えとくよ」
手を振るシロナを背に、俺は喫茶店をあとにした。