43‐1 まるで家族のように
「ん……?」
目を覚ますと、そこは俺の部屋だった。
閉められたカーテンの隙間からは、光が漏れている。
「……朝か?」
状況を理解した俺は、すぐに枕元のスマホを手に取った。
時間を確認して驚愕する。
「嘘だろ……?」
時刻は午前九時。
普段の起床時間から、三時間以上遅れている。
何もかも大遅刻だ。
(――――って、今日は休みか)
曜日まで確認して、俺は安堵する。
今日は土曜日、休日だ。
たまに土曜授業もあるが、今日は違う。
ただ、学校はなくとも、いつもの仕事はあるわけで。
(やっちまったな……っていうか、昨日どうやって寝たんだっけ)
確かミアが背中を流すとか言い出して、他の二人もそれに乗ってきて……。
頭を洗ってからどうなった?
俺は果たして自分でここまで歩いてきたのか?
「……」
なんとなく、自分のズボンの中を覗き込む。
いや、ないないない。絶対あり得ない。
何か間違いが起きたかもしれないなんて、そんなこと考える必要もないはずだ。
あいつらのことをなんだと思っているのだ。
まさか獣か何かだと思っているのか?
いくらなんでもそれはあいつらに失礼だ。
それに、俺なんかに襲う価値があるとも思えない。
ただ……ミアのあの強引さがどうしても頭をよぎる。
何かやましい目的があったのではないか、そう勘ぐってしまう。
(――――確かめるか?)
そんな考えが浮かんだ瞬間、俺はすぐにそれを却下した。
認識していないのなら、存在しないのと同じ。
この疑惑は、墓場まで持っていこう。
今はそれよりやらなければならないことがある。
俺はすぐに部屋を飛び出して、リビングへと向かった。
「すまん! 寝坊した!」
リビングに飛び込んだ俺は、開口一番謝罪を伝えた。
「あ、おはよー、凛太郎」
「え……雪緒?」
そこにいたのは、あの三人ではなく、ここにいるはずのない雪緒だった。
寝起きがおかしかったこともあり、ますます頭が混乱する。
「あれ……ここ本当に俺の家か?」
「そうだよ。あ、夢でもないからね」
そう言われて、自分の頬を摘まもうとしていた手を止めた。
そんなことしなくても、夢でないことくらいはもう分かっている。
一つずつ確認していこう。
「えっと……雪緒はどうしてこの家にいるんだ?」
「乙咲さんたちに呼ばれたんだよ。凛太郎が寝ているから、朝の世話をしてあげてほしいって」
「世話……?」
俺が疑問を浮かべていると、雪緒はコンビニの袋を見せてきた。
中にはサンドイッチや、お湯を注いで作るインスタントのスープが入っている。
「簡単な物ばかりだけど、朝ごはんを買ってきたよ。まあちょっと遅い時間になっちゃったけど……一緒に食べよ?」
確かに腹はかなり空いている。
夕飯を食べてから半日以上経っているし、腹が減るのも当然だ。
「ありがたいな。あとで金払うよ」
「あ、大丈夫、もう皆からもらってるから」
「……至れり尽くせりだな」
この用意周到さ。
発案はミアだろう。昨日のくだりもすべて計画の一部だった可能性がある。
目的は何か――――おそらく俺を休ませようとか、そんなところだろう。
変な気を回しやがってと言いたいところだが、これだけの爆睡を経験した今となっては、ただただ感謝するしかない。
思えばここ最近、ずっと妙な眠気があった気がする。
今はもうそれも消えているが……。
「それで……あの三人は?」
「ミーチューブ撮影用の道具を買いに行くって言ってたよ」
「ああ、なるほどな」
そうか、今日はあいつらも休みだったのか。
「ありがとな、色々気を回してもらって」
「気にしないでいいよ。僕も好きでやっていることだから」
清々しい笑みを浮かべる雪緒を見て、俺は心の中で今一度感謝した。
そして同時に、自分の情けなさを責める
生活の世話を買って出たくせにこの様とは……。
あいつらには仕事に集中してほしいのに、だいぶ面倒をかけてしまった。
これでは当初の話とかなり違ってくる。
「……凛太郎はさ、えらいよね」
「え?」
突然雪緒の口から言われた言葉が理解できず、俺は思わず聞き返す。
「自分がやると決めたことに、ちゃんと責任を感じてる。それって実はすごいことだよ」
「……別にすごかねぇだろ」
一度やると言った以上、勝手にやめるのは俺のプライドが許さない。
「それを当たり前だって思えてることもすごいよ。僕じゃ君のように生きるのは難しい。朝は寝たいし、夜は早く寝たいじゃん」
「そりゃ俺だってそうだけど……」
「でも君は我慢できるでしょ? 人のために自分の時間を惜しみなく使える……それって、どこまでも優しい人間じゃないとできないよ」
優しいという言葉に、俺は首を傾げる。
別に優しくしているつもりはないんだが――――。
「あはは、凛太郎って案外鈍感だよね」
「……そうか? つーか、人のために時間を使うって話なら、お前だって俺のためにこうして来てくれてるじゃねぇか」
「僕の苦労と君の苦労を一緒にしちゃだめだよ。誰だって一日くらいは頑張れるけど、これを毎日やれって言われたらしんどいさ」
そう言って、雪緒は笑う。
雪緒は高校入学と同時に引っ越しており、この家と現在の家にはかなり距離がある。
その距離で毎日通うというのは、不可能でないにしろ面倒くさいことは間違いない。
「君は今、大変なことをやってるんだよ。僕が心配してるのは、君がそれに気づかず疲れをためてしまっていないかってところ。……ま、案の定だったみたいだけど」
「……悪い」
「責めてるわけじゃないさ。でも、凛太郎はもう少し人を頼るべきだと僕は思うよ。それこそ僕だったり、乙咲さんたちだったりさ」
玲たちを頼る。
そんなの、考えたこともなかった。
もちろん経済的な部分においてはおんぶにだっこだが、自分に与えられた仕事内容であいつらを頼ったことは一度もない。
だってそれは、約束が違うから。
「俺はあいつらの仕事の助けができない……だから俺の仕事に関しても、あいつらに助けを求めるべきじゃないと思って」
「ばかだなぁ君は。それで君が動けなくなったら本末転倒じゃない。あの三人を支えていきたいんでしょ?」
「うっ」
ごもっとも過ぎる。
「僕だったら、そういう風に切り分けられて生活していくのはちょっと悲しいなぁ。結局もうビジネスライクって関係じゃないんだし、一つの家族みたいに生活してみるのはどう?」
「……家族か」
俺は多分、〝普通〟の家族の温もりを知らない。
家に母親しかいなかった時は、この場所が温かいなんて思ったことがないし、親父はそもそも帰ってこなかった。
今でこそ親父との関係は良好化したが、その時のことまですべて許したかと言われれば、そうではない。
許せはしないが、終わったこととして受け入れたんだ。
(そういえば……この家にはあの人もいたんだよな)
あの人――――俺を置いて出ていった母親のことを、ぼんやりと思い出す。
以前は思い返すたびに嫌な汗をかいていたが、今はそれがない。
自分の中で、あの人がトラウマからただの記憶になったのだと理解する。
思えば、あの人は家事はかなり頑張っていたと思う。
家が広いからお手伝いさんを呼んでいたこともあるけれど、掃除もしてくれたし、洗濯も、料理だって作ってくれていた。
俺の世話だけは、ちゃんとしてくれていたんだ。
だからこそ、あの人が出ていった時に、強いショックを受けた。
今だから思う。
出ていくほど俺の世話が嫌だったのなら、サボってくれたってよかったのに……と。
実際のところ、出ていった理由に関しては他にもあるだろう。
しかしあの人がもっと誰かを頼ることのできる人間だったなら、変に追い詰められることもなかったのではないか。
(まあ、だとしても許すつもりはねぇけど……)
母親の責務を放棄したのだから、自分に限らず許してはいけない存在であることは分かっている。
それでも、決別を回避する方法があったのではないかという話だ。
……自分が追い詰められているという自覚はない。
むしろ上手く立ち回れていると思っていたが、傍から見ればそうではなかったらしい。
俺は平々凡々な男子高校生。
元々できることには限界がある。
「……ありがとう、雪緒。あいつらが帰ってきたら、少し相談してみる」
「うん、それがいいよ」
「相変わらずお前はなんでもお見通しだな」
「なんでもとは言い切れないけど、誰よりも君のことをよく見ている自覚はあるよ」
「そ、そうかよ……」
とても冗談とは思えない気配に、俺はわずかに恐怖を覚えた。