39‐3
会場を離れた俺たちは、適当なファミレスで飯を食った後、そのまま駅で解散することにした。
多少の疲労感を抱えながら帰宅した俺は、外から持ってきた汗と汚れを払うためにシャワーを浴びる。
俺がイベント慣れしていないだけかもしれないが、ライブというのは見ているだけでも意外と疲れるようで。
体を拭くためのタオルが、いつもよりほんの少し重く感じられた。
(そういえば……あいつら今日の飯どうすんだろ)
ライブのことで頭がいっぱいで、俺もあいつらも終わった後のことをなんにも考えていなかった。
必要なら作るだけなのだが、ライブ終わりに簡単な物で済ませてしまうというのはあまりにも味気ないというか、なんというか。
どうせなら豪華なものを食べさせてやりたい。
となると、買い出しに行く必要が出てくるのだが――――。
「ん?」
髪をドライヤーで乾かしていると、何やらスマホにメッセージが届いた。
差出人の名前は、ミア。
俺は湿った髪を一旦放置して、スマホのロックを解く。
『ごめん、スタッフの人たちと打ち上げすることになっちゃった。今日のご飯は三人とも大丈夫です』
そんなメッセージに、手を合わせて謝罪しているような絵文字がついていた。
なるほど、そういうものもあるのか。
「じゃあ帰りの時間はどれくらい……っと」
打ち上げとなると、帰る時間もかなり遅くなるだろう。
そう思って返信してみると、日付が変わるまでには帰るというメッセージが届いた。
まあ未成年だし、大人がかかわるならそんなもんか。
零時前なら、ギリギリ起きていられそうだけど……。
「……暇だな」
ドライヤーを再開し、俺はふと気づく。
時刻はまだ十九時。
ライブ自体は十七時に終わり、解散も早かった。
こうなることを先に知っていたら、雪緒にもう少し付き合ってくれと頼んでもよかったかもしれない。
掃除も洗濯も、ライブを純粋に楽しみたくて昨日のうちに終わらせてあるし、飯を作る必要もなくなった。
こうした空白の時間はありがたいが、突然できると何をしていいか分からなくなってしまう。
(授業の予習でもしとくか……?)
俺は自室から教科書とノート、そして問題集を回収して、リビングへと戻ってくる。
普段なら自室でやるのだが、せっかく一人でこのでかい家を使えるのだから、わざわざ部屋に引きこもる必要もないだろう。
普段は飯を食べるためのテーブルに勉強道具を広げ、ノイズキャンセリング付きのイヤホンを耳にはめた。
勉強中に音楽は流さない。雑音を消せればそれで充分。
せっかくできた暇な時間を勉強に使ってしまうなんて、なんとつまらない男と思うかもしれない。
しかし、あいつらの世話で成績が下がったなんて死んでも言いたくないし、あいつら自身に責任を感じさせるのもごめんだ。
だったらもう、普段以上に勉強して、成績を維持するどころか上げてやればいい。
「よし、やるか」
静かに気合を入れ、俺は集中して勉強に取り組み始めた――――。
◇◆◇
「ただいまぁ……はー、疲れた」
「打ち上げ、ちょっと盛り上がりすぎたね」
「まったくよ……いい大人たちが揃いも揃ってライブの成功を喜んじゃって」
打ち上げを終えた私たち三人は、ようやく凛太郎の実家へ帰ってくることができた。
「りんたろー! 帰ったわよー!」
靴を脱ぎながら、隣でカノンが叫ぶ。
しかし、凛太郎の返事はない。
「……返事がないわね」
「ん、もしかしたら出かけてるのかも」
「うーん、だったらあたしたちに連絡の一つでもよこすんじゃない?」
「……確かに」
凛太郎は、いつも私たちを労いの言葉と共に出迎えてくれる。
それが自分のこだわりなのだと、前に語ってくれた。
あの凛太郎が、事情もなくそのこだわりをやめるとは思えない。
彼に何かあったのではないか。
急に不安がこみあげてくる。
「まあまあ、とりあえず中に入ろうよ」
ミアに背中を押され、私とカノンはリビングへと入る。
「あ……」
それを見た私は、思わずほっとして声を漏らした。
そこにあったのは、テーブルに突っ伏して寝息をたてる凛太郎の姿。
教科書やノートが広げられているところを見るに、勉強中に寝落ちてしまったらしい。
「なんだ、寝ちゃってたのね」
「よかった……」
凛太郎に何かあったらと思ったら、気が気ではなかった。
ひとまず何事もなさそうなところを見て、私は胸を撫でおろす。
「ライブって、観客として見ているだけでもかなり疲れるものだから……普段ボクらのために頑張ってくれているし、寝落ちちゃうのも仕方ないね」
「そうね……ってか、どうする? できればベッドで寝かせた方がいいわよね?」
「うん、でもボクらで運べるかな?」
このままでは、凛太郎が体を痛めてしまうかもしれない。
それに肌寒くなってきているし、風邪を引いてしまう心配もある。
三人で頑張れば、寝室まで移動させることはできるかもしれない。
しかし起こさないまま移動させる自信は、私たち三人の中にはなかった。
でも――――。
「……風邪を引かれるよりは、絶対運んだ方がいい」
私はそう二人に告げた。
動かす時に起こしてしまうのはかわいそうだけれど、このまま体調を崩すよりよっぽどマシなはず。
せめてリビングのソファーまで移動させられれば、体を痛める可能性は少なくなるし、毛布だってちゃんと掛けてあげられる。
少なくとも、放置するという選択肢は存在しない。
「……そうね、レイの言う通りだわ」
「うん、運んでみようか」
「バランスを見るに、三人で持ち上げるよりも、二人で前と後ろを持った方がよさそうね」
「じゃあボクとレイでやってみよう。カノンは、ボクらが落としそうになった時にサポートしてほしい」
「分かったわ」
私たちは、なんとかして凛太郎の体をソファーまで運ぶことに成功した。
一度彼の部屋のベッドまで運ぶことを試みたけれど、階段を上ることができずに断念。
途中かなり揺らしてしまったり、柱にぶつけそうになったりもしたけれど、結局凛太郎は一度も起きることなく今も寝ている。
「これで起きないってことは、相当疲れてたのかも」
「そうだね……ボクらって、普段どれくらい彼の負担になっているのだろう」
「……」
ミアの疑問に、私は何も答えられなかった。
それはカノンも同じだったようで、口を開かず眉をひそめている。
「凛太郎君、ボクらのこと嫌になっちゃったりしないかな……」
「……大丈夫、それだけはないと思う」
自立しているところばかりが目立つ凛太郎だけれど、決して弱みを持っていないわけではない。
そのことは、この前の天宮司さんとの一件や、母親の話をしてくれた時に証明されている。
私たちがそれを知っているからこそ、彼が本当につらい時は、ちゃんと弱音を吐いてくれるのではないかと思うのだ。
「私たちが凛太郎を信じているように、凛太郎も、私たちを信じてくれている。だからもう、変に強がったりはしない気がするの」
「……うん、そうかもしれないね。ちょっと照れくさいけど」
凛太郎と築いた絆は、そう簡単にはこじれない。
この気持ちよさそうな寝顔を見ると、心の底からそう思える。
「にしても、本当に気持ちよさそうに寝てるわね」
呆れたように言いながら、カノンが凛太郎の頬をつつく。
「羨ましい、私もやりたい」
「駄目だよ、レイ。さすがに起きちゃうかもしれないでしょ? カノンもあまり悪戯しない」
カノンと私は、大人しく指を引っ込めた。
凛太郎の柔らかそうな頬っぺたは触りたかったけれど、それで起こしてしまったらさすがに申し訳なさすぎる。
「……でも、さすがに寝顔が可愛すぎるよね」
私たちの前で、ミアは自分のスマホを取り出した。
そしてカメラを起動し、凛太郎の顔をそれに収める。
「み、ミア⁉」
「大丈夫。カノンたちにもちゃんと共有してあげるから」
「……ならいいわ」
顔を見合わせ、私たちは笑う。
この日、私たちミルフィーユスターズだけのチャットグループに、凛太郎の寝顔コレクションという項目が作られた。