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35-3

「……素晴らしいプレゼンでした、凛太郎様」

「え?」


 社長室を出て、エントランスまで戻ろうとしていた俺に、ソフィアさんが話しかけてきた。

 彼女の青い目は、俺のことを真っ直ぐ見つめている。

 改めて見ると、めちゃくちゃ綺麗な顔をしているな、この人。


「あそこまでされてしまえば、社長も頷かざるを得なかったでしょう。どうやってあのプレゼン力を磨いたのですか?」

「ああ、いや、別にプレゼン力を磨いたとか……そういうことをやった覚えはねぇんだけど」


 褒められて悪い気はしないが、本当にそれに関しては自分から学んだ覚えはない。

 しかし、強いて言うなら思い当たることが一つあった。


「結局、俺に志藤グループの跡を継がせようとしていたのは、親父じゃなくてお袋だったんです」

「え……?」

「今思い返せば、親父は一度も俺に無理やり会社経営の極意を学ばせようとはしなかった。けどお袋からは、ずっと面倒臭い勉強をやらされてたなぁって」


 昔のことを思い出さないようにしていたせいで、そのことすらも忘れていた。

 俺に護身術を習わせたのも、経営学を学ばせたのも、全部親父ではなくお袋の仕業。

 立派な跡取りにすべく、お袋は俺に英才教育を施そうとしていたのだ。


「親父に憧れていたのは本当ですけど、そんな子供が一から経営学の本を読んで覚えられるわけもないじゃないですか。そもそも書いてある漢字すら読めねぇし。でも、それをお袋は無理やり俺の頭に叩き込んだっってわけです」

「それは……なんと言ったらいいか」

「ああ、いや、別に気は使わないでください。もう俺も気にしてないんで」


 結局俺の母親は、何から逃げ出したんだろうか?

 俺を育てるプレッシャー? 親父に構ってもらえない寂しさ?

 こればかりはどれだけ考えたところで、答えにはたどり着けないだろう。

 むしろたどり着かない方が正解かもしれない。

 いくらなんでも、あの母親と同じような無責任な人間にはなりたくないもんな。


「まあ、だからその時に教え込まれた知識の中に、もしかしたらプレゼンについて書かれた物もあったかもしれないな、って。正直ガキの頃過ぎて、全部が全部思い出せるようになったってわけでもないんです」

「そうでしたか……無神経なことを聞いてしまい、大変申し訳ございません」


 俺に向かって、ソフィアさんは頭を下げる。

 なんて律儀な人だろうか。

 俺は気にしていないと言っても、彼女の中では気が済まないのだろう。

 その気持ち自体は素直に理解できるため、俺はこの謝罪を正面から受け取ることにした。


「……俺こそ、これまで八つ当たりみたいなことばかりしてすみませんでした。今更ですけど、やってることがガキ過ぎて恥ずかしいっす」

「いえ、事情は聞き及んでおりましたし、私は気にしておりません。ただ……」


 ソフィアさんは凛とした表情を崩し、突然懇願するかのような態度で俺に向かって手を合わせた。


「その……会社の情報をお渡ししたこと、本当に内密にお願いいたします」

「分かってます。俺もわざわざ敵を作るような真似はしたくないんで」


 あまりにもソフィアさんの眉尻が下がり過ぎていて、俺は思わず苦笑いしてしまう。

 何を隠そう、俺に資料を渡してくれたのは、ここにいるソフィアさんなのだ。


「しかしながら、突然資料が欲しいと言われた時は驚きましたよ」


 遡ること一週間前、俺はあらかじめ知っていた彼女の連絡先を使って要件を伝え、交渉に及んだ。

 最初はもちろんソフィアさんも渋ったけれど、この会社のためになる話だと伝えた途端、協力してくれることになったのである。


「でも、どうしてこんな簡単に協力してくれたんですか? こう言っちゃなんですけど、俺が遊び半分で聞き出そうとしている可能性だってあったじゃないですか」

「そうですね……嬉しかったんだと思います」

「嬉しかった?」

「はい。もちろんあなたが遊び半分で私をからかうような方ではないことくらい存じていたという部分もありますが――――我々や社長を含め、この会社自体を嫌っていたであろう凛太郎様が、初めて会社のために何かをなそうとしてくださった……それだけで、私はたまらなく嬉しかったのです」

「……そうっすか」


 微笑みを浮かべたソフィアさんを見て、俺は安堵した。

 やはり邪険に扱われているより、受け入れられていた方がいいに決まっている。


「またぜひ遊びに来てください。我々は凛太郎様を歓迎いたします」

「……そのまま後を継げなんて言いませんよね?」

「さあ、それはどうでしょうか」


 からかうように笑うソフィアさんを背後に、俺は志藤グループのビルを出る。


「凛太郎様」


 去り際に呼び止められた俺は、ソフィアさんの方へ振り返る。


「やはり……あなたと雄太郎様はよく似ていらっしゃいますよ」


 ソフィアさんは、微笑みながらそんな言葉をかけてきた。

 俺はそれを聞いて、思わず吹き出すようにして笑う。


「はははっ! 勘弁してくださいよ。俺の方が絶対に整った顔してますから」

「……ふふっ、そうかもしれませんね」


 そんなやりとりを最後に、今度こそ俺は会社を後にする。

 見上げてみれば、空はどこまでも青く、秋の風が吹き抜けていた。

 まるで生まれ変わったかのような爽快感を覚えながら、俺は帰路につく。


 さあ、帰ろう。あいつのところへ。


◇◆◇


「社長、凛太郎様が帰られました」

「そうか……」


 社長室へと戻ったソフィアは、雄太郎に対してそう報告した。


「……まさか、息子に私が説得されるとはな。こんなことが起きるとは考えたこともなかった」

「そうですね。私も凛太郎様がこの会社と関係を持とうとするとは思っていなかったです」


 ソフィアは別室にてコーヒーを淹れ、席に戻った雄太郎の前に置いた。

 一口それをすすった雄太郎は、一仕事終えた後かのように大きく息を吐く。


「あの、社長」

「ん? なんだ」

「本当に、凛太郎様を跡取りにするつもりはないのですか?」

「なぜそんなことを聞く」

「私の立場でこんなことを口にするのは大変おこがましいと理解はしていますが……凛太郎様は間違いなく逸材です。次期社長とまでは言わずとも、大学卒業後はすぐにでも内定を出すべきかと存じます」


 ソフィアの言葉を聞いて、雄太郎は吹き出すように笑う。

 そんな姿を見たことがなかったソフィアは、驚きのあまり目を丸くした。


「そうだな……確かに、凛太郎の優秀さには驚いた。しかし、やはりそれを決めるのはあいつ自身だ。私は決して強要はしない」


 雄太郎はコーヒーを机に置き、その隣に並べられていた凛太郎の持ってきた資料に視線を向ける。

 丁寧にまとめられたそれらの資料はえらく読みやすく、完成度としては極めて高かった。


「まあ、我が社に欲しいのは事実だがな。気づいていたか? 話している間、あいつはずっと私の目を見ていたことに」

「目、ですか……?」

「目は口ほどに物を言うという言葉があるように、目というのはその人間が今どんな感情を覚えているのかを表す。凛太郎はそれを読み取るべく、常に私と目を合わせ続けていたんだ」

「た、確かに目から相手の感情を読み取るというのは大切な技術ですが……」

「凛太郎は、相手の感情を読み取りながら会話を選ぶことができる人間ということだ。言葉だけでは単純なことを言っているように聞こえるかもしれないが、実際はかなりの神経を使う特別な技術だよ」


 凛太郎はこれまでも悪意を読んだり、嘘を感じとったり、他者とのコミュニケーションにその技術を使用していた。

 この技術に関して、凛太郎自身に自覚はない。

 しかしながら、彼の気配り力は間違いなくこの技術由来である。


「今思えば、元妻もコミュニケーション能力には目を見張るものがあったな……懐かしい。今はどこで何をしているかも知らないが」

「……お調べいたしましょうか?」

「いや、必要ない。私の家族は、凛太郎だけで十分だ」


 わずかに照れた様子でそんな言葉を口にした雄太郎を見て、ソフィアは思わず笑ってしまう。

 とっさに口を押さえて声を漏らすことは防いだが、雄太郎はそれを見逃さなかった。


「……そんなにおかしいことを言ったか?」

「おっと……失礼いたしました」

「……まあ、いい」


 雄太郎はコーヒーを一気に飲み干すと、一度目を閉じ、そして開いた。


「さて、そろそろ業務に戻るとするか。今日は会食もあっただろう」

「はい。十九時から新宿にて予約が入っております」

「分かった。それまでに書類に目を通せるだけ通しておくから、用意をしてくれ」

「承知いたしました」


 ソフィアは空になった雄太郎のコーヒーカップを回収し、部屋の出口へと向かう。

 

「……社長」


 社長室の扉の前に立ったソフィアは、彼のことを呼びながら振り返った。


「やはり、社長と凛太郎様はよく似ておりましたよ」

「……勘弁してくれ。私の方が顔立ちはいいだろう」

「っ!」


 雄太郎が珍しく冗談めかしたことを口にしたことにも驚いたが、ソフィアとしては今さっき息子側の口から聞いた言葉と同じような内容が飛び出してきたことに一番の驚きを覚えていた。。

 ソフィアの目から見れば、あまりにも微笑ましい光景。

 笑みがこぼれてしまうのも、もはや必然である。


「――――いえ、よく似ておりますよ。本当に」

「……?」


 首を傾げる雄太郎を残し、ソフィアは部屋を後にした。

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