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35-1 親と子

「ふぅ……」


 休日。俺は再び志藤グループの本社の前に立っていた。

 この前の電話で、アポイントメントはすでに取ってある。

 前はここにいるだけで嫌悪感がえげつなかったが、今となってはそれがまったくない。

 逆にえらく前向きな気分だ。


「――――行くか」


 俺はビルの中に入り、受付で要件を伝える。

 社長の息子と知って恐縮する受付の人たちと軽く会話した後、俺は案内の人間が来るまでエントランスで待つことになった。

 そしてしばらくすると、エレベーターから見知った顔が下りてくる。

 "彼女"は俺を見つけ、真っ直ぐに歩み寄ってきた。


「……お待ちしておりました、凛太郎様」


 そう言いながら、ソフィアさんは俺の前に立つ。

 親父と似て、この人の表情もだいぶお堅い。

 やはり類は友を呼ぶのだろうか? まあきっと仕事ができればなんでもいいのだろう。


「正直に申し上げますと、もう凛太郎様の方からこのビルを訪れることはないと思っておりました」

「俺も同じように思ってたんですけど……世の中何が起きるか分からないもんですね」


 俺の態度が想像とは違ったからか、ソフィアさんはきょとんとした表情を浮かべていた。

 なんだよ、意外と表情豊かじゃないか。


「……では、ご案内いたします」


 ソフィアさんに連れられる形で、俺はあの時と同じように社長室へと向かう。

 エレベーターに乗って最上階へ。

 そしてエレベーターを降りた先にある部屋の前に立つと、ソフィアさんが扉をノックした。


「社長、凛太郎様をお連れいたしました」

「……入ってくれ」


 部屋の主の許可をもらい、俺は社長室の中へと足を踏み入れる。

 そこには、この前来た時と同じ光景が広がっていた。

 奥の椅子に座っていた親父は、俺を見て席から立ち上がる。

 そして向かい合うようにして並べられたソファーの方を指し示し、俺を誘導した。


「いきなり時間をくれだなんて……一体なんの用だ?」

「別に、子供が親に会うために理由なんているのか?」

「……」

「……なんてな」


 あまりにも親父が困った顔をするものだから、俺はすぐに冗談だと告げた。

 つーか、困るのもそれはそれで失礼な話じゃないだろうか?

 まあこれまでの俺たちの関係を考えれば仕方のない話だけど。


「本題に入れ。今日はなんのためにここに来た」

「……ここに来た理由は、二つある。そのうちの一つは……あんたへの謝罪だ」

「謝罪?」

「俺は……ずっと勘違いしてた。親父が俺を跡継ぎにしたがってるんだって決めつけて、勝手に憎んでた」

「……」

「けど、あんたは一度も俺に家を継げだなんて言ってこなかった。あんたは……無理やり俺に家を継がせる気はなかったんだな」


 親父は、俺の言葉を否定しなかった。

 この沈黙こそ、まさしく肯定である。

 俺の知る親父は、本当に人付き合いが苦手だ。

 相手の気持ちを尊重した会話なんてできやしない。

 だからこそ、いつだって親父の言う言葉は本音なんだ。

 そういった部分に関して言えば、俺は親父のことを信用している。


「私は……家のことを疎かにして、お前を苦しめた張本人だ。それを理解した上でお前を同じ道に引きずり込むことはできなかった」

「……あんたの元妻に逃げられた時、どう思った?」

「然るべき断罪が下ったと思った。私のような他人の気持ちに無頓着な男が家庭を築いたことこそ、許されざる罪なのだと……」


 親父はそう語りながら、目を伏せた。


「確かに、あんたは俺とお袋を放ったらかしにして、結局お袋の方は逃げられた。親の責務を果たせていなかったのは事実だと思う」

「……」

「けどな……」


 俺はその先の言葉を告げるかどうか、数秒迷った。

 口にするにしても、あまりに照れ臭すぎる。

 ただここまで来てやっぱりやめた、なんて切り方はできなかった。


「俺は、ここまでちゃんと育ったぞ。他でもない、あんたの息子としてここにいる」


 俺はソファーから立ち上がり、真っ直ぐ親父の目を見つめる。

 そして俺は、親父に対して深々と頭を下げた。


「ここまで育ててくれて、ありがとうございました」


 この感謝は、もしかするとお門違いなのかもしれない。

 親の責任から逃げかけていた男に対して頭を下げるなんて……そんなことを言われるかもしれない。

 だけど、やっぱり俺がこれまで生きてこれたのはこの人のおかげだ。

 俺は、この男の息子として生きているんだ。


「……お前は、まだ私を父と呼んでくれるのか」

「当たり前だろ。俺の親父はあんたしかいない」

「そう、か」


 親父の体がソファーに沈み込む。

 その様子から読み取れることは、大きな安堵。

 親父の中で、何かしらの憂いが消えたということだ。


「私には……命を生み出した責任がある。そのことだけは、ずっと理解していた。だが、社員を守るために働き続けた私は、一番守らなければならないはずの妻とお前を蔑ろにした」


 後悔を噛みしめるかのように、親父は歯を食いしばる。

 しかしすぐに口を開き、言葉を続けた。


「お前に強く干渉しなかったのは、親の責務を果たせなかった私のような人間は、子供の側にいない方がいいんじゃないかと思ったからだ。私が存在していることで、お前を苦しめているのだと……」


 それは、さながら罪人の独白のようだった。

 俺は決して聞き逃してたまるものかと、親父の話を脳裏に刻み込んでいく。


「今まで、本当にすまなかった。どうかこんな私を許してくれ」


 俺に向かって深々と頭を下げる親父を見て、俺は思わず笑いそうになった。

 あの天下の志藤グループ社長が、こんなガキ一人に頭を下げている。

 悪い気分じゃねぇ――――なんて、冗談は置いといて。


「頭上げてくれ、親父」

「……」

「俺はあんたと、これからの話がしたい」


 そんな俺の言葉を受けて、親父はようやく頭を上げた。


「正直、これまで俺は結構なトラウマを背負ってきた。これに関しては自覚があるから、包み隠さず伝えておく。けど、今ならそういうものも全部克服していけそうな気がするんだ。だから、もう過去の話じゃなくて、未来の話がしたい」

「……未来の話か。それが二つ目の話につながるのか?」

「ああ」


 俺は手荷物の中から、分厚い資料を取り出した。

 それを親父の前に並べると、その顔に驚愕の色がみるみる浮かんでいく。


「これは……我が社の業務成績か?」

「そうだ」

「待て、これはうちの社員でも役員クラスでなければ確認できないはず……いくらお前でもこんな物手に入らないはず――――」

「その役員たちを当たったんだ。志藤雄太郎の息子って伝えたら喜んでコピーしてくれたよ」

「……」


 親父はだいぶ渋い顔をしている。

 協力してくれた役員が責められるかもしれないと思って名前は伏せたのだが、どうやらその判断は間違っていなさそうだ。


「大丈夫だって、流出させたり、悪用するつもりはないから」

「ならば、お前はどうしてこれをわざわざ回りくどい真似をして手に入れたんだ?」

「んー……俺が介入できる余地はねぇかなって思って」

「お前が介入だと?」

「ああ。ちょっと、親父に頼みたいことがあってさ」


 俺は自分で作ってきた“企画説明資料”を、新たに並べた。


「久しぶりに、親父とお袋と住んでた家に帰ったんだ。合鍵は持ってたし、必要な物があったから。ははっ、あんた本当に全然帰ってねぇんだな。結構埃がたまってたから、ついでに掃除しちまったよ」

「凛太郎……お前何を」

「この一週間で、俺は親父の部屋にあった経営学に関わる本、それとここにある現志藤グループの業績をすべて頭に叩き込んだ。……親父は本当にすげぇよ。こんだけデカくなったくせに、毎年毎年業績を上げ続けているわけだからな」


 そう、この一週間で、俺は自分の親父がいかに優秀なのかを嫌というほど思い知った。


「さすがに経営学まで学ぶのはキツイだろって思ってたんだけど……意外と覚えてるもんだな。ガキの頃、あんたに憧れて難しい本を読み漁った経験が、今になって生きてきたよ」


 当然、すべての本を一から読むなんて真似ができるはずもなかった。

 それに、そんな途方もない行為を面倒くさがりな俺ができるはずもなく。

 しかし幼少期の頭の吸収率のおかげで、俺は置いてあった本のほとんどの内容を覚えていた。

 あとは今の頭で知識に変換するだけ。

 まあ、それも死ぬほど辛かったが――――目的を持った人間は、案外死ぬ気で頑張れるもんだな。


「……お前が何かの目的に基づいて動いていたということは分かった。それで、お前の目的とはなんだ?」

「――――買い取るんだよ」

「何?」


 俺はこれまでにない邪悪な笑みを浮かべつつ、その目的を口にした。


「俺はあの天宮寺グループを、ごっそり買い取りたいんだ」

 

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