33-4
「自分の父親について知りたい?」
「……はい」
食後、俺はダイニングテーブルを挟んで乙咲さんに質問を投げかけていた。
自分の父親、志藤雄太郎について――――。
どう考えても、俺はやはり親父のことを知らなさ過ぎる。
嫌うなら嫌うで、しっかりとした理由が欲しい。
ちなみに玲と莉々亞さんは、キッチンの方で片付けをしてくれている。
「君と志藤さんの関係については、先ほど概ね聞いた。その上で、君は父親に歩み寄ろうとしているのか?」
「正直、俺も自分が分からなくなってて……親父のことは確かに恨んでいるんですけど、俺は本当に正しくあの人を恨めているのか……その部分がもう不安定になっているというか」
「ふむ……」
乙咲さんはしばらく考え込む様子を見せた。
きっと、俺に対してどう話したものかと気を遣ってくれているのだろう。
その気遣いは、素直にありがたい。
「……志藤さんとの出会いは、それこそ十年ほど前になるか。企業同士の交流会で挨拶をさせてもらったのがきっかけで、互いに顔見知りになった」
「……」
「その時に私は、彼に連れられた君の姿を見た」
「だから俺のことを知っていたんですね」
「ああ。こう言うと君に失礼かもしれないが……パーティーの時に見た君とはかなり印象が違ったせいで、最初は気づかなかったな」
自分が子供の時から大きく変わったことは自覚している。
確か昔の俺はもっと明るくて、目がキラキラと輝いていたはずだ。
まあ、今ではだいぶ目つきが悪くなってしまったわけだが――――。
「ともあれ、志藤さんについて私が知っていることはそんなに多くない。仕事人間であることや、常に冷静沈着に物事を判断できるということくらいは君も知っているだろう」
「そう、ですね」
まあ、そうだよな。
別に特別親しいってわけでもないみたいだし、乙咲さんとしてもどうして自分に聞くのだろうと思ったはずだ。
「――――ただ」
「……?」
「あのパーティーで、志藤さんは君について話していたよ」
「え?」
俺はその言葉を聞いて、思わずフリーズしてしまった。
あの親父が、俺について話していた?
そんなの、到底信じられることではない。
「会社を経営する者として、私は当時息子を持つ志藤さんを羨ましく思っていたんだ。今となっては玲がいる幸せを噛み締めているが、父と経営者にはやはりそれぞれ違う感覚があってね。そういった部分について、少し話を伺ったんだ」
乙咲さんはどこか懐かしむように目を細めた。
「私はその時、君を会社の後継者にするのかと問いかけた。しかし志藤さんは、『私の我儘で息子に跡を継がせるつもりはない』とはっきり告げたんだ」
「跡を継がせるつもりはない……」
「『息子は私と違って、妻の社交的な部分を強く継いでいる。だからきっと私よりも上手く生きていけるはずだ』――――そんな風にも語っていたな」
なんだよ、それ。
そんな言葉が口から漏れそうになり、俺は思わず手で抑えた。
「社交的であるならばこそ、私はなおさら跡を継がせるべきではないかと思った。しかし志藤さんの中では、その考えは違ったらしい」
「……親父は俺に、何をさせたかったんでしょうか」
「君も、だいぶ考え方が凝り固まっているようだな」
「凝り固まってる?」
「昔の私では理解できなかったが、父親としての経験値を積んだ今なら分かるよ。志藤さんは君に、自由に生きてほしかったんじゃないか?」
自由に生きてほしい。
その言葉が、俺の頭の中にあった疑問と強く結びついた。
親父は本当に俺に会社を継がせたいのか、という疑問。
やはり何度思い返してみても、親父は俺に跡を継ぐようには言ってこなかった。
本当にあの男は、俺に自由に生きてほしいと思っている……?
「まあ志藤さんは私から見ても少々愛想が足りないと思うし、誤解を招きやすい人間だと考えるが、決して人を蔑ろにできる性格ではないはずだ。長らく経営者として他人を見てきた私には、なんとなくそれが分かる」
なんと説得力のある言葉だろう。
乙咲さんは、決して俺を慰めるために言葉を紡いでいない。
その表情を見る限り、少なくとも心の底から思っていることを口にしてくれているように見える。
「ただ、君は跡を継がせようとしてくるから父親を恨んでいるわけではないのだろう?」
「……そうですね。そこだけではないです」
結局、俺が一番親父に対して思っていることは、母親と俺をほったらかしにした恨みだ。
いくら親父が俺のことを考えてくれていたとしても、その事実だけは変わらない。
「うむ……それに関して言えば私も人のことは言えないし、擁護はできないな。存分に責めていいだろう」
「はははっ、乙咲さんもそういうこと言うんですね」
「親には親としての責務がある。それがこの世界に新たな命を生み出した者へ課せられる使命だ。意図的ではないにしろ、それを蔑ろにした人間が責められることは仕方のないことだと私は考える」
乙咲さんの言葉は、自身への戒めのようにも聞こえた。
玲に寂しいを想いをさせてしまったということに対して、やはり強い罪悪感を抱えているのだろう。
「少しは参考になったかな」
「……はい。ありがとうございました」
「これから君はどうしたいんだ?」
「今は自分自身が何をしたいのかいまいち分かっていませんが……近いうちに、親父にもう一度会いに行こうと思いました」
「……そうか」
会って何をするってわけでもない。
奴への恨みが消えたわけでもない。
歩み寄りたいとも今は思えない。
それでもやはり、このままにしておくわけにはいかないということだけは分かる。
俺は志藤雄太郎の息子で、奴は志藤凛太郎の父なのだから。
◇◆◇
「今日は本当にごちそうさまでした」
乙咲家を出た俺は、玄関先まで見送りに来てくれた乙咲さんと莉々亞さんに向かって頭を下げた。
時刻は二十一時に迫ろうといったところ。
お暇する時間としては妥当だろう。
「いいのよ、普段玲がお世話になっているお礼だったんだから。また遊びに来てね? もっとお料理の話がしたいの」
「はい、ぜひ」
乙咲さんとの話を終えた後、俺は莉々亞さんと長らく料理についての話をした。
大人の持つ知識量は子供の俺とは比べ物にならず、どの話も参考になるものばかり。
この先機会に恵まれれば、もっと話を聞きたいと思っていた。
「私たちも中々時間が取れなくて申し訳ないが、君のことは今後も歓迎したいと思っている。また何か困ったことがあれば、気軽に相談してくれ」
「ありがとうございます、そうさせてもらいます」
「……これからも、玲のことをよろしく頼む」
俺は改めて二人に向かって頭を下げた。
玲のことも、この二人のことも、俺は悲しませるわけにはいかない。
そのためにも、俺はまず自分の身の周りのことを解決させなければならないはずだ。
「それじゃあ帰ろう、凛太郎」
「ああ」
俺は玲と共に乙咲家の敷地から外に出て、乙咲さんが呼んでくれたタクシーへと乗り込んだ。
玲に関しては泊っていけばいいのにと思ったのだが、どうしても俺と一緒に帰りたいと言って聞かないため、こうして共にマンションへと戻ることとなった。
乙咲さんたちも明日は朝が早いようで、結果的にはこの流れでよかったのかもしれないけど。
まあタクシーなら一緒に歩いているところはほとんど見られないはずだし、周囲の目も気にしなくて済む。
(それに……玲にも聞いておかないといけないことがあったし)
俺と玲は、しばらく無言で車に揺られていた。
まずはこの沈黙を破るべく、俺は口を開く。
「ありがとうな、玲。今日は来れてよかった」
「ん、お父さんもお母さんも喜んでいたし、そう言ってくれると私も嬉しい」
なんだかんだで、玲との関係が認められているというのは俺にとってすごくありがたいことだ。
本来であれば年頃の娘を歳の近い男と共に生活させるなんて恐ろしいことであるはず。
それを許されているということは、やはりそれなりに俺のことを信頼してくれている証だと思う。
「さっき、お父さんと何を話していたの?」
「ん? ああ、俺の親父のことだよ」
「凛太郎のお父さん?」
「この前乙咲さんが俺の親父と面識があるって言ってたから、詳しく話を聞いてたんだ。……俺、親父のこと全然知らなかったからさ」
俺がそう言うと、玲は少し表情を曇らせた。
「凛太郎、寂しくない?」
「え? ああ、まあ……昔はそりゃ寂しい思いもしたけど、今は別に。お前らもいてくれるし、孤独とは無縁の生活を送らせてもらってるからな」
「そう言ってくれると私も嬉しいけど……」
玲自身が寂しい思いをしたからこそ、俺のことを心配してくれているのだろう。
こいつは自分のことより俺を優先しようとしている気配がある。
それを嬉しく思いつつも、もっと自分のことを優先してくれてもいいのだが――――という話はまた置いといて。
「なあ、玲」
「なに?」
俺はしばし言葉を詰まらせた後、あることを確かめるために口を開いた。
「十年くらい前、企業のパーティーで……」
――――お前は俺と会っているよな?
そう、玲に向かって問いかける。