33-2
時間は進み、あっという間に玲の家を訪れる日が来てしまった。
俺は購入した手土産を持って、あいつの家の玄関前に立っている。
もちろんこういう機会が未経験である俺は、いつになく緊張してしまっていた。
「マジで結婚の挨拶みたいじゃねぇか……」
そんなことをぼやきつつ、俺は玲の家を見上げる。
白を基調としたその家はまさしく豪邸で、敷地の広さもかなりの物だ。
雰囲気としては、昔俺が住んでいた家に似ている。
母親と親父と一緒に住んでいたあの家は、今どうなっているのだろうか?
普通に考えれば親父が一人で住んでいるんだろうけど、あの男のことだし、きっとほとんど帰っていないんだろうな――――。
(っと、そんなことはどうでもいいよな)
俺は頭を振って余計な思考を追い出した。
そして改めて気合を入れ直し、家のインターホンに手を伸ばす。
ボタンを押せば軽いベルのような音が鳴り響き、その後しばしの沈黙が訪れた。
『……凛太郎?』
「玲か?」
『うん、今開ける』
玲の声がしてから、また少し時間が経つ。
すると玄関の扉がガチャリと開き、そこから私服姿の玲が顔を出した。
「凛太郎、こっち」
手招きに応じる形で彼女の下に向かう。
そして招かれるがままに家の中に足を踏み入れると、自分の家では決して感じることができない他人の家特有の香りが感じ取れた。
「ようこそ、乙咲家へ」
「あ、ああ……お邪魔します」
靴を脱ぎ、家の中に上がらせてもらう。
「……あれ? 玲、お前その服――――」
そこでようやく、俺は玲が普段とは少し雰囲気の違った格好をしていることに気づいた。
白い仕立てのいいワンピース。
彼女の私服はラフな物が多いという印象だったのだが、今着ているこれに関してはそのテイストから大きく外れている。
「これはお母さんが選んでくれた。凛太郎が家に来るのに普通の格好じゃ失礼だって」
「……俺に対してそんな気を遣わんでもいいのに」
「どう? 似合ってる?」
「まあ……めちゃくちゃ似合ってるとは思う」
「ん、なら着てよかった」
玲は嬉しそうに微笑むと、手土産を持っていない方の俺の手を取った。
「こっち。リビングで二人とも待ってる」
「っ……ああ」
手を引っ張られ、俺は玲と共にリビングへと足を踏み入れた。
広々としたリビングには大きなテレビがあり、その前に余裕をもって五人は腰掛けられそうなソファーが置いてある。
そしてそのソファーには、玲の父親である乙咲さんが座っていた。
「お父さん、凛太郎を連れてきた」
「おお、よく来てくれた。ようこそ、志藤君」
立ち上がって俺を出迎えてくれた乙咲さんに対して、俺は軽く頭を下げる。
「ご無沙汰しております、乙咲さん。今日はお招きいただきありがとうございます」
「いいんだ、呼びつけてしまったのは私たちの方だからね。玲が普段世話になっている分、今日は存分にゆっくりくつろいでいってくれ」
「は、はい……」
くつろいでいけって、中々無茶を仰る。
しかしまあ、歓迎されていることは間違いないらしい。
正直娘の周りに飛び交う悪い虫として忠告されるのではないかと警戒していたのだが、その必要もなさそうだ。
「あ、凛太郎君! いらっしゃい! 外ちょっと寒かったでしょう?」
「今日はお世話になります、莉々亞さん」
「そんなかしこまった風に言わないで? 凛太郎君にはとことん楽しんでもらいたいの」
「そ、そう言っていただけるのであれば……お言葉に甘えて。あ、これつまらない物なんですけど」
「あら! そんないいのに!」
俺は手土産を莉々亞さんへと手渡す。
中身が果物のゼリーであることを伝えると、彼女はお礼を言った後に食後に出して共に食べようと笑顔で告げてきた。
「もう少しでご飯ができるから、三人でちょっと待っていて? 本当にすぐできるから!」
「は、はい……お構いなく」
莉々亞さんは心の底から楽しげな様子で、奥にあるキッチンの方へと戻っていく。
緊張でイマイチ感じ取ることができないでいたが、気づくとリビング全体がとてもいい香りに包まれていた。
この香りは、おそらくデミグラスソース。
最近作ったばかりだから、鼻がよく覚えている。
ただ、俺が作った物とはどことなく違うような……?
その正体は分からないのだが、自分が作った物よりもいい香りであることは間違いなさそうだ。
くっ、ちょっと悔しいな。
「凛太郎、こっちで座って待ってよ」
玲にまた手を引かれ、俺は六人掛けのダイニングテーブルの方へ案内された。
そこにはすでに乙咲さんが腰掛けており、そこが普段の彼の定位置であることが分かる。
その隣が、きっと莉々亞さんの席なのだろう。
俺は乙咲さんと向かい合う位置に連れてこられ、そのまま座らされた。
なんだろう、正面から玲の父親と目を合わせることになるのは、ぶっちゃけかなり緊張する。
乙咲さんには本当に申し訳ないのだが、ここに案内してくれたのが玲じゃなかったら嫌がらせを疑っていたところだ。
「志藤君、改めてこんなところまで来てもらってすまなかった」
「あ、いえ……元々この辺に住んでいたんで、別に何も苦労なんて……」
「そうか、前はこの辺りで一人暮らしをしていたんだったな」
「はい……まあ、家族と色々ありまして」
「……だとすると、この前君にかけた言葉は少々無神経だったか」
乙咲さんが言っているのは、前のミルスタのライブで別れ際に俺に対して投げかけた言葉のことだろう。
さすがは志藤グループのご子息だな――――。
確かそんな言葉だったと思う。
「正直に言うと……あの時はちょっと驚いたっていうか、不意打ちだったんで、内心動揺していたんですけど……今はもう大丈夫です。あれからまた少し気持ちの整理もついたんで」
「……そうか。それならよかった」
乙咲さんはホッとしたような様子を浮かべると、手元のお茶を口へと運んだ。
オフの時の乙咲さんからは、ずいぶんと優しげな印象を受ける。
スーツを着込んでいる時とは大違いというか、オンオフの切り替えがかなり上手いのだろう。
俺のような若造から言われるのは心外だろうけど、やはりこの人は成功すべくして成功した人間であるように思えた。
「はーい! 莉々亞特製の煮込みハンバーグですよー! 凛太郎君、今日はたくさん食べていってね!」
「あ、ありがとうございます……」
デミグラスソースの使い道は、煮込みハンバーグだったか。
俺たちの前に、莉々亞さんお手製の料理たちが並んでいく。
煮込みハンバーグの他にも、スープに自家製パン、ラザニアにサラダ。
どれも腹の虫にダイレクトに響くような香りを放っており、莉々亞さんの料理スキルの高さをこれでもかと主張していた。
「お母さんの料理、久しぶり」
「こういう機会でもない限り、忙しくて作ってあげられなかったものね……腕が落ちていないといいんだけど」
「大丈夫、とてもいい匂い」
そのやり取りを聞いて、俺はこの機会の重要性を改めて理解した。
乙咲さんも、それに付き添う莉々亞さんも、普段から相当多忙を極めている。
二人が玲と俺のために時間を作ってくれたというこの事実だけでも、お礼を言わなければならないレベルの話だ。
「さあ、まずは食事からだ。冷めてしまわない内に食べよう」
「そうね! じゃあ皆で手を合わせましょう!」
ニコニコと明るさを放つ莉々亞さんに釣られ、俺は玲や乙咲さんと共に手を合わせていた。
そして食前の挨拶を終えた俺たちは、そのまま食事に手を付け始める。