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32-1 偽りの恋人

「失礼いたします」


 その少女、天宮司柚香は、自身の父である天宮司秀介の私室の扉を開いた。

 奥の椅子に座っていた天宮司秀介は、鋭い眼光をもってして娘を睨みつける。


「柚香、志藤グループの件の首尾はどうなっている?」

「はい。現在志藤グループの社長、志藤雄太郎様と接触し、企業合併の件について共有させていただいた段階です。今後詳しく資料等でご説明した後、交渉へと移らせていただこうかと考えております」

「向こうは即答しなかったのか?」

「え? は、はい……お返事の方はまだ明確にはいただいておりません」

「婚約の話は? 確か向こうの息子にも会って来たのだろう?」

「……はい」


 柚香は強く唇を噛んだ後、言葉を続ける。


「志藤グループのご子息、志藤凛太郎様はまだ状況が呑み込めていないようでして、これから何度か顔を合わせて絆を深めていければと考えております。企業合併の件もこのまま上手く軌道に乗せて――――」

「気に入らんな」

「え?」

「天宮司グループから声をかけてやっているというのに、即了承しないことが気に入らないのだ。志藤雄太郎め……前々から目障りに思っていたんだよ! あの男のことは!」


 秀介は拳を振りかぶり、自分の机を強い力で叩く。

 その音を聞いた柚香は、その威圧感に思わず肩を跳ねさせた。


「チッ、まあいい。柚香、分かっているだろうな? 志藤グループに手を出(・・・・・・・・・・)したのはお前の我儘だ(・・・・・・・・・・)。天宮司グループはあんな会社の力がなくとも十分やっていける」

「はい……存じております」

「まったく……大人しく我々が懇意にしている会社の息子と婚約しておけばいいものを。不必要な自我で会社を振り回すな!」

「っ……」

「お前は私の言う通りに動いていればいいんだ! 会社のために動ける駒……それがお前の価値なんだぞ! 分かっているのか!」

「……はい、承知しております」

「分かったのであれば出ていけ。お前に構っている時間が惜しい」

「失礼、いたしました」


 柚香は暗い表情を浮かべ、秀介の部屋を後にする。

 そして一人自分の住む屋敷の壁に背中を預け、目元を手で覆った。


「しっかりやらないきゃ……もっとしっかり」


 呪詛のように言葉を紡いだ後、柚香は自室へと戻っていく。

 

◇◆◇


 俺たちの決めたことは、以下の通りだ。

 

 ひとつ、校外での接触、主に俺と玲に関しては今まで通りを心掛けること。

 元々俺たちはクラスメイトであり、コミュニケーションを取る機会は避けられない。

 変にその機会を減らそうとすれば不自然さが出るし、玲にそれを誤魔化せるとも思えなかった。

 だからここはいつも通り。

 大きく変わるのは、ミアとカノンと外で鉢合わせてもスルーしなければならないという点。

 俺たちは知らない者同士――――そういう体でいく。


 ふたつ、外出時間をずらす。

 同じマンションに俺とミルスタの三人が住んでいることは、おそらくすぐに気付かれる。

 守り抜かなければならない情報は、俺たちが部屋同士を行き来していること。

 同じフロアに住んでいることも、できれば知られない方がいい。

 俺は家を出る時間、そして帰宅する時間を常に玲たちに伝え、彼女たちはそれに合わせて出発時間や帰宅時間を調整する。

 だいぶ面倒臭い取り決めではあるが、三人は快く了承してくれた。

 

 みっつ、俺の恋人役を一週間以内に見当づける。

 一週間というのは、仮の期限。

 天宮司グループの出方次第ではもう少し伸びるだろう。

 今のところ一週間であれば向こうも大胆な攻め方はできないだろうという予想の下、まだ自由に動けそうな期間として設定した。


「――――よし」


 以上のことを頭の中に刻み込み、俺は学校へ行くために部屋を出る。

 時刻はいつもの家を出るタイミングよりも少し早い。

 玲には普段通りの時刻に家を出てほしいため、俺の方がズラした次第である。

 一応、マンションを出てから何気なく周囲を確認してみるが、出待ちをしているような人物は確認できなかった。

 とはいえ物影がゼロというわけではないし、近くの建物の中に潜まれたら分かりようがない。


「疑心暗鬼になりそうだ……」


 早く解放されたい。

 そんなことを願いながら、電車に乗る。

 今のところ、恋人役をお願いするに当たって目星をつけているのは、優月先生の仕事場にいるアシスタントの女性。

 名前は赤沢さん。歳は二十四歳で、アシスタント歴は二年。

 俺とも一年以上の顔見知りだし、年齢差はあれど俺の歳で年上に憧れるというのは不自然な話じゃない。

 天宮司柚香が見ても、強い違和感は抱かないだろう。

 赤沢さんに頼む件に関しては、優月先生を通すつもりだ。

 だいぶ失礼なお願いになるし、まず優月先生がOKを出さない限りは動かない――――今のところはそう決めている。



 つつがなく学校へと到着した俺は、まだ人気が少ない教室に入り、自分の席に腰を落とした。

 正直、登校してきただけなのにドッと疲れている。

 人の視線一つ一つが気になってしまい、ずっと妙に落ち着かないのだ。

 このままではいつか心もおかしくなってしまう気がする。

 そうなったら慰謝料でも請求してやろうか、マジで。

 

「あれ、珍しいね、凛太郎がこの時間にいるの」


 気を紛らわせるために外を眺めていた俺は、聞き覚えのある声を聞いて振り返る。

 そこには今登校してきたばかりの雪緒がいた。

 我が親友の登場に、俺はどことなく安心感を覚え、小さく息を漏らす。


「まあ、たまには早い時間に来てみても面白いかなって思ってさ」

「……」

「……なんだよ」


 俺は突然ジト目で俺を見始めた雪緒に問いかけた。


「凛太郎、何か誤魔化している時の顔してる」

「そ、そんなの分かるわけないだろ?」

「いや、長年一緒に過ごしてきた僕なら分かるよ。何か早く来ないといけない事情があったんじゃない? 僕の知っている凛太郎は、突発的な興味で動くような人じゃないもん」

「……」


 相変わらずエスパーみたいな奴だな、こいつは。

 概ね図星を突かれてしまった俺は、思わず黙りこくる。

 そしてそれは、雪緒にとっては肯定と判断するに十分な材料となってしまった。


「何かあった? まだ一時間目まで暇があるし、話せることなら聞くよ?」


 雪緒の提案は、自分の頭の中にはなかったものだった。

 こいつは俺の数少ない友人の中でもっとも頼れる存在。

 玲たちのことで夢中になり過ぎていた俺は、そんな大事なことすら忘れていらしい。


「……ちょっと複雑な状況になっちまって、少し聞いてもらいたいんだが、いいか?」

「うん。僕でよければいくらでも」


 持つべきものは親友。

 周りに声が聞こえないであろう教室の隅に場所を移し、俺は雪緒に対して現状のことをすべて伝えることにした。



「――――だいぶ追い詰められてるみたいだね」


 俺から大体の話を聞いた雪緒は、いつの間にか神妙な顔つきになっていた。

 追いつめられていると言われれば、まあ、その通りなのだろう。

 ただ自分で口にしていて思うのだが、正直あまりにもリアリティがない。

 声に出して状況を整理したことで改めてそう思う。


「可能性はあんまり高くねぇけど、お前にも何かしら迷惑がかかるかもしれねぇ。その時はすまん」

「謝罪は何かあった時でいいよ。それに何かあったとしても迷惑だとは思わないしね。強いて言うなら、君が僕に話しもせず勝手にどうにかなっちゃった時が一番怒るかな」

「うっ……」


 雪緒の奴、俺がすぐに状況を伝えなかったことを根に持っているな。

 これに関しては全面的に俺が悪い。

 雪緒の立場だったら、俺のやっぱり小言の一つでもこぼしていたと思う。


「でも、恋人役探しか……それは難儀しそうだね。凛太郎は女子の友達少ないし」

「言ってくれるぜ……まあ事実だけどさ」

「……僕の方でも探してみようか? だいぶ失礼な扱いになっちゃうけど、僕がお願いしたら動いてくれそうな女の子は何人かいると思う」


 確かに、雪緒はそのビジュアルの良さのせいで女子から相当な人気がある。

 お世辞にも男らしい外見はしていないものの、むしろそれに威圧感を覚えずに済んでありがたいという気弱な女子がたくさん近づいてくるのだ。

 今年の頭からまた時間が経った結果、どうやら宗教的なハマり方をしている女子もいるとかいないとか――――。

 

「……こっちも手段を選んでいられないって時が来たら頼むかもしれねぇけど、それはもう奥の手中の奥の手だな。できればそういうのには頼りたくねぇ」

「だよね……」


 雪緒は苦笑いを浮かべている。

 関係ない人間を無理やり巻き込んでしまうくらいなら、玲たちから一旦距離を取って生活する方がマシだ。

 玲たちだって、そこの認識は共通している。


「結局のところ、信憑性だって大事になるもんね。傍から見て怪しいって思われちゃ意味ないか」

「そういうことだな」

「……ひとまず、何か力になれそうなことがあればすぐに言ってね。僕でよければいくらでも協力するからさ」

「ああ、頼りにしてるよ」


 これまでの人生、いつだって雪緒は側にいてくれた。

 きっとこれからも頼ったり頼られたり、ずっと近くで生きていくことになるだろう。

 

 ――――そんな風に思っていた雪緒との関係性が変わってしまったのは、もう間もなくのことだった。

 

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