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30-6

「あら、もう帰っちゃうの?」

「はい、結構長いことお邪魔しちゃったんで」

「邪魔なんて全然……むしろ夜まで居てくれてもよかったのに」


 帰り支度を終え、俺は琴音さんや子供たちに挨拶する。

 琴音さんは夜までと言ってくれたが、外はもうだいぶ暗くなってしまっていた。

 冬に差し掛かっているこの時期、やはり日が暮れるのが早い。

 これ以上長居すると帰る頃には真っ暗だし、なんとなくそれは避けたかった。


「ママ、りんたろーは今一人暮らしだから、家に帰ってやらなきゃいけないことがたくさんあるのよ。あんまり引き止めちゃ悪いわ」

「うーん……そうね」

「タイミングもいいし、あたしも一緒に帰るわ。マンションも同じだしね」

「え、夏音も? そんなの寂しいじゃない」

「また来るって。一人でこの子たちの面倒見るのも大変でしょ?」

「まあ、それはね……」


 琴音さんは苦笑いを浮かべている。

 カノンは俺と同じくマンションの方に帰るようで、すでに支度を終えていた。

 俺はカノンの隣で靴を履き、一度廊下の方に振り返る。


「また来いよ! りんたろー!」

「また来いよー!」

「またきてねー!」

「ああ、またな」


 子供たちに手を振り、俺はカノンと共に家を出る。

 外では夕日が沈みかけ、ずいぶんと涼しい空気が漂っていた。

 流れでこうなったとはいえ、カノンと一緒に帰るのは悪くない判断だったかもしれない。

 暗くなるのも早いし、女一人で帰らせるよりはよっぽどマシな状況だ。


「あの子たち、すっかりりんたろーに懐いちゃった。これはまた来てくれないと本当に拗ねるわね」

「そう何度も人の家を訪ねていいもんかね……」

「普段は家にいないあたしはともかく、ママやあの子たちがいいって言えばいいんじゃない? むしろあたしが帰るタイミングで毎回連れて行ってやろうかしら」

「ははっ、家族に彼氏を紹介したがる女みたいなこと言いやがって」

「うっ……」


 俺が放った何気ない一言を聞いた瞬間、カノンは突然足を止めた。

 気になって振り返ってみれば、カノンは先ほどと同じように変に照れた態度を見せている。

 なんだろう、妙に調子が狂う。


「どうしたんだよ、さっきから」

「いや……その、あんたって本当に罪深いなって」

「はぁ?」

「――――ねぇ」


 カノンの目は、真っ直ぐ俺を捉えている。

 その目を見て、俺は場の空気が変わったことを嫌でも察してしまった。


「あんた……レイのこと、どう想ってるの?」

「……」


 風が吹き、カノンのツインテールが揺れる。

 俺はすぐに答えを返すことができなかった。

 少し、また少し時間が過ぎて、俺はようやく口を開く。


「さあ、な。分からねぇよ、そんなことは」

「分からないって……あんた本気で言ってるの? 二人の態度を見れば、こっちだってなんとなく察するものが――――」

「分からねぇもんは分からねぇんだ。……気づかないようにしてるってのが正しいかもしれねぇけど」

「……」


 気づかないようにしている。

 自分で吐いておいてなんだが、その言葉は酷く的を得ていた。

 言い訳でしかないが、そもそも玲は国民的アイドルと呼ばれるようになるほどのビジュアルを持つ女。

 そんな彼女とほぼ毎日顔を合わせて共同生活を送っていれば、気持ちが揺るがないという方が不健全だと思う。

 俺はもしかすると、玲に惹かれているのかもしれない。

 ただその気持ちを追求すればするほど、辛くなるのは俺だ。

 乙咲玲に、ミルスタのレイに、男の影があってはいけない。

 玲が持つ夢を守るためにも、俺という存在は最悪の事態が起きたとしても言い訳が利く位置にいなければならないのだ。

 

 だから、何も想わないようにする。


 それは玲だけでなく、ミアにも、カノンにも同じことだ。

 人の夢を壊した時、きっと俺は世界で一番後悔する。


 こいつらと会わなけれよかったって――――。

 

 そうなってしまうことだけは、絶対に嫌だった。


「……ふーん、じゃあ、別にレイが好きって言い切るわけじゃないのね」

「え? あ、ああ、まあそうなるな」

「なぁんだ、それなら身を引くにはまだ早かったのね。諦めようとして損したわ」


 そんなことを言いながら、カノンは俺との距離を一歩詰めてくる。


「もう決まっていることにわざわざ首を突っ込んでいくような真似は野暮かと思ってたけど、そうじゃないなら話は別よね」

「……何言ってんだ?」

「なんでもない。いずれ分かると思うし、あんたは気にしなくていいわ」


 カノンは何故か得意げな顔をして、俺との距離をさらに詰めてきた。

 そして俺の口に自分の人差し指を当て、悪戯っぽく笑う。


「宣戦布告よ! りんたろー!」

「だから……なんの話だよ」

「ふふっ! そうよね、諦めるなんてあたしらしくなかった。やっぱり欲しいモノは力ずくで手に入れないと!」

「……?」


 まったくもって話についていけない。

 しかしカノンの中ではすでに何かが始まり、そして完結してしまったようだ。

 どう突いても、今なんの話をしているのかは教えてもらえないらしい。


「何をぼさっとしてるのよ、りんたろー。さっさと帰るわよ!」

「あ、ああ……」


 カノンに腕を引かれ、俺は自宅の方へと再び歩き出す。

 一応、こうして俺と二人でいることはかなり危険な状況でもあるのだが、理解はしてくれているのだろうか?

 ――――まあ、カノンのことだ。

 きっとその辺りも抜け目なく対策しているのだろう。

 現に周囲にはほとんど人気がないし、彼女自身も最低限の変装はしている。

 こういうプロ意識がしっかりしているのは、やはりカノンというアイドルの魅力だ。

 カノンと結婚する男は、尻に敷かれつつもきっと安定した生活を送れることだろう。

 それはなんとも、羨ましい話だ。


◇◆◇


 凛太郎が飛び出して行った後の、志藤グループ本社。

 社長室にて書類のチェックと承認を行っていた志藤雄太郎は、ふとデスク上のデジタル時計に視線を送った。

 彼が業務に取り掛かる時間は、分単位で決まっている。

 時刻を見る限りもうすぐ休憩の時間が迫っているのだが、いつもより自身の業務の進みが悪いことに対して彼は顔をしかめた。

 もちろん元々余裕を持ったスケジュールを組んでいるため、多少の遅れは障害にはならない。

 しかしいつもと違うことが起きているという事実が、彼に対して小さな困惑を与えることとなった。

 

 そんな状況に陥った彼のいる部屋の扉が、突然ノックされる。


「ん……入れ」 

「失礼いたします、社長」

「ソフィアか」


 秘書であるソフィアの入室を受けて、雄太郎は顔を上げた。

 

「天宮司柚香様がお帰りになられました。今後行われるであろうグループ間の提携をスムーズに進めるべく、いくつかの部署とコンタクトを取っていたようです」

「そうか。相手方の話が有益であると判断した場合は、各々で話を進めておけと各部署の人間に伝えておいてくれ。個別の事業に関しては私よりも各部署のリーダーの方が詳しくなっているはずだ。受けるも受けないも現場の判断に任せる」

「かしこまりました」


 天宮司グループとの業務提携について考える雄太郎は、小さく息を吐いた。

 機能性を重視したオフィスチェアから立ち上がり、沈んでいく夕陽が見える大きな窓の側に立つ。


「……今の天宮司グループの業績は、確か右肩下がりだと言っていたな」

「はい。少なくとも、我が社がこちらから業務提携を願い出るほどの会社ではないかと」

「わざわざ凛太郎との婚約関係を結びに来たのは、私たちの土台に縋るためか」


 一般的な視点からすれば、天宮司グループはまさに大企業。

 業績が右肩下がりと言えど、それはあくまで常に業績を伸ばし続けていた志藤グループから見た状況であり、まだまだ国内有数の企業であることには変わりない。

 しかし十年、二十年。

 まさに柚香や凛太郎の代になった時に、同じ立場でいられるかといえばそうではない。

 志藤グループは天宮司グループを必要とはしていないが、天宮司グループが志藤グループを必要としている理由ははっきりしているというわけだ。


「……秘書という立場から恐縮ですが、やはり天宮司グループとの業務提携は我が社に対してもある程度の利益向上をもたらす可能性は高いと存じます。こちらから願い出るほどではないと申しましたが、向こうから我が社に対して業務提携を願い出てくれるのであれば好都合。凛太郎様にも、もう少し協力していただけるよう願い出てみるというのは――――」

「それは必要ない」

「……っ」


 自分の提案を一瞬にして却下され、ソフィアは口を閉じる。

 

「……出過ぎた真似をお許しください」

「ああ。……今日はもう下がれ。後はすべて私がやっておく」

「社長より先に退社するわけにはいきません」

「……」


 雄太郎は自分の命令に従わない社員を一瞥する。

 対するソフィアは、真っ直ぐ雄太郎の方を見つめ堂々たる佇まいを見せていた。

 もはや梃子でも動かぬつもりだろう。

 何を言っても無駄だと判断した雄太郎は、彼女に背を向けたまま小さく息を吐いた。




 

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