30-2
大変お待たせいたしました。
本日より第4章が終わるまで毎日更新させていただきます。
この章は凛太郎の過去に迫る大事な章となりますので、ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
「す、すみません……もう一度言っていただけますか? よく聞き取れなかったので……」
「だから、断るって言ってるんだ」
状況が呑み込めていない彼女に対し、俺は改めてはっきりとそう告げた。
「なっ……何故ですか⁉ ここで私たちが婚姻関係を結べば、今後両家の会社は様々な方面でスムーズに提携できるようになります! どちらにとってもメリットがあるというのに……」
「……天宮司」
「っ!」
わざわざ昔の呼び方ではなく苗字で呼んだことで、天宮司はショックを受けたような表情を浮かべた。
天宮司に対して、直接的な恨みはない。
しかし俺の家のことを持ち出してきた時点で、こいつは敵だ。
俺と志藤グループの事情を知らないとはいえ、"志藤凛太郎"という存在を会社のために利用しようとしているのは事実。
そんな奴に、そんな連中に、俺が協力してやる義理など一切ない。
「俺は志藤グループのために何かをするつもりはない。ましてや結婚だなんて……そんなことをすれば、俺が次期社長になることが決まっちまうようなもんだ。そんなこと、絶対にごめんだね」
結婚するにしても、俺が会社の人間でなくては意味がない。
もし本当に天宮司と結婚すれば、俺は周りにいる者たちによって無理矢理にでも志藤グループの跡目にされてしまうだろう。
「こんな会社のために俺の人生を棒に振るような真似はしたくねぇ。政略結婚をしたけりゃ他を当たれ」
俺は天宮司と目を合わせないようにしながら、席を立った。
少しでも話を聞こうとした俺が間違っていた。
もはや話すことはない。
俺は帰宅するために、部屋の出口へと向かう。
「っ……! 待ってください!」
「あ?」
怒鳴ると共に立ち上がった天宮司は、わざわざ俺の前まで移動してきた。
天宮司の手は、怒りで震えているようにも見える。
「貴方は志藤グループの人間として、少しでも会社を大きくしたり、守ろうとする意志はないのですか……!」
「……何言ってんだ、あんた」
「人には、生まれ持った責任というものがあります! 国内でも有数な企業の関係者として生まれた我々には、それを守っていくという使命があるはずです! それを放棄するなんて……絶対に許されることではありません!」
責任、使命。
今の俺にとって、一番聞きたくない言葉たちだ。
「――――なんであんたが怒ってんだよ」
「え?」
「なんであんたの方が俺に対して怒ってんだって聞いてんだよ!」
「っ⁉」
気づいた時には、俺は天宮司に対して怒鳴り返していた。
あまりにも理不尽なこの状況、怒りたいのはこっちの方だ。
責任、使命、そんなものを俺に押し付けてきておきながら、それに加えてどうして怒られなければならない。
「俺はあんたや、クソ親父の言いなりには絶対にならねぇ。会社のためだとかなんだとか、そんなもんは勝手にやってろ。あんただって、精々人の言いなりになって、いいように使われて生きりゃいいさ」
「っ……」
「じゃあな、天宮司。久々に会えて嬉しかったよ。もう二度と会うことがないといいな」
俺は踵を返し、部屋の扉を開け放って外へ出た。
「……ふざけないで。どんな手段を使ってでも、婚姻関係を結んでもらうんですから」
そんな言葉が聞こえてくると同時に、部屋の扉が閉まる。
俺はそれらの言葉を聞こえなかったことにして、会社のビルから出るために歩き出した。
「お帰りでしょうか? でしたら私の方でお送りいたしますが」
「いらねぇよ」
「……左様ですか」
部屋の外で待機していたソフィアさんの提案を蹴って、俺はビルを出る。
時刻はちょうど昼頃。
俺は少し移動して、近くにあった公園のベンチに腰掛けた。
(……やっちまった)
女に対して怒鳴り散らしたことを思い出し、嫌悪感のあまり手で顔を覆う。
いくらイラついたからって、女に怒鳴るのは駄目だ。
怒りをぶつけるのは、暴力を振るうこととなんら変わらない――――と、俺は思っている。
百歩譲って俺の怒りが正当なものであったとしても、抑えることができなかったという時点で負けだ。
「っていうか、全然一日で終わったし」
お見合い相手との話の流れ次第では一泊する可能性もあると伝えられていたため、玲に対して今日と明日家を空けると伝えた。
しかし俺が飛び出してきてしまったせいで、二日どころか一日、いや、半日ですべてが終わってしまったのである。
これから帰るべきか、否か。
ちなみに玲からの返信は、『凛太郎がいないなら、ホテルに泊まる』とのこと。
どうやら再び写真集の撮影があるらしく、その現場の近くのホテルに宿泊するようだ。
つまり今家に帰ったところで、玲はいないし、やることがない。
気を紛らわしたい今のタイミングでやることがないというのは、正直避けたい状況だった。
「……はぁ」
スマホを握りしめたまま、ため息を吐く。
一人でいるのもしんどいというのに、連絡を取りたいと思える相手もいない。
なんというか、今誰かに連絡を取る=迷惑をかけるという認識になってしまっているせいで、手が動かないのだ。
(今の俺、マジで面倒くせぇ……)
口から漏れるのは、ため息ばかり。
秋から冬に移り替わりつつある空気は、どこか冷たく爽やかな印象を受ける。
雲が少ない青空はどこまでも高く、公園の中では小さな子供たちが親に見守られながら楽しげに遊んでいた。
「場違いだよな、俺」
思わず苦笑いがこぼれる。
こんなキラキラした場所に、淀んだ表情を浮かべる人間は相応しくなかった。
とりあえずここから離れよう。
誰もいない家の方が、まだ罪悪感を抱かずに済むはずだ。
「――――何してんの、あんた」
そう思って立ち上がろうとした時、聞き覚えのある声が耳を叩いた。
おかしいな、前にもこんなことあった気がする。
あれは確か夏のことだったような――――。
「おーい、無視すんじゃないわよって」
「いだっ」
額に走った痛みのおかげで、俺は記憶の海からすぐさま引き上げられた。
俺に対してデコピンを放ったカノンは、何故か呆れたように盛大なため息を吐く。
「何よ、浮かない顔しちゃって。あんたらしくないじゃない?」
「べ、別に……って、どうしてカノンがこんなところにいるんだよ」
「あたしの実家がこの辺りなのよ。今日たまたま仕事がリスケになったから、うちのチビどもと遊んでやろうかと思って」
そう言いながら、サングラスと帽子で軽い変装を施したカノンは手に持ったビニール袋を見せてきた。
中にはスーパーで買ったであろう食材が入っている。
「そういや……大家族なんだっけ、お前の家」
「まあ大家族ってほどじゃないけど、姉弟は多い方なんじゃない? 下に弟が二人と、妹が一人いるの」
「四人姉弟か」
「そ。まだ小学生なんだけど、最近かなり食欲旺盛になってきたみたいでね」
確かに、袋に入っている食材はかなりの量だ。
これだけあれば、玲がいても数日は持つだろう。
「今から帰って昼ごはんを作ってあげる予定なのよね」
「思ったよりも家庭的だよな、お前」
「思ったよりは余計でしょうが!」
いつも通りのツッコミを受けて、思わず笑いがこぼれた。
玲も、ミアも、カノンも、やっぱりそれぞれ違った居心地のよさを与えてくれる。
誰にも連絡を取りたくないだなんて言いながらも、結局人に会えばこうして少しは回復してしまうのだから、なんともチョロいメンタルと言わざるを得ない。
「……それで、どうして落ち込んでるわけ?」
「別に、落ち込んでるってわけじゃ……」
「嘘でしょ。だって普段見ないような顔してるもの」
「……」
あーあ、バレてら。
なんで分かるんだよ、こいつ。
もしかして俺のファンか?
「落ち込んでる理由、少しくらいあたしに話してみたら? まあ助けになれるかどうかは知らないけど、話すだけでも楽になるかもしれないわよ」
「……そういうもんか?」
「そういうもんよ」
あまりにもカノンが堂々とそう言うものだから、俺はなんとなく、今日あったことをすべて口から漏らしてしまった。
これまでの俺だったら、絶対に話したりはしなかっただろう。
しかし今は、カノンなら――――いや、ミルスタの三人にならいいかと思ってしまったのだ。
無意識のうちに、俺はそれだけ彼女たちを信用しているのかもしれない。