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29- 楔

 俺の抱える親父との思い出と言えば、正直嫌なものばかりだった。


『今日は三人で夕食を食べられるって言ったじゃない!』


 俺の母親が、電話越しに怒鳴る。

 綺麗な服に着替えてワクワクしながら待っていた俺は、その声を聞いて落胆した。

 久しぶりに家族三人で出かけられると思っていた小さな頃の俺の期待が、呆気なく崩れていく。


『もう一年近く帰って来てないっていうのに……!』

『――――』

『っ……! 分かりました、もういいです。貴方がそういう人だってことは分かってますから』


 そう吐き捨てた母親は、強引に電話を切る。

 俺は不安げな表情を浮かべながら、そんな母親の顔を窺った。


『……お母さん、お父さんは来れないの?』

『――――うるさい』

『え?』

『あの人もあんたも自分勝手すぎなのよッ! 私はあの人の子育ての道具なんかじゃない!』


 彼女は持っていた当時の携帯電話を、床に向かって投げつける。

 バキリとどこかが割れる音がして、床に傷をつけた携帯電話が俺の隣を滑っていった。

 あまりのショックにその場にいた俺が言葉を失っていると、母親は俺をひと睨みして家を飛び出す。


 今思い返せば、当時の母親にはすでに別の男がいたんだと思う。

 家を空けている時間が多くなってきていたし、帰ってきた時には何かプレゼントのような物をもらった様子があった。

 その時ばかりは罪悪感もあったのか、普段は面倒臭がってあまりやりたがらない料理をしてくれた記憶がある。

 家族仲のことを相談しているうちにとか、どうせ大した理由はないだろうけれど、ともかくあの女は俺と親父を捨てたわけだ。


 あの日は確か、貯めていた小遣いを握りしめてコンビニで弁当を買って食べた気がする。

 一人で広い家にいるというあの状況がどこか恐ろしくて、夜はよく眠れなかったことも覚えている。


 翌日の朝。

 俺が学校へ行くのと入れ違う形で、母親は帰ってきた。

 機嫌を直してもらうために「おかえりなさい」という言葉を口にしようとした俺に対して、母親はまるで忌々しい物を見るような目をしたまま告げる。


『本当にあんた、あの人にそっくりね』


 その言葉は、いまだに俺の中に楔として残っていた。

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