27- 何があっても
すっかり暗くなった空の下、キャンプファイヤーのオレンジ色の炎がグラウンドを照らしている。
柿原は二階堂と一緒にキャンプファイヤーの周りにおり、照れ臭そうに談笑していた。
少し離れた所で堂本と野木も一緒に過ごしているところを見るに、ちゃっかり二人もいい雰囲気になったのだろう。
「こうでなくっちゃな……青春ってやつは」
俺の憧れた青春は、ここにあった。
いつかのプールの時のような苦しいものとは違う、爽やかな一瞬。
――――いや。
あの時の苦しさがあったからこそ、今が綺麗に見えるのかもしれない。
概念でしかないものを理解するのは難しいわけで、きっとこれも青春という形のないものの一部でしかないんだろうけれど、ほんの少しだけでも知れたことを嬉しく思う。
まあ、知ったからって自分ができるとは限らないんですけども。
(めっちゃ一人だしなぁ、俺)
校舎の壁に背を預け、ボケーっと遠目に炎を見ているボッチが、今の俺である。
雪緒は前々から好意を寄せられている宮本さんに誘われて、今頃キャンプファイヤー周りでフォークダンスを踊っているはずだ。
キャンプファイヤーの周囲には、男女で行動している連中ばかり。
それ以外の人間は仲のいい集団で集まったりして、バカ騒ぎをしている。
仲のいい女子もいなければ、仲のいい集団もない俺が一人になるのは、必然と言えた。
「一人でトボトボ帰るのも何だかなぁ……」
こんな盛り上がってる中で一人だけ先に帰るというのは、何だか負け犬気分になるというか、それは言い過ぎにしてもちょっと惨めというか。
だからこうして黄昏ているフリをして、かっこつけているというわけだ。
とは言えあまりにも暇すぎるし、さすがに帰ろうと立ち上がった――――その時。
「……凛太郎」
「ん?」
俺の名前を呼びながら、一つの足音が近づいてくる。
薄い暗闇の中、周りの目を気にしながら現れたのは、制服姿に戻った玲だった。
「ああ、玲か。お疲れ」
「うん。凛太郎も」
彼女はどこかソワソワした様子で、俺の隣に立つ。
何が原因でそんな態度を取っているのかは分からないが、こうなると落ち着かないのは俺の方だ。
俺と玲が二人きりでいるところを見られるのは、正直まずい。
「……今から帰ろうと思ってたんだけど、お前は? まだ用があるなら先に帰って飯作っとくけど」
「特に用があるわけじゃない。でも……」
「でも?」
「ちょっとだけ、私に付き合ってほしい」
彼女はそう告げると、俺の手を引いた。
「い、いや……まずいだろ、こんなとこ見られたら……」
「私の行きたいところに付き合ってくれるって、この前約束してくれたでしょ?」
「確かに約束はしたけど……」
ミアとデートしたって話から派生した、玲のやりたいことに付き合うという約束。もちろんそれを忘れるわけがないけれど、今ここで行使されるとは思わなかった。
「人がいないところに行きたい」
「……っ」
心臓がドキリと跳ねた。
どういう意図で言っているのかは分からないけれど、いつもと違う玲の雰囲気が俺の心をかき乱す。
「校舎裏なら、誰もいないかな?」
「い、いないと思うけど……」
「じゃあ、そっち行こ?」
どうしてこうもドキドキさせられるのだろう?
普段から家の中で二人きりになっているはずなのに、慣れているはずなのに、何故か今は平静ではいられない。
周りに人がいる中で――――という背徳感のせいだろうか?
校舎裏は月明り以外の明かりがない代わりに、俺たち以外の人影はなかった。
文化祭準備中に金城から迫られる玲を目撃してしまった場所でもあるここには、どちらかと言うといい思い出はない。
「……どうしたんだよ、急に」
「凛太郎と会って話したくなっちゃって……迷惑だった?」
「お前にそんな風に言われて迷惑だって思う訳ねぇよ。けど理由も分からず連れて来られたんじゃちょっと怖いっていうか……」
これに関しては別に玲に限った話じゃない。
俺がその辺りで臆病ってだけだ。
「話したいことがあったわけじゃないの。ただ漠然と……凛太郎と一緒にこの時間を過ごしたくて」
「……照れ臭いことを簡単に言いやがって」
「照れてるの?」
「そりゃ、まあ」
「……可愛い」
「からかうなよ。帰っちまうぞ?」
もちろん帰る気などない。
裏口付近にあった段差に腰掛け、玲を見上げる。
「ごめん。私もちょっと照れ臭くて」
「珍しいな、お前がそんな風に言うなんて」
スカートの裾に気を付けながら、玲は俺の隣に腰掛ける。
俺と彼女の間は、拳一つ分。
「……柿原君の告白、成功してよかったね」
「そうだな。くっつくべき奴らがくっついてくれて、俺も一安心だ」
結果オーライではあるものの、今日のために練習してきてよかったと思ったのも事実。
散々悩まされた問題が解決した時点で、苦労した甲斐があったってもんだ。
「でも、来週から学校はちょっと荒れるかもしれねぇな」
「どうして?」
「柿原の女子人気はお前も知ってるだろ? きっと泣く奴もいると思ってさ……」
野暮だと思って触れなかったが、実際のところ、柿原の告白が成功した時点で絶望している女子がいたことは、ステージの上から確認できてしまっていた。
柿原に好意を寄せていた者たち全員が、一斉に失恋してしまったわけで。それがどれだけ学校中を震撼させることになるか、きっと柿原自身は理解していないことだろう。
「二階堂のことが好きな男も多かっただろうし、結局誰かの恋が成就するってことは、誰かの恋が終わるってことなのかもしれねぇな」
「誰かの恋が……終わる」
その部分を復唱した玲は、思い詰めた表情を浮かべて顔を伏せた。
何か思うところがあったのかもしれないが、俺としては適当に言った言葉を切り取られ、ちょっとだけ恥ずかしい。
「凛太郎は……好きな人、いるの?」
「は?」
突然の質問に、思わず間抜けな声を漏らしてしまう。
俺の、好きな人。
反射的に考え始めてしまった俺と、どことなく潤んだ瞳を向ける玲の視線が交差する。
俺の、好きな人は――――。
(……何考えてんだよ、俺)
この気持ちは、あの夏の海に置いてきたはずだ。
一般人でしかない俺が抱いていい気持ちじゃないし、無遠慮に伝えるだなんてもっての外。
玲は――――ミルフィーユスターズは、もっと高みへ行けるグループだと思う。
俺がそんな彼女らの邪魔になるようなことは、あってはならないのだ。
「例えいたとしても、俺は言わないぞ」
「え、どうして?」
「そんなもん、恥ずかしいからに決まってるだろ? お前だって自分の好きな相手のことを堂々と語れるか?」
「ん……確かに恥ずかしい」
「だろ? だからこの話は終わりってことで」
「……分かった」
多少なりとも不服な部分はあるだろうけど、それでも自分の羞恥心の方が勝ったのか、あっさりと引き下がってくれた。
俺はひとまずホッと胸を撫で下ろす。
だけど、このままの状況も決していいとは言えない。
玲が男受けする人間であることは分かりきっているし、実際に金城から言い寄られているところを目撃してしまった以上、芸能界の人間の中にも彼女の恋人を狙っている者は間違いなく存在する。
玲が他の誰かに笑顔を向けて、他の誰かの家に帰ることを想像すると――――。
(ああ……すげぇ嫌だな)
この感情自体がもはや答えであるような気がするけれど、そこはひとまず置いといて。
玲が他の誰かの隣を幸せそうに歩いていることを想像するだけで、胸のモヤモヤが溢れ出す。
名前のついた関係性になれないのに、他の誰かがその関係になることが許せない。
そんな自分が醜くて、卑怯過ぎて、本当に嫌になる。
「……前に、私がずっと凛太郎の側にいたいって伝えたこと、覚えてる?」
俺の心中を知ってか知らずか、玲は突然そう言葉を切り出した。
「それはもちろん覚えてるけど……」
「あの気持ちは今でもまったく変わってないし、多分、この先もずっと変わらないと思う」
だから――――。
玲はそこで一旦息を吸って、再び口を開く。
「明確な言葉で伝えることは、まだできないけれど……凛太郎に拒否されない限り、私はずっと側にいるから」
そう告げながら、あの日砂浜で話した時と同じように、玲は俺との間にあった拳一つ分の間を詰めてくる。
たったそれだけのことで、膨らんでいた不安は途端に萎んでいった。
「……拒否なんてするわけねぇだろ」
俺は立ち上がり、月明りにその身を晒す。
グラウンドの方ではフォークダンス用の新しい曲が流れ出していた。
もうだいぶいい時間だし、おそらくこれが最後の曲だろう。
つまるところ、後夜祭もそろそろお開きということだ。
「おこがましいかもしれないが、俺にとってお前は大事な居場所なんだ。お前がそう言ってくれている限り、俺は何があってもお前のところに帰ってくるよ」
「……凛太郎?」
俺の様子がどこか変だと気付いたのか、玲の声には心配が混じっていた。
本当に、俺のことに関しては勘が鋭い奴め。
「せっかくの機会だ。ちょっとだけ踊ってくか? ……二人でさ」
自分で誘っておいてなんだが、キザったらしくて恥ずかしくて、思わず頬を掻いてしまった。
玲は微笑むと、俺と同じように立ち上がって隣に並ぶ。
「私でよければ、喜んで」
俺は手を差し出して、玲はその手を取った。
曲自体を何度か聞いたって程度でも、意外と踊れてしまうもので。
決してキレがあるとは言えないけれど、思いのほか楽しく踊れていたとは思う。
「私、凛太郎の居場所って言ってもらえて幸せ」
「それは大袈裟だろ」
「そんなことはない。本当に、嬉しいと思ってる」
玲が浮かべたのは、今までに見たことがないようなとびっきりの笑顔。
不覚にもあっさりと、俺の心は彼女の笑顔に奪われてしまった。
何があっても彼女の下に帰ってこよう。
そう――――例え、何があっても。