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いつの間にか、校庭に設置されたステージの前には多くの生徒が集まっていた。
全校生徒――――はさすがに大袈裟かもしれないが、最低でも学校にいる人間の八割ほどが集まっているように見える。
「うおぉぉぉぉぉおおお! 生カノンだぁぁあああ!」
「ミア様ぁぁあああ! ミア様こっち向いてくれぇ!」
ステージ上にいる二人は歓声に応えるように手を振って見せる。
それだけの行動で、校庭全体がさらに大きな歓声に包まれた。
さすがのアイドルっぷりである。
『みんなー! うちのレイの我儘に付き合ってくれてありがとねー!』
「「「とんでもないですー!」」」
『優しい人ばかりで嬉しい! でもここにこうして来たからには、全力で盛り上がってもらえるよう頑張るからね!』
「「「うおぉぉぉぉおお!」」」
アイドルとしての格好をしている時のカノンは、やはり普段とはまったく違う印象になる。
世間のイメージでは、彼女はお転婆な元気っ子。確かにそういう部分を全面に出していることは納得できるのだが、俺にとってはそれ以上に、しっかり者という印象が強い。
アイドルという仕事を完璧にこなすというプライド。それが全面に出ているように思えるのだ。
多分これは普段のカノンを知っているからこその感想なのだろう。
どこか特別感があって、悪い気持ちはしない。
『今日はボクらの定番の曲と、新しい曲を一つ披露させてもらおうと思っているよ。ぜひ最後まで楽しんでいってね』
「「「きゃぁぁぁあああ! ミア様ぁぁ!」」」
ミアがしゃべると、女子からの歓声の割合が大きくなる。
さすがは王子様キャラ。――――だけど、俺は彼女が誰よりも"女の子"でありたいと願っていることを知っている。
そのこともまた、俺というちっぽけな器を優越感という蜜で満たしてくれていた。
『あ、ちょっと! 遅いわよ!』
カノンが観客である俺たちの後ろを見ながら言う。
揃ってその方向へと視線を向ければ、そこには悠然と歩いてくる玲の姿があった。
すでにその格好はステージ衣装に変わっており、服の端々についた宝石を模した装飾が、日の光に当たってキラキラと輝いている。
「ごめん、今行くから」
俺たちは玲を通すために、ステージまでの道を開ける。
彼女は外側をぐるっと回ってステージまで行こうと思っていたようで、通り道を開けた生徒に対して驚いた様子のまま頭を下げた。
『えっと……改めまして、文化祭二日間、お疲れさまでした』
胸につけるタイプのマイクをつけた玲は、俺たちを見渡した後にそう告げた。
俺たちは彼女の声を黙って聞いている。
『もう一度、私のせいで迷惑をかけてしまった人たちに謝罪をさせてください。そして、二年A組の皆も。文化祭の準備も当日も、ちゃんと手伝えなくて……ごめんなさい』
玲が頭を下げる。
カノンも、ミアも。そして、俺たちも。誰もが彼女のその姿を黙って見届けていた。
こういう話はあまりしたくなかったが、実のところ、玲に対してよくない感情を抱いている連中は少なからず存在する。
お高くとまっているだとか、調子に乗っているだとか、学校にいるだけでいい迷惑だとか。心ない会話はこの学校にいる限り聞こえてきてしまう。
玲にだって聞こえていないわけではないだろう。
ミルフィーユスターズのレイに対しては、もっと適した学校があったはずだ。
それでもこの学校を選んだということは、理由自体は教えてくれなかったけれど、それなりの覚悟は持ってきたということだろう。
そんな中で、玲は少しでも自分を受け入れてもらおうと、こうして体を張っているのかもしれない。
このことがきっかけで、また一人玲をよく思わない人間が増えてしまう可能性もあるが—―――まあ、嫌なことばかり考えていても仕方がない。
俺にできることは、ただ、この場を見守ることだけだ。
『それじゃあ……聞いてください。"サマーオーバー"』
家で口ずさんでいたのを聞いた程度の、あまり聞き覚えのない音源が流れ始める。
これがミルフィーユスターズの新曲。
夏が終わってほしくないと願う一人の少女が主人公の歌詞は、どこもかしこも共感できるところばかりで。暑くなくなって嬉しいような、むしろ涼しくなっていくことが寂しいような、そんなジレンマ。
毎年毎年違う夏が来て、毎年毎年二度と来ることのない夏に切なさを覚える。
そんな曲を、俺たちはただただ聞き入っていた。
そして曲が終わると同時、ステージを包み込むような、今までにない大きさの歓声が湧き上がる。
中にはミルスタの新曲を間近で聞けたことから、涙を流して喜んでいる生徒もいた。
こんな空気の中でこれからパフォーマンスをすると思ったら、少しだけ憂鬱な気持ちなってしまっても仕方ないだろう。
『次の曲が最後だね』
『最後の曲はあたしたちの代表曲! 知っている人は合いの手入れてね!』
カノンとミアの言葉を聞いて察しがついた人間は、大きく盛り上がる。
彼女たちの代表曲と言えば、もう一つしかない。
『――――"ミルフィーユスター"、聞いてください』
ミルスタのデビュー曲、"ミルフィーユスター"。CMなどで使われている曲以上の知名度を誇る、言わずもがなの代表曲だ。
テンションが上がりに上がっているファンたちは、ノリノリで合いの手を入れる。
合いの手が挟まれば曲はさらに盛り上がり、三人のボルテージも徐々に上がっていった。
俺がただのファンであったのなら、今日のこの時間は一生モノの思い出になっていたことだろう。
自分が普段どれだけ贅沢な時間を過ごしているか、また改めて嫌というほど実感させられていた。
「……あ」
その時、ふと視線を感じて視線を向けた。
ステージの中心。多くの生徒に埋もれている中、玲は俺を見つけ、目を合わせている。
――――『頑張れ』。
玲の視線からは、そんな言葉が聞こえてくるようだった。
(いつかのお返しだな)
あの日、ミルスタのライブで歌を詰まらせた玲。
俺はそんな彼女に対して声を張り上げたものの、あれだけ広い会場では一切届いてはいなかっただろう。
届いたのは、きっと視線だけ。
それも定かではなかったが、こうして視線を返してもらえたことで、あれが確かに伝わっていたのだと教えられた気がした。
笑ってしまうくらい、このやり取りが嬉しくてたまらない。
「……頑張りますか」
俺も単純な男のようで、女子からの応援一つでとことんやる気を引き出されてしまった。
あいつには、後で礼を言わなければならない。
――――何も伝えられなくなってしまう前に。
「っ……」
俺は奥歯を噛み締め、ステージ前をあとにする。
そろそろ、俺たちも準備をしなければならない。
嫌なことは一旦忘れ、今日のことだけを考えよう。
一度過ぎた夏と同じように、一度過ぎた今日ももう戻ってこないのだから。