25-7
祝! 100話目!
だからと言って、ここで怯むわけにもいかない。
顔面に向けて水をかけてしまった以上、事故でしたごめんなさいと謝ったところで聞く耳は持ってくれないだろう。
――――そもそも謝る気などさらさらないが。
「ふざけてんのか、テメェ」
茶髪の男は苛立ちがピークに達したようで、近くにあった椅子を思い切り蹴り飛ばした。
椅子は豪快な音を立てて転がり、それによって客として来ていた女性たちの方から悲鳴が上がる。
そして事態がおかしいということが廊下に集まっていた連中にも伝わっていき、彼らは蜘蛛の子を散らすように教室から離れていった。
「おい……暴れるにしても言い訳ができる範囲にしろって言ったよな、オレ」
「うるせぇ! 苛立ってる時に命令すんじゃねぇ!」
自分の言葉が届かなかったことで、金城は舌打ちをこぼした。
茶髪の男は髪についた水気を払うと、俺の胸倉を掴み上げる。
「俺っちに喧嘩売っといて、ただで済むと思ってねぇよな?」
「思ってるも何も……俺はあんたのことは知らないし、第一自分よりも弱そうな相手をターゲットにしてイキるようなクソダセェ奴のことなんて、少しも怖いとは思わねぇっスよ」
「なっ……」
茶髪の男の顔が、怒りでさらに赤く染まっていく。
(もうそろそろだな)
とどめとばかりに、俺はとびっきりのニヤケ面を浮かべてやる。
「どうせあんたも金城に命令されないと動けない下っ端なんすよね? 怒ってますアピールもそろそろキツイっすよ。そろそろ自分の意思で動いたらどうっすか?」
「……ぶっ殺す」
男は拳を振りかぶり、それを俺に目掛けて振り下ろす。
慌てて止めに来ようとする金城一派だが、それよりも速く奴の拳は俺の頬を捉えていた。
「いっ――――」
「もういっぺん言ってみろよ! ゴラッ!」
痛い。マジで痛い。
護身術として人に殴られないようにする技は習ったが、殴られた痛みを抑える訓練なんて受けていない。
しかし、これでいい。これで俺の思惑は果たされた。
「馬鹿! 小突く程度にしとけって言っただろ!」
「うるせぇうるせぇうるせぇ! 殴り足りねぇよちくしょうッ!」
「チッ……! おいっ! ずらかるぞ! こいつ連れてけ!」
茶髪の男を取り押さえ、慌てた様子の金城たちは彼を引きずるようにして教室から出て行く。
その背中を見送り、俺は深く深く息を吐いた。
「り、凛太郎……大丈夫か?」
「ん? ああ、大丈夫だよ。祐介君たちも怪我はない?」
「俺たちは大丈夫だけど……お前、血が……」
「え?」
口元を指で拭えば、そこには血が付着していた。
どうやら殴られた衝撃で切ってしまったらしい。
まあ、この程度は許容範囲と言うしかないだろう。
「お前、すげぇな。わざと殴られたのか?」
「……まあね。ちょっと上手く行きすぎた気がするけど」
堂本に手を貸してもらいながら、俺は立ち上がる。
俺の思惑は、大きく分けて二パターンに基づいていた。
一つは金城たちの態度がすべてただの脅しであり、実際に手を上げるつもりはなかったパターン。
散々色々言い訳じみたことを言ってはいたが、結局問題になるという自覚があり、最低限誤魔化せる程度の嫌がらせに留めておきたいと考えている可能性をまず考えた。
それなら簡単な話で、撤退させたいと考えるならば実際に手を出させてしまえばいい。
明確な暴力沙汰になれば、いくら言い訳しようと逃れるのにも限界がある。
だから彼らは逃げたのだ。
そしてもう一つの考え得るパターンは、奴らが本物の馬鹿だった時。
後のことなど考えず、嫌がらせのためだけに自棄になっていたら、被害はこんなものでは済まなかっただろう。
とにかく教室の中を荒らしまくり、「レイを出せ」と叫びながら適当な人間に暴力を振るえばいいだけの話なのだから。
それを実行に移さなかった時点で二つ目のパターンの可能性は極めて低いと判断したからこそ、俺は我が身をもっとも挑発に弱そうな男の前に晒した。
結果として俺は賭けに勝ったわけだが、正直ここまで上手く行ったことに対して安堵せざるを得ない。
「みんな! 大丈夫!」
「……春川先生」
息を切らしながら、担任の春川先生が教室へと飛び込んできた。
一部荒らされた痕跡のある部分や殴られた俺の顔を見て、先生は悲痛な表情を浮かべる。
「他校生が暴れてるって聞いたんだけど、志藤君のその顔は……」
「心配かけてすみません。でも俺は大丈夫ですから、お客さんや女子たちのケアをお願いします」
「……志藤君がそう言ってくれるならそうするけど、あなたも一旦保健室で診てもらってね。血が出てるみたいだし」
「はい、分かりました」
とりあえず事態は収束したが、今日はもう営業することは不可能だろう。
後始末の方を柿原たちに任せた俺は、春川先生の言う通りに保健室へと向かった。
何の出し物もない保健室周辺の廊下には、人気がない。
だからこそ、そこに立っている彼女が俺を待っていたということに、すぐに気付くことができた。
「――――玲」
「……うん」
壁に寄りかかっていた彼女は、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。
「三人とも無事だったか?」
「うん、大丈夫。でも、凛太郎が……」
「俺は大丈夫だって。これくらいどうってことないし」
言葉の通り、俺の怪我なんてどうってことない。
強がりでもないし、かっこつけているわけでもない。
しかしそう伝えたとしても、玲の方は納得がいっていないようで。
「……ねぇ、凛太郎」
彼女は俺のジャケットの端を摘まみ、俺の目を覗き込む。
「私のせいで痛い思いさせて、ごめんなさい。そして、守ってくれてありがとう。――――でも……危ないことは、しないでほしい」
感情のこもった訴えかけるような声を聞いて、俺は何も言えなくなってしまった。
彼女の指先はわずかに震えており、恐怖の感情が伝わってくる。
それは自分が窮地に立たされたから芽生えたものではなく、俺のことを想ってくれているからこそ芽生えたものであるように思えた。
「……悪かったな、心配かけて」
「ううん、凛太郎が謝る必要はない。私も、これからもっと気を付けるから」
いくら玲の感情による表情の変化が分かりやすくなったとは言え、こんな表情は初めて見た。
これを見ることができたというだけで怪我を負った甲斐があったと思ってしまう俺も、どこかおかしいのかもしれない。
とにかく今は、玲が落ち着くまでこうして側にいよう――――そう思った。
◇◆◇
結局のところ。
あれから金城たちは学校から外に出たようで、続いて問題を起こすようなことはしなかった。
先生方が金城を探していたことから、次に学校に来た日には深く事情を聞かれることになるだろう。それでも停学になればいい方だと思うけれど。
保健室での治療を終えた俺が教室へと戻れば、ひとまずは落ち着いた様子の柿原たちが出迎えてくれた。
「残ってる連中で少し話し合ったんだけど、今日あったことは乙咲さんには伝えないことにしたんだ。責任を感じるようなことになったら気の毒だしさ」
そういう結論に至ってくれた皆に感謝したいところだったが、俺が感謝しても話がおかしくなってしまうため、同意だけ返しておいた。
後でこのことは玲と口裏を合わせておかなければならないだろう。
――――これが、俺たちの文化祭一日目に起きた出来事だった。
この25-7にて、「大人気アイドルなクラスメイトに懐かれた、一生働きたくない俺」の話数が100話になりました。
ここまで続けられたのも、読んでくださっている皆様のおかげです。
この先も、私なりのラブコメを楽しんでいただければ幸いです。
今後とも本作品をよろしくお願いいたします。