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『権利』とテスト勉強

 1学期中間テストまで、残り12日



 もう1人の俺《《も》》『好き』という感情を認めた翌朝、俺はいつも通りベッドから1日を迎えた。


「もう1人の俺は宮垣さんと一緒に駅まで歩いたんだな……」


 正しくはヒナを含めた3人で、だが。と誰もいない家の小さな部屋で独り言を呟いた。


 体を起こしてカーテンを開ける。


 もう1人の俺は毎日ほぼ同じ時間に寝るし、当たり前のことかもしれないが必ず風呂に入り、歯を磨く。一方俺はたまにサボることがある。


 人格は2つだが、身体は1つしかない。だから身体は俺ともう1人の俺との共有財産だ。


 階段を降りて1階にある洗面所に向かう。顔を洗い、タオルで拭いたあとリビングで朝食をとる。最近よく動画投稿サイトにある朝のルーティーンが俺の場合はこれとなる。


 朝食はトースターに入れずにそのままの食パンを2枚とコップ一杯のオレンジジュースを飲む。


 もう1人の俺は昨日、駅前のファミレスでコーヒーを飲んでいたが俺は飲むことができない。


 あれは苦すぎる。地球のものじゃない。あんな長いものを飲めるのは宇宙人だけだ。と考えているが2日に一回は俺はコーヒーを飲んでいる。


 食べ終わったあと、歯を磨いて家を出た。


 去年というより3ヶ月ほど前まで、俺は青葉とヒナの3人で学校に通っていた。幼稚園に小学校、中学校。


 高校生となった4月から俺は先に1人で学校に行くことにした。正確には4月の第二週目からだ。


 理由は正直、自分でもよくわからない。本能的といえばわかりやすいだろうか理性的ではない。


 なぜかわからないが、早く学校に行きたいという気持ちが心の中にある。


 俺の奇病のことを知っている青葉には『これからは1人で先に行く』と伝えておいた。『理由は俺自身もわからない』というと青葉は『まあ色々とあるだろうからな』と言って了承してくれた。


 青葉には様々な迷惑をかけているから感謝しているがそれを伝えるのは恥ずかしい。


 小さな頃もこんな事があったな、と俺はふと頭をよぎった桃色の髪の毛の女の子を思い出す。


 本音を言いたいけど恥ずかしいから言えない。本名を言いたいけど様々な制約があるから言えない。

 人ならば誰しもが経験した事があるはずだ。


 小学校に入学して一年ほど経ったとき、俺はあの女の子と出会った。最初に出会ったのは俺かもう1人の俺かは覚えていない。

 おそらく俺の初恋の相手であり、もう会えることができない人。


 今なら連絡先くらい交換できる年齢だが、小学校低学年となるとそのようなことはできない。


 フルネームは覚えていないが、俺はあの女の子を『さっちゃん』と呼んでいた。


 なぜ『さっちゃん』と呼んでいたのかも覚えてはいないが、会っていた場所は鮮明に覚えている。


 名古屋市内にある大きな文化会館だ。


 ヒナは中学校に入るまでバレエのようなものを習っていた。


 文化会館では春と秋に一回ずつ、様々な地域から人が集まって半年間の集大成を発表していた。


 小学校に入って少し経ったヒナもようやく文化会館での発表をすることとなり、俺の家や青葉一家も見に行くことになった。


 その文化会館がある名古屋市は西端市からはあまり遠くなく、旅行のような印象は持っていなかったと思う。


 まだ背が低かったからか、初めて見た文化会館はとても大きくかんじられた。多分、今見ても大きいとかんじると思う。


 そこで俺は迷子となってしまった。


 それがきっかけであの女の子と俺は出会えたのだろう。


 その後、俺とあの女の子は半年に一回のペースで会っていた。


 小学生にとって半年に一回のペースは遅すぎる。


 会いたい、早く会いたい、1秒でも早く会いたいと俺は毎日考えていた。


 一回会えたら半年我慢。一回会えたらまた半年我慢。それを繰り返してきた。


 ただそれもヒナが中学に入ると同時にバレエを辞めたことによって終わりを告げられた。


 ヒナがバレエを辞めて以降は一回も会っていないし、会う機会すらなかった。


 伝えたかった事を伝えられないまま、言いたい事を言えないまま二度と会うことができないなんてことはもう御免だ。


 だから青葉を含め、身近な人には感謝の気持ちを伝えなければならない。


 あと3年もないのかもしれないから——


 そんな事を頭の中で考えていると学校が目の前まで近づいてきていた。


 今日は青葉やヒナと会うことはなく学校に着いた。


 生徒玄関にある下駄箱でスリッパに履き替えたところで後ろから声をかけられた。


 180度振り返ると、右手を顔の横のあたりまで上げているいかにも『好青年です』と言いたげな容姿をしたキムタクがいた。


「ちょっと話がしたいから、僕に付いてきてくれるかな」


 俺が黙って頷くと、キムタクは微笑んだ。


 キムタクの後ろを3分ほどだろうか、歩いて案内された場所は屋上だった。


 西端高校は屋上が普通に開放されている。少し黒ずんでいる緑色の床に、白いペンキが所々剥がれているフェンスのようなものがあるどこにでもありそうな屋上。景色も特に何か見えるわけでもなく、家が規則的に並んでいるのが見えるだけである。


 屋上に来る生徒はあまりいない。


 だからキムタクはここに連れてきたのだろう。


「それで話したいことってなんなんだ?」


 俺が聞くとキムタクは口を開けた。


「矢加部くんは宮垣さんのことをどう思ってるんだい?」


「ベ、ベツニナントモオモッテナイヨ。フツウダヨ」


 急に宮垣さんのことについて聞かれたので片言な言葉で返してしまった。


「その反応を見る限り好意的に思っているんだね」


 キムタクは話を続ける。


「僕が全教科1位を取った後に宮垣さんに告白するという話を聞いたことはあるかい?」


「ああ、聞いたことあるよ。よく大勢の人の前であんなこと言えるな」


「褒めてくれてありがとう」


 別に褒めたつもりはなかったんだが……


 俺は見てなかったけどな、と加えて話を続ける。


「どうしてそんな事を俺に聞くんだ?」


 シンプルな疑問をキムタクにぶつけると「まあまあ、今は僕が話をしているんだ」と上手い具合に流されてしまった。


「矢加部くんが数Ⅰと数Aの合計点の勝負で僕に勝てたら君に告白する権利を譲るよ」


 権利ってどういうことだ?


「権利ってどういう意味なんだよ」


 俺は思ったままのことを言葉にして伝える。


「そのままの意味だよ。け、ん、り。そんなこともわからないのかい?」


 目の前にあるキムタクは、俺の疑問に呆れたのか首を振りながらお手上げのポーズをとっている。


「どうして俺に権利を譲るだなんてことを言うんだ?俺じゃなくて他のやつでもいいだろ」


 俺は一番疑問に思っていることをキムタクに聞いた。なぜ俺だけを屋上に連れてきてこんなことを言うのだ、と。


「だってこうでもしないと矢加部くんは本気を出せないだろ?僕はね、君とテストで戦いたいんだよ」


 どうして入試トップのキムタクが俺と戦いたいんだ?


 キムタクは話を続ける。


「僕はね、完璧主義者なんだよ」


「……はぁ」


 俺は相槌を打つことしかできない。


「入試の結果は知っていると思うけど僕が1位だ。だけど、数学だけは2位だったんだ。それで先生に1位は誰か聞くと矢加部くんだと教えてくれたんだ」


「最初は悔しかったよ。だけど段々と嬉しさに変わっていったんだ。この学校には僕と対等な勝負ができる人がいるんだ、ってね」


 なんなんだこいつは?と思いながら俺は一番疑問に思っていることを聞く。


「キムタクは宮垣さんのこと好きなの?」


 キムタクは『権利』や『勝負』と言っていて宮垣さんに関することは何一つ言っていない。


 するとキムタクは急に手で腹を抱えて笑い出した。10秒ほど時間が経過して、笑いが収まったのか、再びキムタクは喋り出した。


「矢加部くんは面白いこと言うね。僕が宮垣さんのことなんて好きなわけないじゃないか。ましてや告白なんて」


 今こいつはなんて言った?宮垣さんのこと《《なんて》》好きじゃない?


「矢加部くんが宮垣さんのことを好意的に思っていることは薄々わかってきてね。君に勝負を受けてもらう為に僕はみんなの前で告白すると言ったんだ」


「もし僕が勝って告白したとしよう。もちろん全教科1位だったと仮定してだ。そしたら宮垣さんはなんて答えると思う?」


 キムタクは俺に口を挟む隙も与えないと言わんばかりに話を続ける。


「こちらこそよろしくお願いします。っていうに決まってるよね」


「君がこの勝負を受けないと、宮垣さんは僕の物になるよ。あ、勘違いしないでね。さっきも言ったけど、別に僕は宮垣さんのことは全然好きじゃないからね」


 俺はキムタクが言った『宮垣さんは僕の《《物》》になるよ』という一言がきっかけとなり、怒りがこみ上げてきた。思わず怒りを口に出してしまう。


「……物ってどう……よ」


「声が小さ過ぎて、なんて言ってるか聞こえないよ」


「物ってどういうことだよ!さっきから変なこと言ってんじゃねーよ!なんでお前の都合で宮垣さんを巻き込むんだよ!」


 先程とは真逆のように俺が一方的に喋る展開となった。


「なんだよ『権利』って!どうしてお前が勝手に告白する『権利』なんてものを作るんだよ!第一、宮垣さんの気持ちを考えたことあるのかよ!」


 勢いを弱めることなく話を続ける。キムタクは先ほどとは違い、真剣な眼差しで静かに俺の話を聞いている。


「いいぜ!その勝負受けてやるよ!俺がお前をぶっ潰してやる!!」


 そう言うと、キムタクは


「そうかい。勝負は受けてくれるんだね。じゃあ僕はこれで」


 と言い残し、屋上から消えてしまった。


「はあ、はぁ……」


 久しぶりに熱くなり長い時間喋り続けたと思う。


 体を少し汚い床に仰向けになり呼吸を整える。空は真っ青なキャンパスに少しばかり塗り残しがあるような晴天だ。


 落ち着き、冷静になると自分で言ったことが恥ずかしくなってきた。


『物ってどういうことだよ!さっきから変なこと言ってんじゃねーよ!なんでお前の都合に宮垣さんを巻き込むんだよ!』


 何言ってんだよ俺!、痛すぎるだろ……思わず両手で自分を抱きしめてしまう。


 それよりも——


『いいぜ!その勝負受けてやるよ!俺がお前をぶっ潰してやる!!』


 よく言えたもんだ。俺みたいな奴がキムタクのような天才、秀才には勝てっこない。


 熱くなっていたとはいえまともな判断が出来ないのは良くなかった。


 まあ感情に従って行動するって決めたからいいけどな。と俺は割り切って考えることにした。


 そろそろHRが始まりそうなので教室に行くことにした。


 今頃になるが、どうしてキムタクは入試の順位を知ってるんだ?先生に教えてもらったってどういうことなんだ?


 所詮は憶測に過ぎないことを考えても仕方がない。それより今はどうやってキムタクに勝つかだ。


 教室に着くと同時にチャイムが鳴り、春日井先生も教室に入ってきた。



 ———————————————————————



 授業も終わり、部活動のない放課後となった。


 今日はファミレスに行くなどといった予定はない。


 下校は青葉たちと帰えるつもりだったが青葉は『葵の家で勉強するから今日はヒナと2人で帰ってくれ』と告げて、何か急いでいるのか足早に教室を出て行ってしまった。


「……それじゃあ2人で帰ろっか」


 何故か、いつもテンションの高いヒナが少し頬を赤くしながら、ここ2日と同様に俺の席に近づいてきた。


「そうだな」


 淡々と返事をし、2人で教室を出た。


 もう日常と化した、階段の渋滞。適当にヒナと話をして時間を潰した。


 一昨日のような宮垣さんが下駄箱で話しかけてくるというような嬉しいイベントはなく、普通に校舎を出た。


 校舎を出た後もヒナとの会話は途切れることはなかった。


 すぐに家の前に来て、俺はヒナに「また明日」と言って玄関のドアを開けたその時、


「ちょっと待って!」


 とまだ俺の家の前にいるヒナが後ろから大きな声でそう言った。


 俺は振り向き、ヒナの姿を目で捉える。


「どうしたんだ急に待ってだなんて」


「……あのね、アッキーが良かったらなんだけど……勉強教えてくれた嬉しいなーって……」


 どうしてそんな改まって言うのだろう。高校入試の勉強を教えていたときのヒナなら


「アッキー!数学教えてー!」


 と一方的に言うのだが今日のヒナはどこかおかしい。


 教室を出る時も今のように少し頬を赤くして言っていた。


 何故なのだろうか?それよりも勉強を教えて欲しいと言うことだが、俺はキムタクとの勝負も控えている。


 正直、1人で勉強したいところだが——


 ヒナを見捨てるわけにはいかない。自分で言うのもあれだが、ヒナは俺が勉強を教えないとダメな気がする。


「いいよ。どこで勉強する?」


「じ、じゃあアッキーの家で!す、すぐに行くから、ま、待っててね!」


 とヒナはどこか焦りながら言い、自分の家へと足早に去ってしまった。


 俺は開けたままのドアから家に入った。


 基本的に家には俺1人しかいないので誰かが来るときはリビングで対応する。


「まあ、早く来るって言ってても5分後くらいだろうなぁ」


 と独り言を呟いていると、インターフォンのメロディーが家の中に響いた。


「はーい。今行きまーす」


 ヒナはインターフォンを押さない為、誰がインターフォンを押したのか俺にはわからない。


 サンダルを履き、ドアを開けると西端高校の制服を着て、小さなバッグを持っているヒナが立っていた。


「‥‥お、お邪魔します」


 杞憂だった。ヒナは文字通りすぐに来た。あれは比喩表現ではなかった。だかそれは軽い問題だ。もっと重要な問題がある。


 それは最近、ヒナの様子がおかしい。ヒナが最後に俺の家に来たのは4ヶ月前だが、こんな態度ではなかった。


 4ヶ月前のヒナ。いや最近のヒナ以外はインターフォンの存在を消すかのように俺の家に勝手に入ってきて、勝手に冷蔵庫やお菓子の入っている棚を漁り、勝手にテレビを付けていたヒナと目の前にいるヒナはまったく違う人に見える。


 俺はいつもとは違うヒナをリビングに招き、愛用しているオレンジジュースをカップに注いで、ヒナの目の前に置いた。


「なあ、ヒナ。勉強を始める前に聞きたいことがあるんだ」


 俺は聞いてみることにした。


「最近、体調が悪いのか?最近っていうよりも高校に入ったあたりからだいぶ悪化してるように見えるけど」


「……どうしてそう思うの?」


「うーん。なんか中学までのヒナと違うなぁって思ったんだよ。急に顔が赤くなったりするし、どこかよそよそしいっていう感じ……だからかな?」


 理由を求められると想像していなかったので返答に困ったが思っていることを口下手に素直に伝えた。


「……もしかしてヒナのこと心配してくれてるの?」


 ヒナは俺の方を向きながら首を傾げてそう言う。


「ヒナは《《俺の家族》》みたいなもんだから心配するに決まってるだろ!みたいなもんじゃない《《家族》》だ!」


 少し声を荒上げてしまったが、思っていることを素直に伝えられたと思う。


 するとヒナは少し俯いたあと、


「……そうだよね。《《家族》》……だよね」


 と言った。


「……当たり前だろ。ヒナも青葉も俺の大切な家族だ!」


 結構恥ずかしい台詞を吐いてしまったと俺は後悔した。


 だが感謝を伝えることは大切だと朝に思い出したばかりだ。この言葉が感謝に当たるかはわからないが、俺にとってはヒナに一番伝えたかったことが伝えられたと思う。


『お前とは家族みたいな関係だから、とても大切な存在だ!』というメッセージを俺は込めて、ヒナに向けて喋った。


 俺はやり切ったと思い、その場で仰向けになった。


 横目でヒナの顔を見ると少し寂しそうな顔をしていた。暗くて、奥に何か本音を隠していて、あと少ししたら泣いてしまうような表情だ。


「どうしたんだヒナ?」


 俺が天井を見上げながら話しかけると


「……うん!なんでもないよ!じゃあ勉強しよっか!」


 と言いヒナの表情がいつも通りに戻ったように見えた。


「今日もビシバシやるぞ!」


 俺は体を起き上がらせ、鞄から教材を取り出した。


「……アッキーは、ヒナのことそう思ってたんだ」ボソッ


『アッキー』という言葉は聞き取れたが、それ以降の言葉が聞き取れなかった。


「ヒナなんか言ったか?」


「ううん。なんも言ってないよ。空耳じゃないの?」


「……そうかもな。じゃあ始めるぞ!」


 まあいいや、と俺は思いヒナがなんと呟いていたかを考えることを放棄した。


 その後、俺はヒナに数学をみっちりと教えた。もちろんのこと根性論ではなく、ごく一般的な方法で教えた。



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恋が芽生えるには、ごく少量の希望があれば十分である。 by スタンダール



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