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ハーメルン  作者: 切羽未依
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二月十三日(日)二十三時

二月十三日(日)二十三時


会議室に戻ると、まだ光希くんがお母さんに置き去りにされた防犯カメラの映像は見つけられていなかった。3Fのフロアマップに時間が書き込まれていない。3Fのパンケーキ屋近くの防犯カメラの映像を早送りして――十二時四十二分。水色のセーターの赤い電車のアップリケ。光希くんを見つけた。お母さんといっしょにエスカレーターで上って来て、光希くんは、ずっと、しきりに何かを指差している。パンケーキが食べたいってダダこねてんのかな?パンケーキとホットケーキの違いって何だろう…でも、指差してるの、店の方じゃないな。逆の方。向かいのお店?お母さんはしゃがみこみ、光希くんに言い聞かせる。映像には音声がないからわからないけれど、泣き声が響き渡ってるんだろうなあ。ほんと子どもの強情って一旦スイッチ入っちゃうと、もうどうにもなんないんだよなあ。言って聞かせても泣き続ける、叫び続ける。そりゃ置いて行きたくもなる。

お母さんが立ち上がり、光希くんを置き去りにして歩いて行き、エスカレーターで下りて行った。

映像をオフにして俺は凝り固まった首をほぐすために回すふりをして、周りを伺う。みんな、自分の前のモニターだけを見つめて、誰も俺のモニターを覗き込んだりはしてない。このことは栗間さんだけに報告しよう。

「何も見つかんないな」

俺は息を詰め、びくっとなるのをこらえた。隣の捜査員が大きく息をつき、机に肘をつき、両手で頬を包むようにして頬杖をついた。

「バックヤードの防犯カメラ、基本、盗難対策だから倉庫なんかの前にしかないんだよね」

「そうですね」

「そうなのか!」という顔をしないように俺は顔の筋肉に全てに命令して、あいづちを打った。隣の捜査員がビックリ顔で俺を見た。あ、やべ。今の独り言でしたか!

「せめて例の関係者以外立入禁止のドアの内側を写す所にあって欲しかったよなあ」

どこかで誰かがぼやく。会議室いっぱいに吐き出されたため息とうめき声が重い空気をますます重くする。隣の捜査員は俺に苦笑を向けて、モニターに目を戻した。ため息とうめき声を出した捜査員たちもモニターからは目を離さない。俺だけだよ、モニター見てないの。おまけに映像オフでモニター真っ黒だよ。俺は映像をオンにして、最高速度で早戻す。まだ光希くんと母親が三階に上がって来る前のずっと前の時間まで。チェックしてますってふりで映像を映しておく。どこかで誰かがぼやく。

「車に乗せてないってことは、中ってあり得るよな」

「やめて~、ぼく、冷凍庫前、チェックしてるんです~」

「そこはチェックしてるだろ、現場げんじょう

「でも、箱の中身、一個一個見た訳じゃないですよね?」

「ヤなこと言うな、お前」

俺は必死に想像しないようにする。冷凍庫の箱の中。――みんなわかっているんだ。連れ去られた翌日か、翌々日にはご遺体が発見されている。今晩中に見つけることができなければ

ドアが開く音に一斉に見る。とげとげしい視線にぶっ刺された黒ひげ危機一髪状態の栗間さんは開けたままのドアに斜めにもたれ、言った。

「いいニュースと悪いニュース、どっちが聞きたい?」

会議室にいる全員がため息で答えた。栗間さん、メンタル強すぎる。俺なら今のため息の風圧で吹き飛ばされて、確実に粉々になっています。森山の聴取が終わった後、俺を防犯カメラの映像チェックに戻して、栗間さんはどこかへ行っていた。誰一人、「いいニュース」とも「悪いニュース」とも答えないで、二月の夜の外の気温よりも寒すぎる体感温度の中、俺は手を上げざるを得ない。

「悪いニュースからお願いします」

と言ってから、今、この状況で悪いニュースなんて、たったひとつしかないじゃないかと思い当たる。だって冗談っぽい言い方するから!心臓が胸を突き破りそうなくらいドンドン脈打ち、痛い。

「閉店後の店内の捜索、ゴミあさりの結果、何にも出てきませんでした!」

はああああと長いため息を全員がついた。で、俺の方をみんなが見た。こんなのが班長で大変だねえって心の声がテレパシー使えなくても聞こえてきます。

「で、いいニュースな。――吾妻管理官、どうぞ!」

え、いらっしゃってるんですか?と思ったら、栗間さんは水戸黄門の印籠のようにスマホを突き出した。スピーカーで吾妻管理官の声が響く。

「管理官の吾妻です。小泉こいずみ安香やすかちゃんを多摩市内で無事保護しました」

安堵のため息と小さな歓声が会議室にあふれる。

被疑者ひぎしゃ男女二人を確保」

「男女二人組…」

「夫婦か?」

という声が上がる。吾妻管理官の報告は続く。

現場げんじょうに安香ちゃんの他に子どもはいませんでした。被疑者にはコスプレ趣味があるようです」

ざわっと空気が揺れる。幼児連続誘拐殺害事件の真犯人マルヒか。

「本部からの報告は以上です。——そちらは引き続き光希ちゃん発見に全力を尽くして下さい。よろしくお願いします」

「捜索をご担当された芝崎主任に『おつかれちゃん』って伝えて下さい。『こっちも負けねえかんな』って」

栗間さんが言うと、吾妻管理官は少し笑ったようだった。

「そのままお伝えします。——厳しい夜になるとは思いますが、いい知らせを待っています。…って言って管理官は寝ちまうんだろって思った?」

! 吾妻管理官のぶっちゃけ発言に笑いが起こり、栗間さんは大慌てする。

「ちょっ待っ!これスピーカーにしてますよ。みんな、聞いてますよ!」

「そうでもないんですよ。起きて働いてみなさんの吉報を待ってますから」

捜査員は笑い合う。……みんな、だまされてるだまされてると思ってしまう。栗間さんの言う通り、警視総監候補になるほどの人だ、現場の捜査員ごとき手のひらの上でころころ転がせなきゃ、警視庁五万人はひきいて行けないよなあ……

「よろしくお願いします」

「はい!」

捜査員全員が吾妻管理官に向かって、じゃなくてスマホに向かって声をひとつに力強く返事をする。

「とゆーことで、みんながんばりまーす。以上、夜を徹して防犯カメラチェック中の支店の会議室からでした~」

生中継のアナウンサーみたいなことを言って電話を切る栗間さんは苦笑している。先輩の今の気持ちはよくわかります。

「私たちも一刻も早く光希ちゃんを見つけなきゃですね」

「そうだね」

「コスプレ趣味があるって言ってましたけど、あっちが真犯人なんですかね」

「男女二人…こっちの森山もやっぱ共犯がいるのかな」

「あっちが真犯人マルヒにしても、こっちはこっちで犯人マルヒを上げねえと」

明らかに会議室の空気が変わった。もちろん捜索していた子どもの一人が見つかったという安堵感が一番だけど、俺たちもがんばろうって気持ちになっちゃってるのは、確実に吾妻管理官がアゲた結果で。すごいなあと思う反面、これだけの捜査員を瞬時にだませる人が、俺ごときをだますことなんてカンタンすぎて、疑い始めると、俺を交番勤務に戻すって言うのも、吾妻管理官にとっては、どーっでもよくて、交番勤務の巡査(当時)なんかに取り調べをさせたことを上にごちゃごちゃ言われ続けたくないってご自分の保身のために俺を捜一に配属しただけで、後のことは知~らない。ってゆーか、俺のことなんか忘れ去ってしまうんじゃないか。そうだよな、五万人分の一人だもん。

俺は立ち上がる。栗間さんに、光希くんがお母さんに置き去りにされた――光希くんからお母さんがちょっと離れてしまった時の、防犯カメラの映像を見てもらおう。今、俺のことなんかどうでもいい。今、俺がやらなきゃいけないことは光希くんを探すことだ。自分が本庁の捜査一課の刑事だって、交番勤務のおまわりさんだって、やることは同じだ。この所轄の交番勤務だったら今頃、光希くんを探して、目撃者を探して、現場げんじょうを駆けずり回ってる。

あ、モニター消して行かないと。俺が席を立っている間、誰かに覗き込まれるかも――ん?モニターに何か、赤いものが…俺は、モニターを指でこする。ゴミじゃない。故障?モニター、壊した?俺、何もやってない!何か、画面に赤い、小さなチラチラが出て、消えた。直ったのかな。ん?

俺、こういうの黙っていることができないんだよな…バレる前に「ぼくがやりました」って言っておかないと、そわそわしてしまう。と、モタモタしてたら、栗間さんの方が俺の所に来た。

「どしたー?」

いきなり立ち上がってモタモタしてたら、そりゃ不審がられる。立っただけで目立つ一八七センチメートルのウドの大木だからなあ、俺。

「あの、映像、モニター、ちょっとおかしくて」

「お。壊したかあ?」

俺の隣のイスに座って、モニターを覗き込む栗間さんを見て、本当に見てもらいたいものはモニターの故障じゃないんですが、と思う。

「心配するな。壊しても始末書書けば済む問題だ。東京都民に謝れ」

みんなが笑う。そうですね、都民の血税で購入された機材ですからね。……始末書書きますから、今は早いとこ、映像を見て下さい。栗間さんに俺は小さな声で言う。

「3Fの映像、見つけました」

これだけで栗間さんにはわかる。わかりますよね?わかって下さい!と祈りながら映像を早送り

「どれ?」

隣の捜査員が俺のモニターを覗き込んで来た。しまった!俺は早送りをやめ、早戻しして、再生ボタンを押す。

「あ、ほんとだ。赤いのチラチラしてる」

「え。どれどれ?」

他の捜査員まで集まって来てしまった。失敗した。これじゃ逆に注目を浴びてしまって、栗間さんに映像を見てもらえない。しかし、確かにモニターに赤いものがチラついている。消えた。

「消えた」

誰かが俺の気持ちを代弁してくれた。

「え。わかんない。そもそもどれですか?」

「それ、モニターの方じゃなくて映像じゃないですか?戻してみて」

隣の捜査員さんが言った。言われるがままに、俺は早戻しして、再生する。隣の捜査員さんが人差し指で赤いチラつきがモニターの下から上へ移動してゆくのをたどる。画面の上へ抜けるようにして消えた。

「もう一度、再生して」

言われるがままに早戻し、再生。人差し指がたどる赤いチラつきは確かに、さっきと同じように下から上へ上がって、消える。

「ほら、やっぱり。そもそも映像のチラつきですよ。気にしないで」

「よかったなあ。始末書書かずに済んで」

ぽんぽんと栗間さんに肩を叩かれる。ムダに強い力が凝った肩に気持ちいいです、先輩。。できれば、もう片方の方も――赤いチラつきを指差していた人差し指が離れた。

「ありがとうございます」

俺は頭を下げる。隣の捜査員さんは、ううんと笑顔で首を振って、自分のモニターに目を戻す。行きかける栗間さんの腕を掴む。「3Fの映像、見つけました」って言ったのに行っちゃうって、やっぱ伝わってなかったのか。「まだ何かあんのか?!」とか声を上げられる前に、俺は「黙っていて下さい」と目で訴える。

栗間さんは閉じ合わせた口の端を歪め、俺の隣に座る。俺は無言で映像を早送りして、光希くんからお母さんが離れるシーンを見せる。栗間さんは握り合わせた両手を口に押し当て、映像を見つめている。

「今は、この件は置いておこう」

小さく言った。イスを立ち、会議室を出て行く栗間さんの背中を見送り、ひょっとしてあの人、夜を徹しての防犯カメラの映像チェックから逃げたんじゃないかという疑惑が胸にわきあがった。ほんと俺、ニブくて、刑事に向いてない。



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