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ハーメルン  作者: 切羽未依
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二月十三日(日)二十一時から二十二時まで

二月十三日(日)二十一時


光希くんを抱っこした男は帽子をかぶっていて顔は、はっきりと見えない。捜査本部の大きなスクリーンに映る防犯カメラの映像は拡大されて粗さマシマシになっただけで、ここでドラマならバババッと映像をキレイにして犯人の顔をアップにするところだけど、そこまでの技術はないそうです。あと、顔認証システムも捜査に使えるほどの精度と速度はまだないそうです。表示されている時間は十三時三分。母親が迷子センターに駆け込んだ十三時四十七分より前?

「どこのカメラ?」

スクリーンの前に立って映像を見ながら、栗間さんは所轄とスマホで話している。その隣に立っている吾妻管理官。その隣に立っている俺。捜査本部の広い会議室に三人だけだ。

「1Fのどこ?——迷子センターの近くううう?…犯人じゃない?善意の人か?え、でも、迷子センターに光希ちゃんは届けられてねえよな?」

男は光希くんを降ろして――水色のセーターに赤い電車のアップリケで光希くんと確認できる。——しゃがみ込み、光希くんに何か言って、何か?どこか?を指差し、光希くんを置いて、一人で歩いて行く、指差した方へ。光希くんは、ぽつんと立ってる。しばらくして、よちよち歩き出す。男が指差した方へ。男が歩いて行った方へ。男を追って?——男?

俺は両手で自分の前髪を掴むようにかきあげる。どうして顔が見えないのに「男」と決めつけてる?見えてるものだけを見ろ。

「その先に防犯カメラは?……ない。行き止まり?じゃあ、戻って来る映像は?はあ?ない?ハーメルンじゃなくて壁抜け男か。光希ちゃんも戻って来る映像がない。壁抜け男だ。現場に捜査員は?——そうか。ここから逆算して防犯カメラの映像を辿ってみるしかないな。この先の映像がないなら。男の特徴を」

「『男』とは限りません。男である確定的証拠は映っていません」

言った俺を栗間さんがビックリ顔で覗き込む。心の中のビックリより増量して、その顔、作ってますよね……栗間さんはモニターに向き直り、電話を続ける。

「その人物・・の特徴をできるだけ洗い出して。『男』か、この映像じゃわからねえないと、うちの一年坊が言ってる」

言いました。

「『女』である可能性もある。ああ、うん。そう。そうそう。よろしく」

スマホを切ると栗間さんは俺を見て、にやりと笑う。

「これでいいか、一年坊」

「すみません」

謝る俺にひらひら手を振り、マジ顔になって吾妻管理官に報告する。

「1階、迷子センター近くの防犯カメラの映像です。現場の捜査員をこの場所に向かわせます。迷子センターの職員にも再度、聴取します。迷子センターに光希ちゃんは来ていません。この先は行き止まりだそうです」

「もう一度、映像、見せてくれる?」

吾妻管理官が言って、栗間さんが所轄に電話をかける時、俺に渡したリモコンをお返ししてから、いや、一年坊の俺が映像を戻さなきゃダメだった!と思ったが遅い。栗間さんが映像を戻し、もう一度見る。

「ちっちゃいから戻るのが映ってないだけかと思ったけど、この映像、両脇の壁も床も映ってるから、死角はない」

吾妻管理官は口の前で手のひらを合わせ、つぶやいた。

「ハーメルンに壁抜け男ね。私たちは何を追ってるの?」

そして、黙り込む。栗間さんはリモコンで映像を繰り返しては毎回ちがうところで一時停止して、手がかりを掴もうとしている。俺は、お二人を見ています。推理なんてできる頭は持ってないから、俺は管理官と班長の手足になるだけです。できるだけよく動く、立派な手足になりたいとは思って

スマホが低く震える音が聞こえて、また俺はびくっとしてしまう。栗間さんがリモコンで俺の腕を軽く叩くと――びくっとしたのがバレた。——スマホに出る。

「はああ?男、もとい女かもしれないヤツが、ああ、めんどくせえな。ヤツがほぼ同じ時間に別の場所にいるううう?何じゃ、そりゃ。分身の術か!ドッペルゲンガーか!」

「メルヘンから離れましょう」

わめく栗間さんの隣で吾妻管理官が冷静な声でツッコんだ。そうだ。これは現実に起こっている事件だ。笛吹男も壁抜け男も分身の術もドッペルゲンガーも現実には存在しない。そう見えているだけだ。…いや、現実のどこかには存在しているかもしれないけど、とりあえず今、ここにはいない前提で。

「そういや、中山さんはどこ行ったんだろうな?——あ、いやいや、こっちの話です」

栗間さんが言う。1Fの会見場から5Fの捜査本部に行くまで、三人に「記者の方たちが探してましたよ」って吾妻管理官が言われたけど、記者の方たちには会わなかった。

「なまじ内部に詳しいのと私の立ち回り先を知っているだけに庁内を迷走してると思う」

吾妻管理官の答えに栗間さんは肩をすくめる。それで逃げ出したふりをして会見場に残ったのか。吾妻管理官が中山さんより一枚、どころか何枚も上手うわてか。吾妻管理官が口の前でずっと合わせていた手のひらを離して、下ろした。そして、言った。

「捜査員の増員は検討します」

栗間さんは頬を歪め、にやりと笑う。スマホに向かって言う。

「速攻、そっちに戻るよん。引き続き、何かあったら連絡してちょ」

スマホを切る。にやりとした顔のまま、吾妻管理官に言う。

「薄々そうじゃねえかとは思ってたけど。たった三人で、この映像を見てる時点でね」

「私は、この男なのか女なのか、」

わざわざ男か女か、言って下さっているのが、もはや自分的に申し訳なくて仕方ない。

「どちらか不明ですが、『幼児連続誘拐殺害事件』の捜査本部として捜査員の増員をするには、この人物が真犯人マルヒだという証拠が必要です。単に誘拐犯かもしれない」

「OK。俺らでこの男か女かのヤツを追いましょう」

ここまで言われると、若干いやがらせにも感じなくもないです、先輩。吾妻管理官はスクリーンに映る光希くんを抱っこした男か女かを見つめる。

「ほんとにね、これからも捜索対象は増える一方。休日・祝日に大型商業施設で行方不明になった幼児。って条件だけでもね。春休みは休みのうちに入れるべき?そもそも捜索対象の条件は合ってるの?」

今、警察が探している五人の中に犯人に誘拐された子がいるのか。五人じゃない、他の子じゃないのか。俺の中にもある疑念を吾妻管理官が口にする。それ、管理官が言っちゃいけないことなんじゃないですか、って思うけど、だから俺は、この人を信頼しているんだろうなと思う。この人はウソをつかない。…交番勤務に戻りたいのが第一希望だけれど、こんな上司の下で刑事やるのは、やりがいがあるのかもしれないって思わなくもない……

吾妻管理官に礼をして会議室を出ると、栗間さんはまだ、にやにやしている。今、この状況に、にやにやできる神経は俺は持てないと思う。

「『捜査員の増員を検討する』って言っただろ、吾妻管理官」

「はい」

「あれって『捜査員の増員はできない』って意味なんだよねえ、俺らが証拠を上げない限りは。けど、はっきり『捜査員の増員はできない』って言っちゃうと、何かあった時に責任問題になっちゃうから、あーゆー言い方するんだよねえ」

自分を抱えるようにして両腕をさする。

「やあああ、こわいねえ。警視総監にもなろうって人の処世術ってゆーの?」

この人はウソをつかないって思ってる俺は吾妻管理官にだまされてるだけなのか……。やっぱり、こんな所にいたくない。交番に帰りたい。



二月十三日(日)二十二時


栗間さんと俺が戻るころには、光希くんを抱っこしていた男は所轄の港区W署に任意同行されていた。ショッピングモールの清掃員。森山もりやま雄二ゆうじ。二十八歳。男性だった。映像を見た店員の一人が服装から清掃員じゃないかと言い出して、清掃会社に連絡が取られた。当日勤務は十一人。分身の術もドッペルゲンガーも現実には存在しない。同じ帽子と作業服の人物が防犯カメラに映っていただけだ。うち五人が男性、六人が女性。その中で、まだ店内にいたのが男性三人、女性三人の計六人。でも、この計六人は十五時からの勤務で、社用のワゴン車に同乗して従業員用の出入口の防犯カメラの映像から十四時三十二分に来ていることが確認された。栗間さんは、それを見て、防犯カメラの映像をショッピングモールから提供してもらう時に、従業員だけ出入りする場所が全く頭になかったことを「しくった」と言っていた。即刻提供してもらうように指示したら「もうやりました」という声が返って来て、もう一度、舌打ちした。従業員出入口の防犯カメラに映っている時間より以前にやって来て、清掃員の帽子と作業服を着て、店内をうろついていたかもしれない可能性はとりあえず棚上げして、それ言ったら、本日勤務じゃない清掃員の可能性もあるけど、それもとりあえず棚上げして。十三時前後に店内にいて十五時で勤務を終えている男性二人と女性三人、計五人の所在確認が行われた。清掃会社の社長・甲田こうだ海司かいじさんに電話をかけてもらい、確認の理由は言わずに全員の居場所を聞いてもらった。全員、自宅にいて、甲田さんといっしょに捜査員が行って、全員の所在を確認して、本人の同意を得て家の中も確認させてもらったが、光希くんは見つからなかった。甲田さんが「今日、子どもを迷子センターに連れて行かなかったか」と聞くと、森山だけがキョドって甲田さんに「本当のことを言いなさい」と諭されて、光希くんを迷子センターに連れて行ったことをゲロったそうだ。

迷子センターの職員に再度聴取したが、光希くんも森山も目撃していなかった。元々、出入口のドアには動物のシールが貼られていて外はよく見えないそうだ。防犯カメラも迷子センターの前を映すものはなくて、中を映すものしかない。

行き止まりの壁は従業員用の扉だった。そう言われてみれば、お店で「関係者以外立入禁止」の扉なんてよく見かけるのに思いつきもしなかった。壁抜け男も現実にはいない。施錠はされていないが、三歳児が自力で開けることは不可能な重さだそうだ。

「力じゃなくて、子どもが寄っかかると体重で扉が開いちゃうことってありますよ。ドアノブが手に届く高さにあるなら」

思わず言ってしまって俺は口を閉じる。一年坊は栗間主任への捜査員の報告を隣で黙って聞いてればいいのに、俺のバカ!報告していた捜査員は俺を見た。その目はパパさんの目!

「それはないです。こういう…」

パパさん捜査員は両手を突き出して、回してみせた。

「何て言うのかなあ?丸い輪っかみたいなドアノブってゆーか」

「ああ」と、その場にいる捜査員の中でわかった人が声を上げる。俺はわかんないです。パパさん捜査員は膝をかがめてめて、背を低くして、手を上げてみる。

「三歳児には届かない高さじゃないかな。輪っか掴めないし。ちゃんと計ってみないと断言はできないけど」

「すみません…ムダな口出しを…」

輪っかみたいなドアノブはわからないままで、とにかく謝ると、パパさん捜査員は膝を伸ばして、手をひらひら振った。

「ううん。わかるよ。言われて、俺もはっと思った。掴まり立ちで掴んだドアノブ回っちゃってね、寄っかかって、ひゅーんとドアが開いちゃうの。わかる~~~」

「ドアレバーもやべえよな」

「ドアレバーやばい」

「うちの子なんてサッシのカギ開けんの覚えちゃって。ベランダ出ちゃうじゃん?危なくて、サッシ開かないの付けたもん。ほら、防犯用のさ」

なんて話し合うパパさん捜査員たちの表情が暗くなった。顔を見合わせ、うなずき合う。

「早く見つけような、光希くん」

「がんばろう」

「うん」

ぱんっと栗間さんが大きく手を叩く音が響く。

「よし、光希ちゃんを俺らで取り戻しましょう!」

その言葉に力強く声を返す捜査員。俺は声を合わせることができなくて、とぼとぼ、栗間さんの後ろをついて行って、光希くんのお母さんの森山の面通しに立ち会う。栗間さんは森山が光希くんを抱っこしていたことは言わずに、店の中で光希ちゃんを見かけた目撃者に集まってもらったと言った。見覚えのある人はいるかを聞く。

「……見たことがあるような気がします。あの人、右側のイスに座ってる人」

長い沈黙の後、光希くんのお母さんは消えそうな震える声で言った、透視鏡とうしきょう、刑事ドラマでよく見るマジックミラーの向こう、取調室にいる七人の男のうち、イスに座っている森山を指差して。

「どこの店員さんですか。うちの子をどこで見たんですか。教えて下さい」

泣きすぎて赤い目は腫れている。お化粧もとれて、髪もボサボサだ。見たことがあるような気がするってことは、今日、森山と何らかの接触があったんだろうか。今日じゃなくても、いつも行くショッピングモールの清掃員だ。可能性はある。

「すみません。目撃情報をまだ集めている最中で、まだハッキリしたことを申し上げられないんです。申し訳ありません。——彼について、何か思い出したら、おっしゃって下さい」

栗間さんは森山が清掃員であることも言わない。何でだろう?清掃員だって言ったら接触を思い出すかもしれないのに。

「何かわかりましたら、すぐにご連絡いたしますので、お帰りになられますか?」

栗間さんが聞く。お父さんはもういなかった。所轄に戻って来て、独りぼっちでいるお母さんを見て、何で?って顔をしてしまった俺に栗間さんが小声で教えてくれた。

「営利目的の誘拐の可能性もあるでしょー。家に誰かいなきゃダメなの」

「…すみません」

謝る俺の胸を栗間さんは拳で軽く叩く。

「お前、心読みやすすぎ」

「すみません」

謝ったけど、ポーカーフェイスなんてムリだもんっ。って思った。って回想をたっぷりできるほどのの後、お母さんが消えそうな震える声で言った。

「ここにいちゃ、だめですか?」

「いいえ」

栗間さんの即答に、お母さんは泣き出しそうな顔になった。

「でも少し休んで下さい。何かわかったら、すぐに起こします。何かお食べになりましたか?警察名物カツ丼は?」

「ぶっ」

俺が吹き出してしまった。すいません!でも、お母さんもつられて笑ってくれた。でも、目から涙がこぼれ落ちる。うわ!もう俺が泣かしてしまった気持ちになって、スーツのポッケにポケットティッシュを探す。お母さんは手で涙を拭ってしまう。

「私のせいなのに。ほんとダメですよね。私が悪いんです」

「そんなことはありません!悪いのは犯人です!」

俺は探し当てたポケットティッシュを差し出す。あ、袋、開いてない。開けて、取り出しやすいようにティッシュをちょっと袋から出して、もう一度、差し出す。お母さんは首を振って、自分のコートのポケットから出したミニタオルで顔を拭き、声を上げて泣き出した。わかる。タオルって子どもの匂いが染みつくんだよな~。ミニタオルに光希くんの匂いをかいだんだと思う。俺はスーツのポッケにティッシュを戻し、栗間さんを見る。あきれ顔で見返された。

「ほんとお前、顔に感情モロ出し。ああ、いいよ。栗間班長が許可する」

「ありがとうございます」

頭を下げて、それから俺はお母さんをぎゅうっと抱き締め、背中を撫でた。

「本当にお母さんは何にも悪くないです」

「私が悪いんです……あの子がいきなり泣き出して、泣き止まなくて、もう、私…腹が立って、あの子が憎くて、本当に憎くて、あの子を、泣いてるあの子を……置いてったんです」

え。俺は栗間さんを見る。栗間さんは唇の片端を噛み、首を横に振る。いきなりの新証言ですか。

「私が置き去りにしたんです。あの子を、私が置いて行かなかったら、こんなこと――」

お母さんは俺にしがみついて泣き続けた。

その後、栗間さんが呼んでくれた女性警察官にお母さんは引き取られて行った。栗間さんと俺は、言葉がない。栗間さんが大きく息をついた。

「証言に一貫性がなかったのは、混乱してたせいじゃなかったのか。自分の落ち度を隠すため……」

「でも、そんな、ありますよ。言うこと聞かない子供を『置いて行くからね!』って怒るなんて……」

「それは今日日きょうび、『ネグレクト』って言って、虐待だよ。——とりあえずパパさんには話を聞かないとならないな。虐待的なことがなかったか」

「今日の置き去りだけで、虐待を疑うなんて」

「刑事ってのはな、疑わしきは調べるもんなの」

それは刑事名言ですか、先輩。先輩は口の前に人差し指を立て、声をひそめる。

「とりあえずは、この件、シーッな。生活安全課せいあんの皆々様の態度が変わっちまうからさ」

「はい」

今、探している光希くんが行方不明になった原因が母親の虐待かもしれないと知ったら、虐待を担当する生活安全課が、というか、特にパパさん捜査員の皆々様がどんな気持ちになるか。言うなって言われなくても言えない。言いたくない。

「まずは清掃員の聴取だ」

透視鏡室(と言うのか何と言うのか、未だにわからない)のドアノブを握って、開けずに栗間さんは俺に聞いた。

「あの男が真犯人マルヒだと思うか?」

俺に聞きますか。あ。

「栗間さん、お母さんが森山の顔に見覚えがあるって言った時、どうして清掃員だって教えなかったんですか。教えたら、何らかの接触があったことを思い出すんじゃないでしょうか」

「俺の質問に答えろよ~、一年坊」

「わかりません」

俺の答えに肩をすくめ、栗間さんは俺の質問に答えてくれた。

「『清掃員』だって言ったら、そこで記憶は固定されちまうだろ。ほんとは別の所で会ったことがあるのかもしれないのに。答えがわかっちまえば、人は思い出すことをやめちまう。けど、わからなきゃ考え続ける。どこで会ったんだろう、見たんだろうって。本当に森山と接触があったなら、俺が清掃員だって言わなくても思い出すさ」

「そうだったんですか」

俺の考えが浅かった。刑事ってすごいなー。と思って、あ、俺も今、刑事かと思う。

「ただ、今回は望み薄だけどな。お前、森山を見て思い出さないなら、刑事失格だぞ」

って思った途端に刑事失格と言われた。透視鏡の向こうの森山を俺は見る。ハッキリ言って、めっちゃイケメンだ。切れ長の目、あんなにキレイな眉ってやっぱり整えてるのか?鼻は高くて、微笑んでるような唇。元・アイドルとか?

「『わかりません』か?——七年前、大学のサークルで集団強姦したリーダーとして捕まったヤツだよ。名前は変えてるけどな」

七年前。ニュースって見てなかった。だってニュースって、そういう強姦とか殺人とか事故とか、虐待とか、人が死ぬことばっかりで、子どもに見せるものじゃないから。ニュスを見なさいって子どもに言う大人はまちがっていると思う。

「ママさんはニュースで見た顔が記憶に残ってるのかもしれない。なんてったってイケメンだからな」

栗間さんはドアを開け、廊下に出る。ついて行って、ドアを閉める。栗間さんが取調室のドアを開けると、森山以外の六人の男は出て行く。栗間さんは一人一人にお礼を言いながら小さく頭を下げる。俺も頭を下げる。面通しのために署内からかき集められた背格好や年齢が近い男性だ。

そのうちの一人の腕を栗間さんは掴んだ。

「境、記録係、よろしく」

「ぼく、またメガネの度が進んだんですけど、経費で落ちないですかね、メガネ代」

最近の刑事は眼精疲労が職業病か。栗間さんについて境さんが取調室に入る。境さんは栗間班のNo.2。能面みたいな顔だと思う。笑っているように見えるんだけど、無表情と感じてしまう。七三分けの髪は白髪が目立つけど、栗間さんと年は同じくらい、四十代だと思う。いつも黒の平べったいショルダーバッグを斜め掛けにしてる。何が入っているのか開けたところをまだ見たことはない。そのショルダーバッグは掛けたまま膝の上に置いて、記録係の机に座ると、メガネを額に上げ、目と目の間をモミモミする。お疲れ様です。俺は小さく頭を下げる。栗間さんは森山と向かい合ったイスに座る。その隣のイスに座る。座って、刑事ドラマだと片っぽの刑事は立ってたりするよなあと思い出して、座っちゃいけなかったかなあと思って、お尻がもじょもじょする。森山は顔を前に向けてはいるが、視線は下に向いている。

「森山雄二さん。いえ、カミシロ ユウジさん」

本名?を呼ばれて、森山は唇を歪めて笑いをもらした。刑事ドラマの容疑者をテレビで見てるみたいだ。イスの背にもたれて、うつむく。

「警察は何でもお見通しだぞ、ですか」

ため息をつく。

「泣いてる子どもを迷子センターに連れて行っただけです。何にもしてません。ママは近くにいませんでした。子どもの周り、探したけど、呼んだけど、何にも反応なかったです。みんな、知らんふりですよ。あ――――ー」

天井を見上げ、長く声を上げる。

「今、悟った。だから、みんな、泣いてる子どもを見て見ぬふりする訳ですか。迷子センターに子ども連れてくだけで、誘拐になっちゃうんですか」

前を向き、俺たちを真っすぐに見つめる。

「子どもが一人でめっちゃ泣いてたんですよ。周り、人がいるのに、みんな見て見ぬふりで。泣いてる子どもを迷子センターに連れてった俺が罪で、見て見ぬふりしてた周りが正しいんですか。そうですか」

「さっきから『迷子センターに連れて行った』と言っているけれど、迷子センターには連れて行ってないね」

「は?」

栗間さんが言うと、大きな声で反論する。

「連れて行きましたって!何ですか?マジで俺、誘拐したと疑われてんですか?家ん中も見せたじゃないですか!なんもなかっただろ!家ん中見た刑事に聞いて下さいよ!」

「迷子センターの近くまで連れて行っただけだ」

「それは!こういうことになるからだろ!迷子センターに連れてきゃ、いろいろ聞かれるだろ。俺のことも気付かれるかもしれない。気付かれたら、子どもに何かしたんじゃないかって疑われるだろ。こうやって!」

「だから、迷子センターには連れて行かなかったんですね?」

「そうだよ!でも、俺は何にもしてない!本当に!絶ッ対!子どもを誘拐なんてしてない!もう一度、家ん中、見て下さいよ……何にもないから。マジで」

うなだれる。

「泣いてる子どもがかわいそうだっただけなんですよ…」

――泣いてる子どもをかわいそうって思うのに、被害女性はかわいそうに思わなかったんだろうか。いや、罰を受けて、反省して、そういう気持ちを感じるようになったんだろうか。顔を上げた。やっぱすげえイケメンだと思ってしまう。

「これってハーメルンですか」

「え」

俺のバカ!声を上げた後で口を閉じても遅い。机の下で栗間さんに足を蹴られた。このパワハラは、ありがたくちょうだいいたします!お口にチャックじゃなくて、いっそチクチク縫い合わせたい。

「まさか俺、疑われてんですか。子どもが行方不明になってんの。俺が?」

「迷子センターに連れて行かなかった理由をお聞きしたかっただけです。そうですか。わかりました。子どもを置いて、その後、どこに行かれたんですか?」

「バックヤードですよ。迷子センターの奥、従業員用通路があったから。店内に戻って、階段使うより近かったから。俺らね、お客様がお使いになるエスカレーターとかエレベーターとか使っちゃダメなんですよ。クッソ重い清掃道具やゴミ袋持って階段行ったり来たりすんですよ」

「その後は?」

「三階に戻って、仕事しましたよ」

「『三階に戻って』ということは、三階から子どもを連れて行ったんですね?」

はっと短く息を吐き出し、イスの背に背中を叩きつけるようにしてもたれ、栗間さんをにらむ。

「あんたらのやり口だよな。あんたらはもう知ってることを、犯人の口からわざわざ言わせんだ」

「三階から子どもを連れて行ったんですか?」

栗間さんは繰り返す。「もう知ってる」というのは当たっていない。まだ光希くんがお母さんとはぐれた場所——光希くんがお母さんに置き去りにされた場所は突き止められていなかった。栗間さんと俺が本庁へ行った後に防犯カメラのチェックで生活安全課セイアンの皆さんが突き止めているかもしれないけど、少なくとも俺たちは知らない。

「三階のどこですか?」

知らないということを知らばっくれて栗間さんが聞く。

「パンケーキ屋。すげー有名な。名前覚えてない。そこの前だよ」

「そうですか。お仕事を終わられた後は、どちらにいらっしゃいましたか?」

「家」

「何をしていらっしゃいましたか?」

「ゲーム」

「あなたがご自宅にいらっしゃってゲームをしていたことを証明できる人はいらっしゃいますか」

「いないです」

「そうですか。またお話を聞かせていただくかもしれませんが、本日は、どうぞお帰り下さい」

栗間さんはイスを立つ。俺も慌てて立ち上がる。栗間さんが頭を下げる。俺も慌てて頭を下げる。事情聴取。これだけ?もっと聞かなくちゃいけないことが

「ありがとうございました」

「ありがとうございました」

栗間さんに続けて、俺も言う。栗間さんは振り返る。俺も振り返る。

「お連れして」

「お」

「お連れして」って俺が言うことじゃないと「お」だけで止める。けど、後ろの机で記録係をやってた境さんにはバレバレで、唇の端だけで笑われた。だって、何をどうしたらいいのか、わかんないんですよ!

「ほんと俺って運が悪いんですよ」

俺は向き直った。森山がうなだれたまま、言う。

「俺と同じこと、先輩もやってたんですよ」

先輩?

「先輩がやってたこと、俺もやってただけなのに、俺は、動画なんか撮ってるヤツがいたから、証拠があって、それで逮捕された。俺らより前の先輩たちは、そういうのなかったから、証拠がなくて逮捕されなかっただけですよ。ほんと俺って運が悪い」

「運が悪いって問題か?!」って叫びを喉元に押し込め、胸倉掴みたいのを拳を握り締めてこらえる。こいつ、何にも反省してない。反省していないなら、こいつの性根は腐ったまんまで、でも、泣いてる子どもはかわいそうだと思って、被害女性のことは何にも思わないのか。自分は何にも悪くなくて、ただ運が悪かったって思ってるのか?何なんだよ?俺は訳がわからない。

森山——カミシロは境さんに連れられて取調室を出て行く。

「俺、本当に何にもやってないです」

そう言い残して。

栗間さんはどさっとイスに座り込む。俺も座る。唇を思いっきり噛み締めて喉元に殺到する言葉を飲み込む。何なんですか、あの男。何にも反省してないじゃないですか。泣いてる子どもはかわいそうなのに、被害女性はかわいそうに思わないんですか?おかしくないですか?

「お前、よくないよ」

栗間さんに言われても、唇噛み締めてる俺は何にも返事できない。栗間さんは片肘をつき、手のひらに頭をのせて、俺の顔を覗き込む。

「顔に感情がモロ出しになるの。今、ちょーあいつが憎いだろ」

俺は答えられない。唇を噛み締めたままでいる。

「それは過去の事件に対するお前の個人的感情でしかない」

断言されなくてもわかってます。でも、

「そんなの今の事件の捜査にはジャマなんだよ。『予断よだん』って言ってな。前科者まえだからって目であいつを見るようになる。そんな目じゃ何にも見えないぞ。前科者だからって目で見るな。百人ブチ殺した殺人鬼であってもだ。百一人目の事件だけはシロかもしれない。なのにクロと決めつけて逮捕すれば、冤罪えんざいなんだよ」

一生懸命、叱ってくれる栗間さんに俺は申し訳ない気持ちになって来る。栗間さんは吾妻管理官に俺のこと、何て聞いてるんだろう。吾妻管理官は頃合いを見て、交番勤務に戻してくれるって約束してくれているけど、そのこと、栗間さんは聞いているんだろうか。吾妻管理官が捜査で所轄に来た時、交番勤務の俺なんかに取り調べをさせてくれるために「捜一に呼ぶつもりだから取り調べを見学させる」ってバレバレのウソが本庁に伝わって――吾妻管理官を追い落としたい人たちの口から口へ――吾妻管理官は俺を本庁の捜査一課に配属するしかなかっただけなのに。

「すみません」

そう口先で謝るだけの自分自身に自己嫌悪。ってのも顔に出てるか、俺。ってゆーか、ごちゃごちゃ悩んでないで自分で言えばいいんだ。

「栗間さん、」

ノックの音に俺は口を閉じた。振り返ると、ドアのすき間に首だけ突っ込んだ境さんが言った。

「森山さんがお勤めの清掃会社の社長さんがお話ししたいそうです」

「ん。いいよ。入っていただいて」

境さんは声をひそめた。

甲田こうだ海司かいじ。七十一歳。前は無し。社員は前ばっかりです。甲田さんは保護司をやっていて、率先して前を採用してるそうです。本日のシフトの十一人、うち森山を含め六人が前。前のことは、こっちが聞く前から甲田さんから言い出したそうです。社員名簿もご自分から出してくれたそうで、全員の前を照会中です」

前。前科者か。

「今までの被害者マルガイの発生、発見の店舗の清掃はやっていません」

そこまでもう調べている…ほんと境さんってキレ者だ。聞かれる前に答える、そんなタイプ。

「そうか。——入っていただいて」

「はい」

境さんが首を引っ込め、しばらくして甲田さんを連れて来た。わ。若い。七十一才とは思えなかった。顔にしわはあるけど、何て言うか、しょぼしょぼした感じがない。あ、姿勢がいいからか。小柄だけど、存在感がすごい。濃い眉、ぎょろっとした眼、わし鼻、への字口(ぐち)。栗間さんは立ち上がり、俺も立ち上がる。何でも栗間さんのマネをすればいいと思ってる一年坊を見て、また唇の端だけで境さんが笑った。

「どうぞ」

栗間さんが言っても、甲田さんは取調室の中には入って来なかった。廊下に立ったままで言った。

「捜査には協力します。しかし、あいつを最初はなっから疑うような捜査をしていただきたくない。私が言いたいのはそれだけです」

栗間さんは、ゆるく唇だけで笑った。

「カミシロを信じているんですか?」

「信じるも何も、あいつの無実は私が証明します。あいつは子どもを誘拐していません。あいつが乗った帰りのワゴンを運転したのは私です。子どもなんて乗せていません。ワゴンの中も刑事さんに確認してもらっています」

「捜査にご協力をありがとうございます」

「あなたたち警察は前科者だというだけで色眼鏡で見る。罪を償い、二度と罪を犯すまいと必死に生きている彼ら、彼女たちに世間は冷たすぎる。前科者と知れるだけで、就職もできない、家も借りられない」

甲田さんは正しい。けれど、甲田さんの言葉は俺の胸に入って来ない。「逮捕されたのは運が悪かっただけ」ってカミシロの言葉が通行止めしてしまってる。——刑務所に入って出ただけで罪を償ったって言えるのか。甲田さんはカミシロの本心を知らないのか?

「引き続き、捜査にご協力をお願いします。森山さんは、また署にいらしていただくか、お住まいか、会社にお伺いするかもしれません。その時はよろしくお願いします。今日のところはお帰りいただいて結構です」

甲田さんは栗間さんをじっと見つめ、栗間さんは甲田さんを見返し、甲田さんはぷいっと顔をそむけ、廊下を歩いて行った。境さんが付いて行った。ごしゃごしゃ栗間さんは頭をかいた。

「実はあのジジイが悪のボスで、清掃会社を(かく)(みの)にショッピングセンターで子どもを誘拐しては、前科者どもが殺人パーティを楽しんでいるとかな。送迎のワゴンに子ども押し込むなんてカンタンだろ。従業員出入口に検問があるでなし」

「前科者を疑うなって俺に言っておきながら、栗間さん、そういうこと言うんですか」

「だな」

栗間さんは俺の非難をあっけなく認めてイスに座った。俺は聞いた。

「森山を疑ってるなら、迷子センターに連れて行かなかった理由を聞くだけで、帰していいんですか?」

あえて俺は森山と呼んだ。「カミシロ」という前科者の名前ではなく。栗間さんは俺を見上げる。

「一年坊。誘拐された子が容疑者の家で発見されなかったってことはツーパターンある」

二本、指を立ててみせる。

「誘拐された子は別の場所にいる。容疑者を拘束してその場所を吐かせられなかったら、誘拐された子が干上がっちまうだろ。容疑者は泳がせて、その場所まで案内してもらうんだよ」

「容疑者がその場所へ行かなかったら?」

「それが行かずにはいられないんだな。放火魔が火災現場を見物せずにはいられないのと同じ心理っていうのかな。火つけて、すぐに逃げれば捕んねえのに」

立てた指を一本だけにする。

「もう一つは共犯者がいる。これもまた容疑者は連絡を取らずにはいられないから、俺らは壁に耳つけて障子に目つけてればいいのよ」

森山を帰したけど、監視をつけるってことか。

「しかし、誘拐の足がな。甲田さんが言う通り、甲田さんが共犯じゃなきゃあり得ないだろうよ」

栗間さんは天井を見上げ、ため息を吹き上げた。あ。世が世なら、タバコの煙を吹き上げるところだろう。

「あー、ヤなこと言っていい?」

俺は反射的に両耳を両手で押さえる。

「外になんか連れ出してなかったら?」

両手で両耳押さえてたって聞こえるんだよな。あああああああって大声上げなくちゃ。

「ゴミ処理はどうなってんのかね、あーゆーでっけー店は。差し押さえとくか。燃された後じゃどうにもならねえ」

栗間さんが背負っているバッグを前に持って来てスマホを出す。ゴミの中。俺は必死に想像しないようにする。電話をかけた栗間さんは、すっとんきょーな声を上げた。

「ゴミ。もう捜索してる?境が?指示?そうですか。うん。よろしく」

電話を切った栗間さんは手足を投げ出し、イスの上、伸びた。俺をうらめしそうな目で見る。

「境くんがゴミの捜索を指示済ですって。——あいつの好きな言葉、教えたげよっか?」

栗間さんは背筋を伸ばし、メガネを押し上げる仕草をしてみせる。

「『もうやりました』」

……マジで言いそう。栗間さんはイスの上でジタバタする。

「あいつ、絶ッぜってえ~森山の監視行ったよ。もおおお俺なんかより班長向いてんのに、責任は負わずに、いっっっつも美味しいとこだけ持って行きやがってええええ!」

境さん、栗間班のNo.2。じゃなくて、栗間班の裏班長。


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