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ハーメルン  作者: 切羽未依
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二月十六日(水)二十一時から二十三時まで

二月十六日(水)二十一時


光希こうきくんは森山さんが開けた扉の向こうにピンクのウサギを見たんだ。赤い風船が欲しかった光希くんは扉に向かって歩いて行く。入口の広場でピンクのウサギに赤い風船をもらった時みたく、よちよち歩いて行く。

俺は何もかも最初から見ていたんだ。見ていたのに、見えていなかった。

「俺、ナイスアシストだったろ~、境~」

森山さんと甲田さんと奥様にお礼を言って家を出るなり、栗間さんが境さんの肩に腕をかける。

「お前のスマホ鳴らして」

境さんのスマホ鳴らしたの、栗間さんだったのか。

「お前がスマホなんか鳴らさなくても自分でどうにかできた」

ばしっと境さんは情け容赦なく栗間さんの腕を振り払う。

「また~そんなこと言って~」

コインパーキングに停めた覆面パトカーに戻ると、ヘッドライト、チカチカでロックを解除した境さんは俺に運転席を指差した。俺は運転席に乗り込む。境さんと栗間さんは後部座席に乗り込む。車のロックを解除しただけで、境さんはエンジンを始動していない。俺は後部座席を振り返る。

「境さん、キーいただけますか。ショッピングモールに戻ります。ピンクのウサギは当日、入口の広場で風船を配っていたウサギです」

自分で言って笑いそうになった。すっかりメルヘンの世界の登場人物だ、俺たち。ピンクのウサギを追ってる。境さんはキーをくれなかった。

「ううん。待って。最短ルート探すから」

「最短ルートって、とにかく車出して」

「とにかく待って」

俺は口をつぐむ。一刻も早く確かめなくちゃならないのに

「栗間、てめ、W署の誰か、電話知ってんだろ?」

「あー、はいはい」

「ショッピングモールにパシらせて」

「お前ねえ、言葉がいちいち乱暴だよ。人に物を頼む態度じゃないよ」

って言いながら栗間さんはスマホで電話をかけ始める。

「あ~、オレオレ、栗間です。トガミさんでいらっしゃいますでしょうか」

W署の戸上とがみさんに電話をしてる?いつスマホの番号を聞いたんだ。戸上さんにショッピングモールに確認をお願いする。栗間さんが電話を切って、あー、待ってるより車出した方が早いとか思ってしまう俺。現実にここから車出して確認に行くより、戸上さんが確認してくれた方がずっと早いんだけど。俺、そんなせっかちな方じゃないのにな。

「刑事ドラマみたく~~~」

栗間さんが緊迫感0(ゼロ)の、間延びした声で言う。

「パトに乗り込んだ。次のシーン、ショッピングモール。犯人の身元判明。はい、次のシーン、身元がわかっただけで、な~んでか犯人の現地もわかって、パトで到着。CM明け、犯人が自分に近付いて来る人たちをな~んでか刑事と気付いて、逃走!犯人とアクションシーンありつつの~逮捕!とはいかね~んだよ、一年坊。リアルには距離と時間があるんだかんね」

「それはわかってますけど」

あせってるんだ、俺。

気づいて、気持ちが途端に落ち着いた。境さんはいちいち正しい。キーなんか渡されてたら考えなしに暴走してた。境さんが言った「最短ルート」の意味もわかった。ショッピングモールまでの最短ルートじゃない。犯人マルヒまでの最短ルートだ。俺は謝った。

「すみません」

「わかれば、よ~し」

栗間さんは頭の後ろで手を組み、肘が境さんの頭に当たった!境さんがにらみつけると、ますます栗間さんは肘を押し付ける。何やってんですか、先輩方。じゃれあいを眺めているのもいたたまれないので、俺は向き直り、シートにもたれる。それでも、やっぱりこうしてじっとしていると、じりじりする。栗間さんの電話が鳴った。俺は後部座席を振り返る。風船を配っていたピンクのウサギはイベント会社に依頼したもので、当日の入退店記録にはイベント会社の名前と氏名だけが直筆で残されていた。

矢内未来。

読みは不明。実際に顔を合わせている守衛や広報担当者にも聞き込みをしてくれたが、日曜日の――たった三日前に見たピンクのウサギの、いわゆる中の人の顔の特徴を全く覚えていなかった。性別も不明。「男性だったんじゃないですか」「男性だったと思います」というあいまいな証言しかとれなかった。車は店を出る時に商品の盗難防止のためにチェックされるが、車内やトランクを目視するだけだった。ウサギの着ぐるみを置いた下に、ちっちゃな体を隠すことくらいカンタンだ。氏名を照会したが犯歴は、なし。従業員出入口の監視カメラの映像の再チェックをして、何かわかったら連絡しますと戸上さんは言ってくれた。ありがとうございます。

イベント会社を境さんがタブレットでググって、会社が新宿だとわかると、栗間さんが片手を上げた。境さんも、いやいやな感じで手を上げる。その境さんの手に栗間さんはパチン!と手を合わせた。まさか、ハイタッチ?

「俺たち新宿生まれ新宿育ち」

そして栗間さんがラップ。

「ウソつけ。東久留米市生まれが」

「東京区民は東京市民、差別するよなあ。同じ東京都民じゃないかあ」

って言いながら、栗間さんが電話をかける。境さんが説明してくれた。

「俺たち、新宿署上がりなんだよ」

あ、死体がゴロゴロ出る所管区って、つまり。栗間さんが電話の向こうの新宿署のアマギさんって人にイベント会社の住所を伝えて、切る。

「年貢の納め時ってこーゆーことを言うんだねえ。俺らの所管区シマに会社があるなんて。これで犯人のヤサも新宿なら、俺たちここで何(な~ん)にもやることない」

「アマギさんなら、ぼくら、借りありまくりだから、どんだけ手柄てがら持って行かれても、どうぞどうぞって感じだけど。ごめんね、新人くん」

「あ、いや、ゼンゼン」

ゼンゼン俺、さっきから何にもしてない。栗間さんの電話が鳴ると境さんが取り上げて、出た。

「オレオレ、境です」

ずっと気になってるんですけど、「もしもし」の代わりに「オレオレ」言うのは、特殊詐欺の啓発活動なのでしょうか。

「どうも、アマギさん、お久しぶりです。ああ。はは、そうですね、付いて歩いてます。今、どちら?早いな~。被疑者マルヒの氏名言いますよ、弓矢の『矢』、内外うちそとの『内』、名前は過去未来の『未来』です。氏名の読みは不明。性別も不明です。即刻、現住所調べて下さい。お願いします。え?まさか~。調べてもらいたいことは他にもありますけど。それは後のお楽しみで。はいはい、よろしくお願いします」

それだけで電話を切った。もっといろんなこと聞くんだと思った。住所だけなんて

境さんにキーを差し出された。俺は受け取る。

「現住所がわかったら動きます」

「は、はい」

「運転はお任せします。ナビ準備して」

「はい」

エンジン始動して、ナビにいつでも入力できるように前のめりで人差し指立てる俺に、境さんがウケる。

「その前にパトランプ出して、パーキング出ようか。パトランプ回して、サイレン鳴らして、パーキングの支払いに手間取ってる覆面パト、マジウケる」

ツボったらしく境さんの笑いが止まらない。俺は人差し指を下ろして、窓を開けてパトランプ出して、覆面パトカーを発進させて、駐車料金って自分で払うんですか?領収書はどこに出せばいいんですか?

「金、俺、払うよ。寄せて」

栗間さんに言われた。

「ちゃんと駐車券取ってサイフに入れとけよ!どっかにやっちゃって総務に払ってもらえなくて、俺にたかるんじゃねえよ」

「はいはいはいはい」

怒鳴る境さんにテキトーに返事をする栗間さん。一年坊の新人くんは自分で払えばよかったと後悔する。コインパーキングを出て、どっちへ行こうか、境さんに聞こうかと迷っていると、電話が来て、境さんが出る。住所を言い始める。世田谷区。新宿区ではなかった。ナビに入力して場所を確認すると、パトランプ点けてサイレン鳴らして走り出す。初めてで、すみません、とてもドキドキしています。

「矢内未来。ヤナイ・ミライ。男性。二十七歳。すでに本日の業務は終了していて、在宅と思われる」

境さんが言った。次に境さんは電話の向こうの新宿署の刑事、アマギさん?に日付を並べる。

「調べてもらいたい日付言いますよ、全部で六日です。十月十日・日曜日、あ、去年です。十月十日・日曜日、十月十二日・火曜日、十二月二十六日・日曜日、十二月二十七日・月曜日、次は今年です、二月十三日・日曜日、二月十四日・月曜日。この日の被疑者マルヒの業務を調べて下さい。よろしくお願いします。あと、毛皮の付いたフードの黒いコートを着ていないか。はい。お願いします」

誘拐された日と遺棄された日だ。その日付に矢内が現場で業務をしていたなら、

「高速乗っちゃって。この時間なら高速の方が速い」

境さんに言われる。

「でも、この時間、渋滞してるんじゃ」

「何のためにパトランプ回してサイレン鳴らしてるんですか?」

高速に乗ると、夢の路肩走行を命じられた。確かにこれなら一般道走るよりずっと速い。栗間さんのスマホが鳴り、境さんが出る。誘拐された日には現場になった商業施設で矢内は業務をしていた。遺棄の日は休日だった。

「ビンゴ!」

栗間さんが叫ぶ。毛皮の付いたフードの黒いコートは「着ていたかもしれない」程度だった。

「オレオレ、栗間です。吾妻管理官、被疑者、うちの一年坊が見つけました」

栗間さんが電話で話し始める。え?まだ境さんはアマギさん?と話していて、それって栗間さんのスマホ、使ってるんじゃ?――栗間さんは境さんのスマホで話してるのか。事態はフクザツだ。栗間さんが被疑者の情報を吾妻管理官に伝える。

「新宿署のアマギ巡査長が被疑者の勤務先のイベント会社に今、います」

「アマギさんの電話番号言うよ~。吾妻管理官にアマギさんと直接、はなししてもらって」

「吾妻管理官、アマギさんの電話番号言います。直接お話、していただけますか?」

「アマギさん、本店の吾妻管理官からお電話行きますので、お願いします。こちらから、また確認してもらいたいことがあったら連絡します。待機でお願いします。あはは。ええ。家宅捜索ガサでお会いしましょう」

俺は運転しているだけで、栗間さんと境さんがどんどん進めて行く。俺じゃ何にもできない。わっ。後ろから白い手が伸びて来た。後部座席から境さんが身を乗り出して、カーステレオをつける。ここでBGMですか。と思ったら、無線だった。この時間だとやっぱり交通事故の情報が多いな。スマホが鳴った。

「オレオレ、栗間です。戸上さん、ビンゴ!です。うちののっぽが、やりやがりました」

のっぽがあだ名になったらヤだなあ。背が高いのはそれはそれでコンプレックスがあるんです。

「はい!ええ、ええ、ありがとうございます。ああ、そうですね。後で。ええ、ごめんなさい。他と話してて。イベント会社の方。ええ。確認とれました。戸上さんたちのおかげですよ。そっちは………ああ、そうですか。わかりました。ありがとうございます。ううん。ほんとありがとうございます。ええ。よろしくお願いします」

栗間さんが電話を切った。

「ショッピングモールの監視カメラの映像の方は、出入りする人も車も多くて、矢内の顔と車両は特定できそうもないそうだ」

「矢内の現住所に行って、それから次を考えましょう」

「はい」

俺は声に出して答えた。自分に言い聞かせる。俺の今の仕事は矢内の現住所までパトカーを運転すること。それだけだ。



二月十六日(水)二十三時


無線で『幼児連続誘拐殺害事件』の参考人・矢内未来の情報が伝えられた。

「キターーーーーーー!」

「吾妻管理官が決断しましたか」

栗間さんと境さんの声が交じり合う。境さんが言う。

「参考人ということは任意同行にんどうで事情聴取してる間に、家とイベント会社の家宅捜索令状ガサフダ、取るつもりなんでしょうね。――高速下りたら、サイレン止めて、パトランプしまって」

「はい」

と答えたものの、境さんに言われなかったら、下りるインター過ぎるところだった。

「サイレン鳴らしてパトランプ回して逮捕に行くなんて、警察が捕まえに来ましたよ~って拡声器で犯人に知らせてるようなものですから」

「はい」

本部から、服飾系の職業に就いたことがないか、もしくは学校を卒業していないか、確認の指示が出る。女性の声。――吾妻管理官の声ではない。三波さんの声のような気がするのは、気のせいではないような気がしなくもない。しばらくして、専門学校のデザイナーズコースを卒業していると応答が入る。

「本部了解。私は正しい!」

三波さん、無線のボタン握ったまんまだよ。絶ッ対、本当の本部からじゃなくて、どっかから無線に割り込んでるでしょ……

「何だ?今の?」

境さんが驚愕している。これはマングース境VSスネーク三波の、境さん初ダウンか!じゃなくて。俺は言った。

「多分、三波さんだと思います。俺らの所に来た時に、犯人は自分で着ぐるみを作っているって言っていたので。タグがないのはそのせいだと」

「く~り~ま~、てめ、そういうこと聞いたなら、俺に言っとけよ」

なぜか怒りの矛先が栗間さんに。

「え。毒あんまん食わせてパシらせた一年坊から聞かなかったの?」

結局、その矛は俺に飛んで来たよ。ぐっさり。

「すみません…」

最終的にどうして俺が謝らなきゃいけないのか、全くわからない。

――「私は正しい」か。三波さんは自分の見立てが合ってて大喜びだ。俺は、自分の思いつきでしかないことがこんなに大きくなってしまって本当はどうしようと思ってる。矢内がたまたま現場に居合わせただけだったら?たまたま休みの日ってだけだったら?

「けど、そっかあ。自分で作ってんなら、妙に犯行の間隔が空くのが不思議だったんだ。着ぐるみの製作期間だったんだな」

境さんは納得する。

「連続殺人犯はマイルールに忠実なんです。この被疑者は日曜日にしか子どもを連れて行かない。休みの日に子どもを捨てる。これはカンタンなパターンですが。無秩序に見えるようでも必ずマイルールがあるんです」

「一年坊、堺先生が大事なことを言ってるぞ~。メモっとけ~」

栗間さんが言う。大事なことだっていうことはわかってますけど、ハンドル握っているのでメモとれません。

「君に手錠わっぱかけさせてあげたかったな」

境さんが言ってくれる。

「いやいや、そんな」

「あ、君、渋滞してたら、おとなしくETCの車列に並ばないで。こういう時は緊急車両用のゲートをスルーしていいんですよ」

「あっ、すみません」

俺はハンドルを切る。料金所でキョドってる覆面パト、SNSに動画を上げられたら、逮捕してやる。運転中のスマートフォン等の操作は法律で禁じられています。高速道路を降りると、俺はウィンカー出してハザード点けて路肩に停車して、サイレンを切り、パトランプをしまってたら、境さんに声を上げて笑われた。

「君、片手運転できないんですか?」

「できますけどっ。運転しながら外して、パトランプ落としたら大変じゃないですか」

「後で特訓」

冗談じゃなく、本当にやらされると思う。俺は前後左右を確認して、ハザード消して、ウィンカー出して、前後左右確認して発進する。

「現場に急行してるパトカーと思われない安全運転」

境さんが俺の運転がツボったらしく笑う。無線が入る。所轄が矢内の現住所を包囲、在宅の母親を退去させたという報告だった。親と同居か。父親は?――俺は安全運転に集中する。ナビが指示する住宅街の道に入って、パトカー、覆面パトカーがごちゃごちゃ停まっている空き地があった。とにかく頭を突っ込んで道にはみ出さないように停めた。ちゃんと誘導して停めたら、もっと停められるのに。俺の中の交番勤務の血が騒ぐ。運転席と助手席の間から境さんがタブレットを突き出した。

「矢内の顔です」

受け取って、見る。多分、履歴書の写真っぽい。スーツ姿。髪型は、無視する。髪型は変わっているかもしれない。少し細めの目。鼻は高い感じ。唇は薄く平たい。面長。細いあご。森山みたいにイケメンでもない、でもブサイクって訳でもない。

「ありがとうございます」

境さんにタブレットをお返しする。

「所在確認の情報が流れていません。そこらへんを歩いてるかもしれない」

「はい」

俺はうなずく。

「携帯無線、二つしかないですね。栗間、お前要らないね?あ、そう。要らない。わかった」

「何その自作自演」

境さんと栗間さんの会話に俺は少し笑った。この二人はこうやって、いくつも臨場りんじょうして来たんだろうなと思う。境さんから携帯無線を受け取り、着ける。飛び交う声とノイズが耳に殺到する。これを聞き分けつつ、周りの音や声も聞くって俺は聖徳太子か!って思った警察官になったばっかりの頃を思い出す。もう慣れた。車を降りて三人で歩いて行くと、あっちが明るいと思ったら、道を塞いで集まってるやじ馬が両手で掲げているスマホの明かりだった。

「何やってんだよ、所轄」

境さんが吐き捨てる。こんな現場を見ただけでとんでもなく機嫌が悪い。俺は交番勤務の血が騒いで、やじ馬を整理したくて、うずうずする。警笛けいてきと規制線の黄色テープと真っ赤な誘導灯がこの手にあれば!現場到着げんちゃく一番、被害者聴取、目撃者確保、規制線張って現場保存、やじ馬整理、以上カンペキにできるとアガるよなあ……でも、こんな状況じゃ被疑者マルヒにも警察が来ていること知られてるだろ、絶ッ対。所在確認できてないって、まさかもう逃げられてるんじゃ

「何か見える?」

俺の身長を有効活用しようと栗間さんが聞いてきたけど、こんなにやじ馬が両手上げてたら

「何も見えないです」

「現場、包囲したのはやじ馬か?」

境さんの不機嫌メーターが上がって行く。被疑者マルヒ、どうなってるんだろう。栗間さんが突撃を試みたが、後からやって来たやじ馬が割り込んで来たと思われて、すぐに押し返される。いきなり境さんが回れ右した。ぼく、もう帰る。とか言わないで下さい。

「境さん」

「道はここだけじゃないでしょう。回り込む」

「はい」

境さんはタブレットを出し、周辺地図を表示する。

「こんなで被疑者取り逃がしたら、」

言葉を途切れさせた境さんの目がきらーんと光る。ウソウソ。進入して来た車のヘッドライトの光が境さんの目に入っただけ。車見るとナンバー・車種・色をとっさに覚えちゃうのって職業病だよなあ。ヤバイ。道に人が詰まっちゃってるの、見えてないのかな。Uターンさせる道幅もない。どんどん光が大きくなって来る。目がくらむ。ざわっと胸騒ぎがする。暴走車とかじゃないよな。こんな所に車が突っ込んだら――俺は声を張り上げた。

「車通りまーす!道開けて!開けて!開けて!」

「車通るよ~!開けて!開けて!開けて!」

栗間さんも声を上げてくれた。スマホ掲げた人たちが振り返り、モーゼの海みたいに割れる。え、そこが規制線かよ!車通れないじゃん。ビュッと完全にヤバいスピードでワゴン車が通り過ぎた。規制線を突っ切り、黄色いテープを引きずって、交差する道路を突っ切り、道路の向こう、制服・私服の警察官の中へ突っ込んで行った。頭が真っ白になる。——あっちはどうでもいい。俺は自分の周囲を見回す。

「ケガしてる人、いませんか!ケガしてる人が周りにいませんか!」

やじ馬に負傷者がいないか確認する。道の両脇にけて悲鳴も上げられずに口をぽかんと開けたビックリ顔のやじ馬の中にタブレット抱えてる境さんがいて、こんな状況だけど、ちょっとウケる。だいじょうぶ。ケガしてるっぽい人はいない。うわ、やじ馬、復活早はやっ。もうワゴン車に突っ込まれた道路の向こうの現場げんじょうをスマホで撮ってるよ。受傷している警察官、救護している警察官を撮って何が楽しいの?一瞬、ワゴン車を通した俺のせいだという気持ちがよぎる。でもでも、停めようとしても停まらなかったと思うし、通さなかったら今、ここでスマホを両手で掲げているヤツらが、向こうの現場げんじょうと同じになってたと思うし!俺は腕を掴まれる。栗間さんは俺を引きずるようにやじ馬の中を突っ切り、交差する道路を、俺は引きずられながら車が来ないか左右確認しているうちに交差する道路を突っ切ってた。俺らの後を境さんがついて走って来る。

「あっちにケガ人は?!」

自分たちがケガしているのに警察官の誰かが叫ぶ。

「ケガ人はいないようです!」

俺は叫び返すことしかできなかった。携帯無線から救急車の要請や受傷者の状況を報告する声が耳にあふれる。ごめんなさい。ごめんなさい。俺のせいです。走って行くと、何だか同じ所をぐるぐる回ってる錯覚を覚えるような、同じデザインの一戸建て住宅が並んでいる。住宅に明かりはともっているけど、道に人影はない。住民に退避はさせてなくて、屋内待機か。それとも何にも言って回ってないのか。あ、人がいる。十人くらい?俺たちに気づいて、何人かが大きく腕を突き出して「来ないで下さい」ってジェスチャー。止まらず走って行って、俺たちが警察手帳を見せると、ちっと舌打ちされた。所轄の刑事かな?と思ってしまう。所轄の刑事は態度が悪い。という思い込みが俺の中に。っていうより、本店の刑事が嫌われてるのか。制服の警察官はいなくて私服の刑事だけだ。規制線の黄色テープが付いたままのワゴン車が停まっている住宅の前。表札を見る。

『矢内』

見ると、二階の窓だけ明かりが点いている。

「被疑者が警察官に突っ込んだって、見ましたか?」

刑事の一人に聞かれて、俺は答える。

「受傷者は多数いますが、重傷者はいないと思います。あくまでも自分が見た限りですが」

「そうですか…」

ほっと息をつく。仲間だもんな。すみません。俺がワゴン車を通したばっかりに……あそこでワゴン車を停めていたらこんな事態になってなかった。でもでも、あれはカンペキにやじ馬をはね飛ばす気で突っ込んで来てた。

「すんません。状況、教えてもらえます?」

栗間さんが小さく手を上げてお願いした。

「本部の指示を待っているところです」

おいおいおい。という栗間さんと境さんの心の中のツッコミ二重奏が俺には聞こえた。被疑者が目の前にいるのに?って思うけど、現実は刑事ドラマみたいに、犯人を発見・即、手錠をかけて逮捕することはできない。あっちゃいけないことだけど、犯人が警察官の前で被害者を殺したとか、今まさに被害者を殺そうとしているとか、犯人の犯行が明らかな時は現行犯逮捕できるけど、今の状況、あくまでも「犯行の疑いがある」って状態では逮捕なんかできない。境さんが行ってたように、任意同行を求めることしかできないだろう。任意だから矢内が同行を拒否すれば、今日できることはもうない。何にしても現場の判断では動けない。事件は現場で起きているけれど、事件は会議室で決定される。

できることもなく俺は規制線の黄色いテープが付いたままのワゴン車を眺める。ナンバー・車種・色。イベント会社の名前が入っている。社用車だ。俺がこのワゴン車を通さなかったら、規制線張ってた警察官が受傷することも……もう、考えるのやめよう。

「社用車で事故なら会社にもガサ入れられるな…」

栗間さんが不穏なことをつぶやいている。

「少なくとも暴走事故の現行犯逮捕げんたいできますよね?」

栗間さんが聞いた。答える人はいない。けど、メンタル強い栗間さんは完無視かんむしの中、言った。

「んじゃまあ、サクッと現行犯逮捕げんたいしちゃいましょう」

「え?」と俺は声を上げかけて口を両手で押さえた。

手錠わっぱかけさせてやるぞ~」

栗間さんは俺の胸を拳の甲で軽く叩く。俺はぶんぶん首を横に振り、口を押さえた両手の下でむぐむぐ言う。

「そんなムリなこと」

「子どもを監禁しているかもしれない状況で長期化させるのは得策ではありません。周辺住民の安全の確保、何よりただでさえ、やじ馬があれだけ集まっていて、マスコミが殺到するのも時間の問題でしょう。一連の被害者マルガイの状況から被疑者が殺傷能力の高い凶器等は所持していないと推察できます。荒事あらごとにはならないと思います」

いつの間にか監察医の先生との電話を終わらせていた境さんが冷静な声で紙に書いた文章を読むようにすらすら言う。監禁って、境さん、そんなのないってわかってますよね?

「本部に確認してから」

さすがにこれは責任問題だと思って言いかけた刑事に

「子どもが助けを求める声を聞いて、同じことが言えるか?」

栗間さんが言う。監禁なんてしていないってわかってて助けを求める声が聞こえたら、それは幻聴です。と俺は心の中でツッコむ。連続殺人犯はマイルールに忠実だって言ってましたよね?境さん。日曜日にしか子どもを連れ去らない。休みの日に遺棄するって。どこからか声が上がった。

「人質はいません。矢内の母親を退去させた時に室内を確認しました」

「台所の床下に貯蔵庫はあった?タンスの引き出しは見た?収納ボックスの中は?スーツケースとかキャリーバックとかはなかった?小さな子どもなんです。そんな場所にもすっぽり収まってしまうでしょう」

……答える声はない。フツーレベルで境さんのへりくつに勝てる訳ねえよ。ピュアリーバリキャリ姫くらいのレベルがなきゃな。俺は口を押さえていた両手を下げた。先輩について行きます。栗間さんと境さんはいつも斜め掛けにしているそれぞれのバッグを所轄の刑事に預かってもらう。

「ごめんなさい。誰か携帯無線、貸していただけませんか。足りてなくて」

境さんが言うと、さっきの、俺にワゴン車が警察官に突っ込んだ状況を聞いて来た刑事さんが貸してくれた。仲間の容体が心配だと思うのに。すみません。ありがとうございます。俺は頭を下げる。境さんは栗間さんに携帯無線を着ける。着け終わると栗間さんは境さんに拳を突き出した。マジですか~。そんなクサイことを。境さんは無視した。やっぱり。俺は栗間さんから拳を突き出される前に目を逸らした。境さんが何事もなかった顔で無線番号を指定した。本部に聞こえないようにするためだ。俺は自分の携帯無線を設定する。境さんが俺の前に来た。

「新人くん、練習しようか。リピートアフターミー『危険運転致傷の疑いで現行犯逮捕します』」

境さんの言った通りに俺は繰り返した。

「『危険運転致傷の疑いで現行犯逮捕します』」

「って言ってから~手錠をかけて~」

境さんは腕時計を見る。

「時計見て、にち時間を言ってね。できるかな~?」

俺も腕時計を見るふりをする。

「時計を見て日にち時間を言う」

「はい。よくできました。手錠は忘れずに持ったかな?」

「持ってます…」

お尻に手をやりかけて、コートの胸のボタンをひとつ外して、スーツの内ポケットの手錠を確かめる。制服だと後ろに着けたバッグに入っているから。周りが笑いを必死にこらえている。むしろ笑ってくれ!栗間さんが俺の肩を叩き、歩き出す。境さんと俺は後に続く。栗間さんが門を開け、小さな階段を上がって、玄関のドアのレバーを手袋をはめた手で押し下げて引く。開いた。カギ、かかってない。細く開けたドアから栗間さんが滑り込む。境さんが後に続くかと思ったら、動かず、背中に俺は当たってしまった。

「すみません」

って謝ったけど、境さんは何も言わず、振り向かない。えげつない。と思ってしまう。栗間さんの安全確認を待っているんだ。逆に言うと、ここで栗間さんが被疑者の返り討ちに遭えば、ここで突入は中止。犠牲者は一人で済む。こんなやり方ないですよ。この二人じゃなきゃできない。

「栗間。一階には誰もいません。二階の被疑者マルタイと子ども(マルヒ)を確認します。以上」

「境。了解。こちらも入ります。以上」

境さんがドアを細く開け、滑り込む。後に俺は続く。お。土足で上がっちゃうんですね。おジャマします。玄関上がってすぐの階段を上って行く。境さん、ほんと足音がしない。どんなに注意しても俺の足は軋む音を立てちゃってる。境さんが階段を上がりきる寸前で立ち止まる。俺はまた背中に当たる。「すみません」という言葉を飲み込む。突然、ボフッという音が聞こえて、俺は境さんの背中を押しのけて行こうとして境さんに止められたけど、押し勝った。二階の部屋――ドアは開け放たれている。寝室。誰もいない。物置。誰もいない、と思う。奥の部屋。ミシンが見えた、学習机の上。栗間さんがベッドに男を押しつけて、背中にひねった両腕をキメていた。

「荒事なんかそいつに任せておけばいいんですよ」

のんびり言いながら境さんが部屋に入って来る。階段を上がりきる寸前で立ち止まったのはそういうことですか。栗間さんがベッドに押し付けた男に確認する。

矢内やない未来みらいだな」

「そうです。痛いですよ。抵抗なんてしませんから離して下さい」

と言われても栗間さんは離さず、俺を見る。スーツの内ポケットから手錠を出し、境さんと練習した通りに言った。

「危険運転致傷の疑いで現行犯逮捕します」

栗間さんが背中に押さえつけている両手に手錠をかけ――この手が三人も殺したのかと思う。――時計を見る。

「二月十六日、二十三時三分」

実感がなかった。連続誘拐殺人犯をこの手で捕まえたのに、やった!とかそんな気持ちにならなくて、ただ

「危険運転?」

栗間さんに引き起こされて立たされた矢内が俺を不思議そうに見上げる。境さんが説明した。

「君、暴走して人はねたでしょ」

「え。交通ルール守ってなかったのはあいつらじゃないですか。道いっぱいに広がって。俺は制限速度も守ってました。警察の人たちは、ひくつもりなかったんですよ。でも車、止まんなくて。ごめんなさい」

俺たちに頭を下げた。顔を上げる。

「土足で踏み込んだんですか。ピンポン鳴らしてくれたら出たのに」

矢内は窓の方を見る。俺たちはその視線の先を見る。外は真っ暗で窓が鏡のように俺たちを映す。刑事でか三人と被疑者。窓に映った壁。俺は振り返る。壁のハンガー掛けに毛皮の付いたフードの黒いコートがあった。フツーに着ていたのか。犯人だって証拠になるのに。

「さっきもですよ。車出て待ってたのに、刑事さん、誰も来てくれなくて。俺を見てるだけで。仕方ないから家に入ったんです」

矢内は下を向く。俺たちは下を見る。矢内の水色の靴下。栗間さんの履き古した運動靴。境さんのピカピカの革靴。俺の少し白っぽくなった革靴。

「いつでも入って来れるようにカギは開けときましたけど、まさかな、土足で上がるなんて考えもしなかったです。いいんですか?現場、土足で踏み荒らしちゃって」

やっぱり頭がおかしいのかな、この人。そうだよな。そうじゃなきゃ、あんなことできない。

「どうして、こんなことしたんですか?」

俺は聞いた。

「ここで話すな。調書に書けねえ」

栗間さんに止められた。俺は口をつぐむ。そうだ。その通りだ。ドラマで、よく断崖絶壁で犯人が自白するけど何の証拠能力もなくて「あれは『自白』ですらない。あの後、取調室に連れて行って被疑者が『私はやってません』って言ったら、チャラですから」って警察学校で習った。俺を見上げて矢内が答えた。

「かわいそうだから」

「話は署で伺います」

境さんが言う。けれど、矢内はやめなかった。俺の目を真っすぐに見つめる。

「生きていてもいいことなんかないから。かわいそうだから、俺が終わらせてあげたんです」

「ざっけんな!お前にあの子たちの未来を奪う権利なんかねえだろ!」

栗間さんが叫ぶ。境さんが止める。

「栗間やめろ」

矢内は栗間さんを見る。

「あの子たちの未来を刑事さんは知ってるんですか?」

栗間さんは口の端を噛み、答えない。境さんに止められたから答えないのか、それとも答えられないのか、どっちだろう?と思う。

「確率的に言っても、絶対、悪いことが起きる確率の方が高くないですか?だって大金持ちなんてほんの少ししかいない。アイドルとか、有名人とか、なれるのもごく少数じゃないですか。それで成功できるのも。刑事さんは夢を叶えたんでしょうから『そんなことない』って言うかもしれないですけど。世の中の大多数は自分がやりたくもないことを毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日」

矢内の「毎日」は延々続いて、ひとつ息をつくと、言った。

「毎日、やって生きているんですよ。それが生きるってことなんです。俺はそれを終わらせたんです。もう悲しいことも苦しいこともつらいこともいやなこともないんですよ。よくないですか?」

光希くんは、この男に救われたのか?と俺は思う。あのままだったら光希くんは父親の暴力と母親のネグレクトで虐待死していたかもしれない。「虐待死」とか言うな。光希くんは父親と母親に殺されていた。もう痛くもない、ひもじくもない、天国に行って――この男にツバメの姿をもらったから、ビューンって天国に飛んで行って、今はしあわせに暮らしているのか。ハッピーエンドな、おとぎ話の結末だ。光希くんは天国で末永く幸せに暮らしました。

「刑事さんにはわかんないか。夢を叶えた人には」

矢内が俺を見上げる。俺はわかる。生きていてもいいことなんかない。俺の場合、生まれた瞬間、いや生まれる前から。俺は公園の公衆トイレに産み捨てられた。施設で育って、そこはいい所だったけど、十八才になれば出て行かなきゃならない。大人になるのがイヤだった。お誕生日おめでとうなんて思ったことがない。ムダに伸びて行く背もイヤでしようがなかった。一日一日は一人ぼっちで生きて行かなきゃならない日までのカウントダウンだ。生きていれば生きていくほど不幸になってゆく。俺は今、犯人と同じ目をしている。そう思った。



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