おとぎ話へ消えてゆく子どもたち
ムダに高身長、いやに子ども好き、刑事になりたくない交番勤務に戻りたくて仕方ない警察官が、刑事になってしまった最初の事件
二月十三日(日)十九時
ピンクのウサギが差し出す赤い風船をよちよち歩いて行って受け取る。振り返り、よちよち歩いて行って、お母さんに、もらったばかりの赤い風船を見せる。水色のセーターには赤い電車のアップリケ。のデニムのズボン。黒い靴。俺は手を上げ、声を上げる。
「発見しました。光希くん」
防犯カメラの映像をリモコンで一時停止して、表示されている時間と防犯カメラの番号を読む。
「時間、十一時五分十七秒。防犯カメラの番号、1F001です」
「十一時五分。1F001」
俺が言ったことを記録係が復唱して、しばらく間があった。
「1F001。入口の広場。――時間、もう一度お願いします」
たくさんある防犯カメラの番号と設置場所を照合しているうちに、聞いた時間、忘れちゃうよなと思いながら、もう一度言う。
「十一時五分です」
記録係が壁に張り出した拡大コピーしたショッピングセンターのフロアマップに時間を書き込む。1F、2F、3F、三面の壁に張り出されたフロアマップには、すでにあちこち時間が書き込まれている。本日二月十三日・日曜日、十五時に捜索願が出された鹿川光希くん・三歳二カ月のショッピングモール内での足取りを防犯カメラの映像から追っていた。今時の刑事は聞き込みより防犯カメラの映像チェックが主で、新しく買いに行ったら靴屋さんに刑事になるお祝いにっていただいてしまった革靴はピカピカなままだ。モニターに目を戻し、一時停止を解除して映像を早戻しする。新しい革靴よりも目薬が必要だったかもしれない。おしりが歩いてるみたいな、よちよち歩きの後ろ姿に俺は胸の底から焼き付くような怒りが込み上げるのを感じた。いかんいかん。これは仕事だ。個人的な感情はしまっといて、もう一度、早戻し、光希くんの周り、不審人物を探す。って言ってもな、日曜日のお昼前のショッピングモール、家族連れや、友だち連れの中学生、高校生、こっちはデートか? 幸せを絵に描いたような風景があるだけだ。お母さんに赤い風船を差し出す光希くんは不鮮明な防犯カメラの映像でも笑顔いっぱいなのがわかる。ぽちゃぽちゃした丸顔が笑うと、可愛さマシマシだよなあ。ちっと舌打ちが聞こえた。
「しくったな」
「しくじった」を若者言葉で隣の席の栗間さんがつぶやいた。
「十一時五分に入って、十一時十七分からフードコートでメシ食って十二時七分に出て、それからあっちこっちウロウロ、気付いたら子どもがいなくてお母さんが迷子センターにやって来たのが十三時三四七分」
頭の後ろで手を組んだ栗間さんはフロアマップに書き込まれた時間をぐるりと首を巡らせて眺める。他人の仕事の成果を眺めてないで、ちゃんと映像チェックして下さい、先輩。さっきまでスマホいじってたの、俺、横目に見えてましたよっ。警視庁刑事部捜査一課に配属されてしまった俺の教育係。年齢は四十過ぎくらい、だと思う。日焼けなのか、地黒なのか、まさか肝臓が悪いのか、黒っぽい肌。寝ぐせなのか、くせっ毛なのか、無造作ヘアーなのか、くしゃくしゃの髪。日が当たると、きらきら目につくほどの白髪がちらほら。背は、百七十ちょっと。オシャレっぽい?殴り書きの英語がプリントされたトレーナーにダメージのジーンズ。警察手帳やスマホを入れるための、何て言うんだっけ、斜め掛けにするちっちゃいバッグ。まあ、所轄はラフな格好をしてる刑事も多いから、ここでは目立たないけれど、スーツばかりの本庁にいる時の違和感はすごい。本庁。本店か。TVで聞き慣れた刑事用語も自分で使うとなると
「お。七時か。本店に帰んなきゃ」
文字盤がいくつもあって、どれが日本の現在時間を示しているのか俺にはわからないゴッツい腕時計を見て、すらりと「本店」と言って栗間さんが立ち上がる。ざわっと所轄の港区W署の皆さんがヤな顔マシマシでにらみつけて来る。自分がにらまれている訳じゃなくても、その射線上にいる俺はいたたまれない。支店と本店の刑事の仲が良くないのはドラマのまんまだ。所轄の方は捜査一課じゃなく、生活安全課の刑事?捜査員だけど。行方不明者の捜索は生活安全課の仕事で事件性が確認できないうちは捜査一課の刑事はしゃしゃり出ないという、ハッキリ言って本店の捜査一課に対するいやがらせで、所轄の捜査一課の刑事は捜査に関わっていない。生活安全課の皆さんのにらむ視線を一身に集めたまま、栗間さんが顔の前でパンッと手を合わせた。
「ごめんなさい。ここまでチェックしてもらって何なんですけど、その書いた時間、お母さんといっしょの映像か、光希ちゃん一人で映ってんのか、もう一度、チェックしてもらえません?以降は、必ずお母さんといっしょなのか、光希ちゃん一人なのか、わかるように書き込んでいただけます?」
栗間さんの指示に、思いっきりうんざりしたため息が答える。さっきの「しくった」は、そういう意味か。俺は手を上げて言う。
「入口の広場、十一時五分、お母さんといっしょです」
「は、はい。入口の広場、十一時五分、お母さんといっしょ」
記録係が復唱して、フロアマップに向かい、悩んで、持っていた黒マジックを赤マジックに替えて時間に〇をした。頭いい!とってもわかりやすいと思います。それを見て栗間さんも小さくうなずき、俺の肩を軽くぽんと叩いた。所轄の皆さんのにらむ視線がモニターに戻って、あちこちからぽつぽつ、場所と時間、お母さんといっしょなのか、光希くん一人なのか報告をやり直す声が上がる。栗間さんは指示を重ねる。
「お母さんといっしょの時間以前の映像チェックすんのやめましょう」
反論の声が上がる前に続ける。
「お母さんといっしょの映像でも犯人が映っているかもしれない。光希ちゃんが一人の映像でもカメラの角度的にお母さんが映ってないだけかもしれない。それはわかっています。でも今は光希ちゃんを見つけることが最優先事項で、物理的にショッピングモール内、全部の防犯カメラの映像をこの人数で俺たちがチェックするなんてできっこないじゃないですか。どっかで見切りをつけなきゃ。頼んます」
返事はなかった。ざっと見て二十人弱の所轄の皆さんはモニターを見つめたままで、栗間さんの指示を無視しているのか、無言の了解なのか、俺にはわからなかった。
「じゃ、俺たち、一旦、本店に帰りますんで。何かあったら報告ヨロシコ」
警察学校で叩き込まれたちゃんとした敬礼じゃなく、揃えた人差し指と中指の軽すぎる敬礼。全員モニターから顔を上げず、誰も見てないです。他人が自分の言うことを聞いていようがいまいが気にしないらしい栗間さんはイスの背に掛けてたカーキ色のダウンジャケットを羽織ると、歩き出し、戻って来た。
「何やってんの。帰るよ」
「はい?」
巻き込まないで下さい、先輩。十六時から防犯カメラチェック始めて、三時間しか仕事してないんですよ。先輩は三時間も仕事してないですよね?
「二十時から本店で捜査会議」
「俺は――できることもないので…」
「いろいろ見ることが勉強だよ」
教育係にそう言われてしまうと俺も立ち上がらざるを得ない。せめて周りに深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
返って来たのは、無言だった。無視されてる訳じゃないとわかってるけど、みんな忙しいからってわかってるけど、栗間さんみたいに気にしないとかできなくて、俺は頭を上げても顔は上げられずにイスの背に掛けたコートを持って栗間さんの後ろについて部屋を出る。廊下のひんやりした冷たい空気を俺は吸い込み、それまでいた部屋の息苦しさを思い知る。そうだ。
「栗間さん」
カーキ色のダウンジャケットの背中に声をかける。
「ん?」
「本店に戻る前にお母さんの所に行ってはダメですか」
「本店」と自然に言えた。栗間さんは振り返らず、歩いて行く。
「それは~、何か聞きたいことがあって?」
「そうじゃないですが、」
「却下」
顔だけで俺を振り返り、にっと笑った。栗間さんは向き直り、歩いて行く。ここ笑うとこですか?先輩。俺の胸には反感しかない。だってちっちゃな子どもがいなくなっちゃって胸がつぶれそうなくらい心配と不安なお母さんに一声かけるくらい
「刑事が来れば、何かあったかって、お母さん思うだろ。いいニュース、悪いニュース、どっちにせよ。なおかつ何のニュースもなきゃガッカリしかなくない?ムダにお母さんの心を騒がせる必要はないよ」
俺は口を閉じ、ため息を飲み込む。栗間さんの言う通りだ。お母さんに「光希くんは必ず探し出しますから安心して下さい」と俺が言ったって何の意味もない。
「すみません」
俺は栗間さんの背中に謝った。ひらひらと手を振られた、「ドンマ~イ」って感じで。いちいち言動が軽いんだよな、この人…
二月十三日(日)二十時
吾妻管理官とエライ人たちが会議室に入って来て前の席に立つと――大柄な男の真ん中に立っていると、吾妻管理官がほんとちっちゃく見える。短い黒い髪。丸顔で、くりくりした目に、すっと通った鼻筋、唇は厚めで小さい。この人が刑事ドラマでおなじみの管理官と知って驚かない人はいないと思う。――「起立」の声がかかり、全員が立ち上がる。
「礼」
ざっと音を立てて全員が礼をする。
「着席」
「まずは、松班から報告をお願いします」
吾妻管理官に言われて、松班長、って言わないんだよな。松主任が(多分。松主任じゃなくて班員かもしれない。俺、今、本庁の捜査一課で名前と顔が一致しているのは吾妻管理官と栗間班の諸先輩だけだ)が立ち上がる。俺がいる一番後ろの席からは後ろ姿が見えるだけで髪を留めた銀色のバレッタが蛍光灯に光っている。
「垣ヶ谷鋼士くん。男子。四歳。本日二月十三日・日曜日、江東区アウトレットRパークで行方不明となり、本日十五時に捜索願。本日十七時、葛飾区のギボタクで発見されました」
安堵のため息と「ギボタク?」とざわめく声が入り混じる。
「夫の母の家ですね。鋼士くんにはおばあちゃんになります。現在、離婚係争中で、親権でモメていて、ダンナとお姑さんが連れ去り犯だった、ということです」
あ、義母宅か。
「捜索願は取り下げられました。以上です」
「ありがとうございます。——次、栗間班、報告をお願いします」
吾妻管理官に言われて、隣の席の栗間さんが立ち上がる。班長なんだけど、誰にも「主任」とか「班長」とか呼ばせない。理由は「役職で呼ばれると、犯人に狙われちゃうかもじゃん?」だそうだ。
「鹿川光希くん。男。三歳。本日二月十三日・日曜日、港区ショッピングモールDシティで行方不明になり、十五時に捜索願。現在、店内の防犯カメラの映像をチェックしております。時間はざっくりですが、十一時に母親と入店、その後、十二時過ぎまで3Fフードコートで昼食」
スマホを見ながら報告している栗間班長を見て、俺は猛烈に反省する。あの時、防犯カメラのチェックしてる俺の隣の席でスマホをいじってたんじゃなかった。フロアマップに書き込まれた時間と場所をメモってたんだ。最近の刑事は手帳じゃなくスマホにメモをする。
「その後、まあウィンドーショッピングというやつですか。その後、母親が迷子センターに届け出ているのが十三時半過ぎです。この約九十分の間、いつどこで光希くんがいなくなったのか、現時点、はっきりしていません。何も購入していないため、手がかりとなるレシートもなく、また母親がかなりパニック状態にあり、記憶があいまいです。現在、店内、店周辺でも捜索と聞き込みを継続しています。閉店時間は二十二時。閉店後、店内での捜索結果を報告します。以上です」
「ありがとうございます」
栗間さんが着席する。吾妻管理官は続ける。
「次、山口班、報告をお願いします」
俺は背を伸ばして、会議室を見回す。何班、動員されてんだ?栗間さんが俺の肩に肩をぶつけた。え?広げた手のひらにピースを重ねる。何のハンドサインですか。——あ、七か。七班。七人。七人の子どもが今、探されている。あ、一人は見つかったから、六
「遺体で発見されました」
「え」
俺は声を上げてしまった口を手で押さえる。刑事が「遺体発見」にいちいち驚いてたら仕事にならないだろ。栗間さんが口にげんこつ当てて奥歯を噛み締めて笑いをこらえている。先輩、すみませんでした!
「状況から見て、東館から西館への連絡通路からの転落死、事故死と思われます。フェンスのデザインで円形の部分があり、充分に幼児がすり抜けられる形状でした。他殺だったとしても、服装が行方不明時のままで『幼児連続誘拐殺害事件』とは無関係と思われます。以上です」
「ありがとうございました。そうですね。おっしゃる通りです。山口班は本部より離れて捜査を継続して下さい」
「はい」
「次、芝崎班。報告をお願いします」
芝崎主任(多分)が立ち上がる。力なく、ふら~っと立ち上がり、ひょろっとした細い背中が見るからに疲れている。
「小泉安香ちゃん。女児。三歳。ですが、本日、誕生日ですので、四歳となりました。二月十一日・金曜日・祝日、多摩市、ショッピングセンターH店で行方不明、同日十七時に捜索願。現在も防犯カメラのチェック、捜索、聞き込みを続けておりますが、現時点、成果はありません。以上です」
短!と思うほどの報告だったが、状況は栗間班と同じなので、明日の今頃は栗間班長が同じことを報告しているかもしれない。それに
「ありがとうございます。——次、永沢班。報告をお願いします」
芝崎班長(多分)が他の班長よりも疲れ果てているのは、わかっているからだろう。行方不明になったのは二月十一日。二日前だ。探している子どもが『幼児連続誘拐殺害事件』と無関係か、もしくはすでに殺害されているか、どちらか。前の二件は誘拐されてから翌々日、翌日にはご遺体が遺棄されている。この事件の厄介なところはご遺体を発見するまで被害者を特定できないことだ、と思う。だからこんな所で、他の班の報告を聞いてる場合じゃないんだ。犯人から脅迫電話や脅迫メール、犯行声明はない。営利目的ではなく、ただ殺すためだけに子どもを誘拐している。本部は捜索願が出た子どもの中から、今までの被害者二人と同じ状況――大型商業施設で日曜・祝日に行方不明になった三歳前後の子どもを選んで捜索するという捜査方法しかとれない。先輩曰く、子どもの捜索に最初から本店の捜一を支店に出張らせるなんてフツーの管理官なら思いもつかないそうだ。刑事、いや、警察官にはできない仕事がある。事件を起こさせないこと。いつも事件が起きた跡にしか立てない。この手で事件が起きる前に止めることはできない。警察官になる前には、ストーカー殺人や虐待死の——「虐待死」言うな。傷害致死罪だろ。——ニュースを見て「殺されてから逮捕じゃ遅いだろ」って憤ってたけど、現実に警察官になって、思い知った。人を傷付ける、殺す前の犯人を逮捕することはできない。光希くんを見つけなきゃ。光希くんを連れ去った犯人が『幼児連続誘拐殺害事件』の犯人なのかどうかわからない。関係ない。犯人だろうと犯人じゃなかろうと、光希くんを連れ去った犯人は犯人だ。
各班の捜査状況の報告が終わった。起立、礼の後、吾妻管理官とエライ人たちが出て行って、他の刑事も出て行く。七人のうち、無事に発見一人、遺体で発見一人、残り五人。発見された二人の捜査のホワイトボードを担当の班の人が押して会議室から出て行く。ほんのちょっと目をつぶり、亡くなった子の冥福を祈る。両親が離婚協議中の子の幸せを祈る。俺が祈ってもどうしようもないけど。目を開き、気づく。さっき捜査会議に何班、参加しているのか見回すより、ホワイトボードを数えた方が早かったんだ。そうか。栗間さんはホワイトボードを数えて俺に子どもの数を教えてくれたんだ。俺は立ち上がる。残ったホワイトボードの五人、一人一人一人一人一人を見つめる。この五人の中に『幼児連続誘拐殺害事件』の犯人に誘拐されている子はいるんだろうか。
チリチリ焦げ付くような疑念は胸にずっとある。この五人の中にはいなくて、他の行方不明の子どもたちなんじゃないか。警察は全く間違った選択をしているんじゃないのか。
「記者会見行くか」
栗間さんの発言にさすがに俺もキレた。
「記者会見見て何になるんですか?」
栗間さんは俺を見上げる、座ったままで。俺は見下げる、百八十七センチの高さから。いきなり栗間さんは右手と左手の人差し指と親指を組み合わせて四角を作って、そこから片目をつぶって俺を覗き見る。ここでカメラのフレームを決めるポーズって何なんですか!
「自分の目の前にある物ばっか見てんのは、何にも見てないのといっしょだよ。捜査会議に出るのも、自分の考え以外の物を見るのが必要だからだよ。特にこういう別々の事件を、それぞれの班でやってる時はね。他の班の捜査方法がヒントになることもある」
俺は口をつぐむ。先輩の言ってることはいちいち正しい。そうだよな、俺、「これ」って決めたことに意地になるクセがある。……そうだ。自分でも意地だってわかってるのに、決めたことをかたくなに守り続けてしまう。俺は頭を下げる。
「すみません」
「すっげー記者とモメるらしいよお」
ニヤニヤする栗間さん。謝罪したことを後悔させないで下さい、先輩。栗間さんは立ち上がり、会議室を出る。後に続いて出ると、廊下はがらんとしていて、ほら、もう他の人たちは捜査に戻ってるんですよ!って気持ちになる。一人で帰ろうかな。廊下を歩き、エレベーターに乗って、降りて、廊下を歩き、記者会見場に入ると、一斉に記者がこっちを見た。すいません、吾妻管理官はまだです。
「栗間くん」
記者の一人が席を立って手を振っている。栗間さんと同じ年くらいの女性。面長で少し垂れ目、ってゆーか眉も下がってて、困り顔ってやつだ。細い鼻。唇は薄いけど、口は大きい。茶色の長い髪を後ろでひとつに結んでいる。赤紫のスーツ。もっとオシャレな色の名前なんだろうと思うけど、俺の目には赤紫。栗間さんはそっちの方へ歩いて行く。ついて行くのもな。俺は横の壁沿いに歩いて後ろの方へ行く。栗間さんと記者さんの声は聞こえる。
「中山さんじゃないですか。あれー?久しぶり。また記者クラブ詰めになったの?」
「担当者がハネム~ンで半月いなくてね、出戻りピンチヒッター」
「うはは。ツッコミできねえ、その自虐!」
「号外ホームラン、担当のいないうちにかっ飛ばしてやりたいから、ちゃっちゃと逮捕しちゃってくれる?」
会見場がしんっとなった。吾妻管理官が来たのかなと思ってドアの方を見ると、まだ来ていない。あはははと笑い声が静寂を破った。記者さん――中山さんが笑って栗間さんの背中をバンバン叩いている。
「こ~ゆ~時、栗間ってテキトーなこと言えないんだよねえ。変わんない~。捜査に関してはマジメか!」
「痛い痛い痛い痛いよ!『捜査に関しては』って何だよ?何に対してもマジメだよ、俺は」
あ。今、しんっとしたのは、栗間さんが中山さんの「逮捕しちゃってよ」に対して沈黙したからか。吾妻管理官がファイルを抱えて来た。え?腰のあたりで、ひらひら、小さく誰かに向かって手を振るのを俺は目撃してしまった。栗間さんに向かって?中山さんに向かって?俺に向かってではない。と思う。何のハンドサイン?
「会見を始めます」
謎のまま、吾妻管理官が前に立ち、会見を始める。栗間さんは中山さんに手を振り、会見場を見回して、後ろの方にいる俺を見つけ、やって来ると、壁にもたれ、会見を眺める。吾妻管理官は一人で、エライ人たちはついて来ていない。何ていうか…それが、この会見をムダだとエライ人たちが思ってる証拠のような気がしてしまう。二人目の被害者が発見された時点で報道協定が結ばれて、事件はマスコミで一切、報道されていない。つまりは世の中は『幼児連続誘拐殺人事件』のことを知らない。俺も捜査に加わって、一人目の被害者の、去年の十月、行方不明の子どもが遺体で発見されたってニュースをうっすら思い出したくらいで。自分の所割じゃないと、事件が起きた所轄は大変だなあと思って、事件を忘れがちになってしまうのは警察官の職業病かもしれない。吾妻管理官は報道協定の代わりに毎日、会見を開き、捜査状況を全て発表している。犯人逮捕の会見でもないから、会見場はガラガラで、テレビカメラもなく、カメラもない。記者もいるだけ、って感じだ。内容も捜査会議の報告をそのまま伝えているだけで、正直、ここに俺がいる意味はあるのか?
俺はピカピカの革靴を見下ろしてしまう。それ考え出すと、どうして俺、本庁の捜査一課なんかにいるんだろ?ってことになり
「本日は以上になります」
そんなこと考えてたら会見が終わった。そんなこと考えてないで光希くんを探す!それが俺の今の仕事だ。よし。靴屋さんが刑事になったお祝いにプレゼントしてくれたピカピカの革靴で一歩を踏み出
「吾妻管理官」
記者の中から声が上がった。手を上げている赤紫のスーツの背中。栗間さんと話していた中山さんって記者の人だ。吾妻管理官は中山さんの方を見て答えた。
「昨日、ご提案いただいた報道協定の解除ですが、被害者保護のため、協定の継続をお願いいたします」
ちっと舌打ちが聞こえた。隣にいる栗間さんが押し殺した声でつぶやく。
「モメてる原因は中山さんか。まさかな」
中山さんは手を上げたまま、続ける。
「昨日も申し上げましたように、マスコミが報道しないことには意味がないんですよ。この現代日本ではね。現に被害者と思われるお子さんの親御さんが情報提供を求めてSNSに子どもの写真、場所、時間、当時の服装など詳細な情報を載せて、その情報は瞬時に拡散されます」
中山さんが手を下ろした。すぐに両手を上げる。タブレットを吾妻管理官に対して見せているっぽい。後ろから見ているので、よくわからない。
「本日行方不明になり、発見された垣ヶ谷鋼士くんのお母さんのツイッターです。瞬時に拡散され、約一時間後には鋼士くんがファミリーレストランでおばあちゃんと食事をしている写真がリツイートされました。捜査員はこの情報から鋼士くんを発見したのではないですか?」
スマホを栗間さんが俺の前に差し出した。今、中山さんが言っているツイートだ。リツイートの数を見てしまう。14,403。今、所轄で防犯カメラの映像チェックしている人数を思う。二十人くらい?ショッピングモールで聞き込みしている捜査員を合わせたって、各地、いや全世界の14,403人の目に勝てる訳がない。
「おっしゃる通りです」
吾妻管理官は認めた。
「鋼士くんのお母さまが捜査員に申し出られて、お祖母様の家へ同行し、保護しました」
「ですよね。——今、被害者として捜査されている他のお子さんの親御さんも同じようにSNSで情報を拡散されています。いなくなったお子さんの情報を求める声を真摯に受け止め、本日のケースのように正しい情報を寄せられる方もいらっしゃいます。けれど、たとえば、この『#発見』というタグの付いたリツイート」
吾妻管理官が顔をしかめた。
「親御さんがSNSに載せた写真を加工して作成された死体写真です。このように面白半分いいえ、半分ではありませんね。こんなことを心の底から面白がる輩が群がり、親御さんの心を傷付ける。他にも、」
「他の例は結構です」
吾妻管理官が言う。
「わ、マジエグい」
隣では、その写真を見つけた栗間さんが声を上げる。俺も結構です。先に栗間さんに手のひらを向けて意思表示しておく。
「親御さんのSNSをデマ拡散と思われて、削除依頼を出す方もいらっしゃいます。これはマジメな方がそうしているんです。なぜかわかりますか」
「いいえ」
吾妻管理官は即答する。一瞬、中山さんの返す言葉が遅れた。
「おわかりになられないんですか?」
声がワントーン上がる。
「マスコミで報道されていないからです。実際、デマを拡散している輩もいるんです。ネット上だけではデマと真実を判別することができない。現実に報道されることが真実の裏打ちになるんです」
俺は無意識に肩をすくめていた。『真実の裏打ち』って何だ?マスコミだけが真実を伝えられるってことを言わんとしてるのはわかった。中山さんが新聞なのかテレビなのか雑誌なのか、どこのひとかわからないけど、世の中の人たちは、そんなこと思ってるかな?
「昨日も申し上げましたが、行方不明になった子どもの情報を求めるSNSはネット上では『ハーメルン』と呼ばれています。報道という真実の裏打ちがないために、まるで都市伝説のように拡散してしまっているんです」
「へっ。ネット民のネーミングセンスは抜群だねえ。面白いこと言いやがる」
栗間さんが吐き捨てる。俺の中には反感しかない。笛吹男に連れ去られた子どもたち。五人の顔が思い浮かぶ。
「お。マジだ。都市伝説と化してるじゃん」
『ハーメルン』を検索した栗間さんが声を上げる。ネットの中で、いやネットにつながったスマホやパソコンの向こうで――中山さんの言う通りだ。面白半分じゃなくて、心の底から面白がってるヤツらがいる。
「俺、帰ります」
俺は言った。
「どこへ?」
栗間さんに聞き返されたけど、答えるまでもなく俺は歩いて行く。こんな所で警察VSマスコミを観戦してる場合か。事件は現場で起こってんだぞ。ネットでハーメルンが笛吹いてたって関係ない。現実で光希くんを見つけて犯人を逮捕する。
「何か新しい情報があったんですか?」
へ?ドアに手をかけた俺は中山さんの声に振り返る。記者が全員、俺を見つめている。えええ?!目立たないように壁沿いを歩いて前の方へ行って、そっとドアから出て行こうとしたのに、やっぱり記者は目ざとい。…感心してる場合じゃなくて。俺は言葉が出ず、ただ首を横に振る。
「本日の会見は以上です。失礼します」
吾妻管理官が言って、ファイルを抱え、こっちに向かって来る。え!え!え!
「待って下さい、吾妻管理官!」
中山さんの制止も聞かず、吾妻管理官は俺ごとドアを押し開け、廊下に出ると、ぐいっと俺の腕を掴んで、開いたドアの裏に引き込む。うえっ?開いたドアから中山さんを先頭に記者さんたちが飛び出して駆けて行く。ここにいますよ、吾妻管理官。記者が廊下の角を曲がって見えなくなると、吾妻管理官はひとつ息をついて、ドアの裏から首を伸ばし、会見場を覗き込む。それから会見場に戻る、俺の腕を掴んだままです。振り解く訳にもいかず、俺も会見場に戻る。吾妻管理官がドアを閉める。会見場に記者は一人も残っていなかった。栗間さんが大ゲサに全身を揺らしてウケながらこっちにやって来た。
「マジウケる~」
吾妻管理官は突然、ファイルを抱えていない方の片手を高く上げ、天井を見上げる。
「このタイミングで中山が記者クラブにいるって、天は我を見放したか!はああああ」
吾妻管理官は大きなため息をついて片手をだらりと下げ、空気が抜けたかのようにドアにもたれた。俺を見上げる。
「何かよくわかんないタイミングだったけど、助かった」
「俺は現場に戻りたかっただけで…」
腕も離してもらったから、現場に戻るか。と思っても、ドアには吾妻管理官がもたれている。どうやってどいてもらうか、悩む。
「ねえ、マジお前ら、デキてんの?そゆウワサだよ」
「ええええ!」
「え!」
栗間さんの爆弾質問に吾妻管理官と俺は声を上げる。
「あ。マジですか?そんなに声が合っちゃうってことは」
栗間さん、真顔。俺と吾妻管理官は、ぶんぶん、首を横に振る。否定すればするほど、何かアヤしくなってないですか、俺ら!栗間さんがマジウケする。
「両方、知ってる俺は、ウソだってわかるけどさあ。フツーあり得ないでしょ。交番勤務から、いきなり本店の捜査一課って。支店でも刑事やったことないんだろ?」
「はい」
俺はうなずく。吾妻管理官が説明する。
「それはかくかくしかじかありましてね」
「説明になってねーよ!」
栗間さんのツッコミ。お二人こそ、どのようなご関係で?という俺の心の質問を読んだように栗間さんが答えた。
「吾妻の現場研修でいっしょだったのさ」
「あの時、捜査一課一年坊だった栗間が一年坊の教育係をやってる……遠い目」
「これは吾妻の陰謀だろーが」
「バレた?てへぺろ」
この人たち、ノリがいっしょだよ。ということは。俺は聞いてみる。
「記者の中山さんも同期的な?」
「そうね」
「だな」
なつかしモードに入ってる顔の吾妻管理官と栗間さん。これは非常に吾妻管理官をドアの前からどかしづらい。しかし、ここで昔話に巻き込まれる訳には
「どうですか、警視庁刑事部捜査一課は?」
「今日は子どもが行方不明になったパパに説教をしました」
う!吾妻管理官は俺に質問したって言うのに、栗間さんがすかさず答えた。それも小学生が作文を読むような口調で。
「光希くんのパパ?」
「そ。どうしていっしょにショッピングモールに行かなかったのかって質問に、『家で寝てた』ってパパさんが言ったのね。奥さんは家にいるから、いつでも昼寝ができるけど、自分は働いているので、日曜日くらいしかゆっくり寝られないんだ。って言ったら、この人、いきなしマジギレして」
「深く、反省しております…」
いや反省してない。俺はまちがったことは言ってない。
「家事は朝から晩までやらなきゃいけないことがあるし、三歳くらいの子どもは歩き回るし、自分の意志も持ち出す頃だから、全然言うこと聞かないし、危ないの判断もつかないし!って、この人がマジギレして。それ聞いて、『そうなんですよおおおお』ってママさん、めっちゃ泣き出すし」
「あはは。ほんとあなた、子ども絡むとムキになるよね」
ポンポンと吾妻管理官に手の甲で軽く胸を叩かれる。
「その気持ち大事だから、大切にしなさい」
「はい」とも答えづらくて俺は黙ってる。栗間さんは声を上げる。
「えええ?その場に居合わせちゃってフォローしなきゃなんない俺の苦労は?」
「それが教育係の仕事でしょーが」
「ぐおっっっ」
栗間さんの胸には吾妻管理官の本気の拳がめり込んだ。吾妻管理官はもたれていたドアから背中を起こすと、ドアを開けて下さった。
「光希くんを見つけ出してね」
栗間さんは吾妻管理官に敬礼をした。背筋を伸ばした、ちゃんとした敬礼。俺も、敬礼する。吾妻管理官が開けて下さったドアから栗間さんの後について出て行こうとして、振り返った。今を逃すと、またいつ話せるかわからないから、言わなきゃ。ペーペーの刑事と管理官がサシで話す機会なんて普通は皆無だから。
「あの、すみません。俺、知らなくて」
「ああ、旦那も子どももいること?」
栗間さんが言う。じゃなくて!
「言ったでしょ」
吾妻管理官も真顔で言い返してくる。
「じゃなくて。——吾妻管理官が女性初の警視総監候補だってこと…俺のことで、ご出世にキズが付いてしまったのではないかと……」
「『ご出世にキズ』!」
吾妻管理官が笑って、俺の腕をバンバン叩く。どーしてお年頃の女性は笑いながら人を叩くのでしょーか。
「やっぱお前らデキてんの?『出世にキズ』って何よ?」
「いいの。おエライ男性たちが我々は女性を正しく評価しております!ってポーズを取りたいだけの旗印だから、私は」
俺は、返す言葉がない。『女性初の警視総監候補』と呼ばれるまでのこの人の努力や苦労を俺には想像もできなくて、理解もできないと思う。吾妻管理官が俺に言う。
「そんなこと思ってるなら、犯人を捕まえて。私があなたを本店に引っ張り上げた意味を証明して」
俺が証明できるのは自分の無能くらいで、交番勤務に戻りたい俺にそんなことおっしゃられましても――なんて言えないから
スマホが震える低い音が聞こえて、俺はびくっとなった。瞬時に吾妻管理官も栗間さんも厳しい顔になる。俺は深呼吸する。心臓がバクバクする。栗間さんが斜め掛けにしてるちっちゃいバッグからスマホを出して、電話に出る。
「栗間です。——………そうか。よくやった。映像を本部に送ってくれ。俺はまだ本店だ。ああ。ママパパはまだ署内にいるか?…そうか。じゃあ、面通ししてくれ」
栗間さんはスマホを切り、吾妻管理官に言った。俺の心臓バクバク、静まれ!
「光希ちゃんを抱っこした男が防犯カメラに映ってました。今、本部に映像を送ります」