九十八話
魔王城内を歩く。
リアヴェルに会いに行くために、この城内を歩くことなど初めてで、妙にむず痒い。
それでも、彼女の部屋の前に到着するとノックをして、彼女の返事を待った。
「どうぞ?」
「ああ、入るぞ」
「エイサ? 珍しいじゃない。貴方の方から僕に会いに来るなんて」
「ああ、そうかもしれないな」
部屋に入ったエイサを見てリアヴェルが驚きの顔を見せた。
彼女の言い草にエイサも頷きを返しながら、彼女に勧められるがままに椅子に座る。
エイサが来たことで随分とご機嫌な様子を見せながら、お茶とお菓子の準備をする彼女を眺めながら、エイサは何から話せばいいのか、あるいはいったい何のためにここに来たのか、それさえも分からないままに彼女を眺めていた。
「……ふふ、どうしたのエイサ。何か用事があってきたんでしょう? それとも何? 僕に会いたくなって来てくれただけ? それならそれで、僕にとってはとてもうれしいのだけど」
「……」
茶化す様にそう言ったリアヴェルの言葉にエイサは何も答えずにただ、出されたお茶を啜る。一緒に出されたクッキーも一枚とってかじると、甘すぎないようにと抑えられたその味は、エイサの好みに合っていた。そんなエイサの様子を見ながらリアヴェルは再び驚きの表情を浮かべた。エイサが彼女の下へ来るときは基本的に彼女からの呼び出しがあった時だけだ。彼が自身で彼女を訪ねるという事自体がレアな出来事だというのに、そんな彼が自身からきて用事を即座に切り出さない事に首を傾げた。
「……まさか、本当に僕に会いに来ただけってわけじゃないんでしょう?」
「……さてな。そうだと言ったらどうする?」
「なっ……」
エイサの言い草にリアヴェルは絶句した。
本当にらしくない言葉だ。
普段なら、呼び出しても理由を付けてなかなか来ない男が、こんなことを言い出すとは思ってもいなかった。圧倒的な不意打ちの発言に彼女の頬が僅かに赤く染まる。その赤みがかかった表情を隠すように慌てて、自身で入れたお茶に口をつけ、カップで表情を隠した。無論、その程度で顔が全て隠れるわけではないが、リアヴェルはエイサの事を直視できない。
「シスター」
「……お母さまの事?」
「ああ。シスターリスティはどうしている?」
「どうしているも何も、エルメルダのところで研究に従事しているけれど……あ、お母さまに何か用なの?」
エイサの断片的な言葉に僅にほっとした表情でリアヴェルは言った。しかし、予想に反してエイサは彼女の言葉に首を横に振る。
「いや、シスターには聞かせたくない事だったからな、少しばかり確認しただけだ」
「……そう。それで、どうしたのエイサ。貴方らしくもない。いつもの君なら、僕の事を欠片も考える事無く、自分勝手に話を進めるだろうに。……今日の君は随分としおらしいというか、らしくないというか。そもそも、僕に君から会いに来ること自体が妙な事だ。いつもの君ならそれこそ、僕に会いに来る暇があれば剣を振るっていそうなものだけれど」
「お前がそう望むなら、また中庭で剣でも振るっているが?」
「い、いやそんなことは無いけど。確かに君が剣を振るっているのを上から眺めるのも嫌いではないけど、君が僕に会いに来てこうしてお話をしたいというのなら、それに付き合うのはやぶさかじゃない」
エイサの言葉を慌てて否定するリアヴェルは、魔王らしさのかけらもない。どこにでもいるただの少女の用だった。好きな男との会話を楽しむ、どこにでもいる普通の少女。そんな彼女の姿を見てエイサは失望を抱くようなこともなく、少しだけ昔を思い出した。
旅をしていたころ、まだ男女の垣根すら良く分かっていなかったあの頃。同じく旅をして、同じ床で眠り、同じ星空を見上げたあの頃。あの頃から復讐に身を焦がしてはいたが、こうやって彼女と過ごす時間に安らぎを得ていたのも決して嘘では無かった。
「……そうか。そうだったな」
「……なによいきなり納得して」
「いや、別に」
そう言うとエイサは再びカップに口を付けた。
仄かに苦みが残る薫り高きお茶。
その味は昔旅路で飲んだお茶と同じものを口にしているとは思えない程に美味い。昔はただ苦いだけで、薬か何かの代わりに飲む様な類のものだった。今の者とは雲泥の差がある。それが、彼女の成長を感じさせて、変わらぬ自分の在り方にエイサはため息をついた。
「……本当に何をしに来たのかな? エイサ」
「俺もスロブ爺さんに言われてきただけでな。別段用事らしい用事は無い」
「はぁ? ほんと意味の分からない事を。意味の無いことをするような貴方ではないでしょうに」
「ああその通り。そして、意味がなかったわけでもないらしい」
そう言ってくつくつとエイサは笑った。
その笑みを見て余計に意味が分からないという表情するリアヴェル。
「人の顔を見て、それだけで解決する様な何かだった。そう言うこと?」
「いや、そういう訳じゃないが、それでもそれでいいと思えた。それだけの事だ」
「なにそれ、全然意味が分からないんだけど」
「俺もさ。俺も意味なんて分かっちゃいない。だけれど、うん。だけれど、それでいいんだと思う」
意味の通じない事を言うエイサはそれでもどこか晴れやかな雰囲気をその身に宿している。
どこか吹っ切れたような彼の様子にリアヴェルは納得がいかないという様に頬を膨らませた。そんな彼女を苦笑しながらエイサは見ると、彼女の入れてくれたお茶の続きに手を伸ばす。それを啜れば、いつもの自分好みの味がした。
「少しばかり揺らいでいたのさ」
「何に?」
「さて、何にだろうか。おそらくは、どうでも良い事なんだろうさ」
「ふうん? 貴方が揺らぐなんて信じがたいけれど。勇者への復讐。それ以外に一切の興味を見せない貴方が、何を言われたの?」
「言われたわけじゃない。ただ、それでいいのかと、自問するに足ることがあっただけだ」
「へぇ。また、妙な事を自問していたのね貴方」
「妙な事とは、随分な言い草じゃないかリアヴェル」
「でも、そうでしょう? 復讐なんて自己満足に浸っていた貴方が、その自己満足のために自分を揺るがす。これを妙な事と言わずして何というの? 他の誰のためでもなく、自らのために剣を振るう。そう決めたのは自分でしょう? それとも、その心持に何かしらの変遷があったのかしら? ……それが、僕のための変化だというのであれば、僕は喜んで君を抱きしめてあげるけど、結局は違うんでしょう?」
リアヴェルのその言葉にエイサは何も答えず、ただ兜の奥で小さく笑みを浮かべた。
彼女のいう事は正しい。その通りだ。エイサは自らのための武器を取り、自らのために剣を振るうことを決めた。誰かのためではなく、自己満足を肯定することを決めたのだ。そうであるのならばやはり、理由が失われたからと言って意義を見出せなくなるなどというのは、結局彼自身の揺らぎにしか過ぎない。その揺らぎは弱さだ。その揺らぎは彼自身の意思の薄弱さに由来するものだ。で、あるならば、自らの心に従って剣を取った彼が揺らぐというのは、自身の未熟さの賜物でしかない。
「お前の言うとおりだよリアヴェル」
「はぁ。結局、私のために剣を振るってくれるという訳じゃないんだ」
「ああ。俺は俺のために剣を振るう。最初にそう定めた以上、それを翻す事はできない」
「私のために翻してくれても良いとは思うんだけどなぁ」
未練がましく、そして恨みがましくリアヴェルはエイサを睨む。
しかしその視線にエイサはまるで動じることを見せなかった。
既に定まった心の在り方を決して変えることは無い。そう言わんばかりの姿勢にリアヴェルはますます大きなため息をついた。
「御馳走様。美味かったぜリアヴェル」
「はいはい。お粗末様。……結局、おやつ食べに来ただけ?」
「結果的にはそうなった。そう言う事にしておいてくれ」
「はぁ。いいけど。貴方くらいよ? 私におやつたかりに来るような人は」
「幼馴染の特権。そう言う事にでもしておこう。それとも、もう二度と来るなとでも言うか?」
「言わないけど、もう少しこう、甘い言葉を吐いてくれてもいいのになぁ。可哀想な私。君にどれだけ尽くしても、答えは返ってこないんだから」
そう言いながらも飲み干されたおカップと、食べ終えたお菓子の皿をかたずけ始めるリアヴェル。
その様子を見もせずにエイサはリアヴェルの部屋の出口へと向かった。そして、何かを思い出したようにその入口で止まってリアヴェルの方へと向き直った。
「そういや、俺にも給金をよこせ。流石に無一文だと困る時も出てきた」
「……後で用意しておいてあげるから、少しは貴方との余韻に浸らせてよ、ばか」