表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/144

九十四話


 花開く閃光が瞼を焼く。

 競り合う斬撃の感触を抱くかのようにかみ合わせれば、目の前の男の息遣いさえ聞こえてくるかのようだ。

 爛々と輝く瞳と、絶え絶えな呼吸音、そこに混じる金属音に、空気の焼ける匂いと、血の鉄錆が如く香。それらが混じり合いつつも、巻き起こされる土埃に穢されていく感触がまさしくもって戦場の風に良く似合う。

 戦いは激しく、そして迅速に。

 エイサは殺し合いを楽しんだことは無い。

 その武威において並ぶもの無き領域に至るまでも、至った後も楽しむことは無いと思っているし、その必要もないと思っている。

 彼が武芸を極めたのはあくまでアリスへの復讐のため。

 その為だけにこの領域にまでたどり着いた。いや、その為だけにその武を磨き続けたからこそ、この領域にたどり着けたというべきか。

 故に武芸に対してエイサはストイックだ。

 ただ一つの目的のためにただ一つの事を磨き上げることでたどり着いた領域は、その目的以外を持ってしまえば堕落してしまうとでも言わんばかりに。

 否、事実エイサはそう考えているのだろう。

 だからこそ、戦いにおけるあらゆる感情を排している。それ以外の目的を得てしまう事を恐れてさえいる。

 なのに。


「エイサァアア!」


 ソウジの声がエイサの鎧に響く。

 叫びながら、魂を込めながら振り抜かれる一撃を受け流しながら、されどその声だけは受け流せない。

 散る火花の様に、空に溶けて消えるのではなく、彼の胸の内にたまっていく。

 答えを返すことは無い。

 ただ黙々と剣を振るい続けるだけ。

 それでいいと思っている。

 いや、それでいいと思い続けようとしていた。

 なのに、揺れる心は彼との戦いを引き延ばしている。


「うるさいぞ、人の名前を気安く……」


 ついにエイサがソウジに言葉を返した。

 普段のエイサらしからぬ苛立ちを込めた声音。

 それは、アリスに向けたこと以外に殆どない、彼の感情のこもった声だ。

 だがソウジはそんな事には気が付かない。ただ、自らの武をもってエイサに挑み続ける事に終始している。


「エイサッ!!」


 アリスの声が聞こえた。

 宿敵の声。

 憎みべき宿命の相手。

 視線を向ければ、そこには彼女がいる。

 エイサの殺すべき相手だ。彼女を相手にのみエイサは自身の感情を我慢しないと決めている。

 故にその自身の憎悪をもって彼女に斬撃を振るう。

 その一撃は芸術的な一撃だ。

 彼女の防御をすり抜け、狙い違うことなく彼女の首の身を叩き落す死神の如き一閃。

 華開いた。

 散り行く様に伸びるエイサの槍が見えた。

 受け止められたと理解する前に既にエイサの体は反応する。刻み込まれた鍛錬の果ての結実が、割り込んだソウジの槍を弾き飛ばす。

 集中が僅かに乱れる。

 そこに降り注ぐ勇者後衛の援護をすべて叩き落すと同時に再度ソウジに向かって踏み込んだ。

 止めを刺す。

 そのつもりで振り抜いた斬撃は、しかししてソウジに受け止められた。

 歯噛みする。

 力量の伸び方に殺意すら抱く。

 目の前の男の力量は取るに足らないモノだった。

 それが、わずか数日を経てこれ程の力量にまで到達しているという事実に殺意を抱く。そして抱いて、自身の不明に気が付いた。


「チッ」


 舌打ちが漏れた。

 それは下らない事に意識が向かった自分自身への叱咤だ。

 今の一撃を防がれたとはいえ、ただの一撃止められた程度でエイサの有利は揺るがない。精神を立て直して剣をふるい直す事で、持久戦へと再度移行する。ソウジの攻撃を受け流して致命の一撃をカウンターにて叩き込む。それのみに注力しようとして。

 アリスの斬撃がエイサの首に迫る。

 それをギリギリのところで回避して、自分自身の馬鹿さ加減にもはや言葉も出ない。

 注力するべき場所が違う。

 狙うべきは勇者アリスだ。

 エイサの目的とは只それのみに尽きる。狙うべき相手を一瞬とは言え取り違えた事による心技体の齟齬が如実に表れた。それがエイサには理解できるからこそ絶句したのだ。

 防ぐ。

 防ぐ。

 防ぐ。

 花散る火花の数は間違いなく増加している。

 一合一合で見る見るうちに上手く、強くなっていく目の前の男の槍撃はもはや無視できない。無視するべきではないと理性は理解する。だが、エイサの抱く感情は理性の警告を無視してでも勇者アリスに固執する。

 乱れている。

 心技体の合一がブレてきている。

 自身の冷静な部分がそれを示すのに、それを修正さえすれば再度優位に立てる技量はあると理解しているのに、どうにもこうにもエイサの感情がそれを邪魔する。

 ちらりとアリスを見た。

 彼女の表情はどこか泣きそうだ。

 エイサにはその表情の意味は理解できない。

 だけれど感情はその意図を悟っている。

 言葉にすることもなく、ただエイサは彼女に斬撃向けて、アリスの斬撃を受け流した。そして受け流すままに蹴りを彼女の腹部に叩き込む。彼女への致命の一撃を目的としたものでは無く、ただ現在の戦況より引き離すためだけの一撃。その意図を悟ったアリスはエイサに向かって僅かに手を伸ばしたが、その手は当然空を切ってそのまま弾き飛ばされた。

 エイサはソウジの槍を受け止める。

 ソウジは他者の援護を邪魔といわんばかりに戦場を駆け巡り、エイサに槍をぶつけていく。

 無心のままに、或いはおのが心の導くままに。

 その戦いをほんの少しだけ離れて見たアリスは美しいと思った。ただ純粋に自らの武芸をもって頂点を越えようと足掻く男の姿を、美しいと思ってしまった。そんな自身の感情に膝をつく。違うと小さな言葉で否定して、それでも否定しきれない自分の心に翻弄される。

 そんなアリスの心境を汲むことなく二人の男は刃を交える。

 無論ソウジの刃先を受け止める事はエイサには出来ないが故の比喩的表現ではあるが、二人の戦いはその激しさと、そのレベルを上げていく。ソウジの一撃は一撃加えるごとにその鮮烈さとその捌き方が洗練されていき、一手前の彼とは別人だと言われて信じてしまう程の力量を得ていく。そんな天井知らずに伸びていくソウジの力量を持ってなお、エイサの余裕は崩せない。跳ね上がる力量に当然のように対応してその攻撃の隙を抜いていく。

 強い。

 幾度目の感動か分からない、分かり切ったことをソウジは思った。

 その力量の高さには感動を覚える。

 だが、それでも諦める事だけは決してない。

 それどころか、エイサの力量の高さを知り直す事でその意気はますます勢いを増していく。山は高ければ高いほどいい。敵は強ければ強いほどいい。そんなマゾヒストめいたことが脳裏に浮かぶほど、ソウジはただ戦いに没頭していた。

 最初はヒロインのアリスに合えることで満足していたはずだった。

 勇者として戦う事で満足していたはずだった。

 だが、だが、だが。

 男としてこうまで無双を誇る大戦士を相手に武芸を競える状況に置かれて、この心が燃えないはずがない。最強の称号にふさわしき男が目の前にいて、その称号をもぎ取るチャンスがあるのであれば、もぎ取りに行かない男などこの世にいない。

 刃金が欠けて散る鉄の香りが鼻腔をくすぐり、血飛沫降って香る錆の匂いが身を染める。

 だが、その悉くを無視してただ自身の力量を目の前の男に示す事に注力する。

 放つ一撃は空を穿つ。

 必殺する気概で放たれた一撃を当然のように回避される。しかし、それさえも前提に含めて攻撃を組み立てる事で、極限まで隙を減らす。未だにエイサの一撃をまともに受ける事は出来ないがそれでも、隙を衝ききれていない一撃をどうにかこうにか受け止める程度にはソウジも成長している。

 次の一手に集中し、戦いをどう組み立てるかに全神経を注いでいるソウジは気が付いていないが、それでも戦い続ける中で確実に、対応できる範囲が広がっている。


「チッ」


 エイサが舌打ちを一つ漏らす。

 それはソウジを殺し切れない自分自身に対する叱咤であり、同時に彼自身が抱いている勘定へのいら立ちの発露だ。事ここに来てエイサは認めるしかない。事実をありのままに受け入れる事で、自身の力量を跳ね上げてきた彼は、不本意な事であっても受け入れることには慣れている。慣れてはいるが、この感情を受け入れる事だけは余りにも難しい。

 この感情を受け入れてしまえば彼の詰み上げてきたもの全てが壊れてしまう。彼の立脚点が揺らいでしまう。だからこそ、エイサはその感情に蓋をする事にした。

 心技体の合一が解ける。

 究極に等しい彼の技巧が僅かにブレる。

 今までの彼にはありえない隙。

 だが、それを今のソウジは見逃さない。

 放たれた一撃は余りにも真っ直ぐに、そしてあまりにも美しい一撃で。

 その一撃は確かにエイサの兜を打ち貫いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ