九十二話
どれほど勝利を確信するに足る斬撃を加えても、エイサはびくともしない。
どれほど意識外の奇襲を行っても、エイサはその全てに対応する。
知っていたことではあったが、勇者たちにとってエイサという男は、黒騎士という大戦士はすさまじく高い壁だ。乗り越える事も打ち砕くことさえも許さない無窮の如き高い壁。
秘術を尽くし秘技を用いて、それでもなお揺るがぬ堅牢なる大壁。その彼を相手に戦い続ける事に徒労感すら抱きつつも、それでも勇者たちの士気は衰えない。ジリ貧だという事はよくよく理解している。このまま戦い続けても突破口がまるで見えない。数多の奇跡を引き起こし、挑戦し続けてなおその奇跡の悉くを切り伏せる常識外れの前には、奇跡でさえただの事象に成り果てている。
この男は無双だ。
そんな知り切ったことを、分かり切っている事をただ味わうだけの状況が続いている。
心が折れていない事が唯一の救いの様に。それとも心折れない事が絶望への道筋とでもいう様に、ただひたすらに突破口を開くため、剣を槍を弓を杖をただ持ち続けて戦い続けている。周りを取り囲む敵軍の部隊が一斉に襲い掛かってこない事こそが唯一の救いだった。いや、目の前の男を切り伏せる事が出来るのであれば、この周りを囲む部隊も突破できるだろうから、それさえも救いでは無いのか。そんなくだらない思考が一瞬浮かぶごとに危機に陥り、全霊をもってその危機を脱出する。
一瞬の思考の乱れが死につながる。そして一人殺されればまた一つエイサの方に優勢が傾く。祖下傾いた優勢を決して相手に引き戻させない。類まれなる力量をもってそんな風に立ち回られてしまえば、付け入る隙が見当たらない。一か八かの賭けを成功させてなお揺るがせない程の力量が、恨めしいまでに遠すぎた。
「ジリ貧だ」
「わかっている。だけれど」
突破する手段がない。
そう呟く前にエイサの斬撃を受け止める。
いや、受け止める事さえ許してくれない。アリスの剣をもってエイサの斬撃を受け止める事が出来れば、彼女の神剣はエイサの剣を断ち切り優位をもたらすだろう。しかし、そんなことを許すほどにエイサは甘くはない。致命の斬撃は神剣をもって致命傷になりうる部位をカバーすることで防げているが、それ以外の部分が斬り裂かれていく。
その度にフィリスの奇跡がアリスを癒す事でどうにかこうにか生き延びているだけだ。結局のところエイサの斬撃を完璧には防ぎきれていない。即死に至る致命傷を即死に至らない致命傷で肩代わりすることで、勇者パーティのリソースをすり減らして戦いを継続させているだけだ。
それに対してエイサのリソースはまるですり減っていない。
時折用いるナイフの召喚術以外に殆ど魔力らしい魔力を知り減らす事もなく、それどころか、ただ剣一本、身に纏う鎧一つで戦い続けている。勇者たちはエイサのリソースをすり減らすどころか、エイサのリソース量を把握することさえ出来ずに、ただ延々と削られ続けている。
まずい。
いや、まずいどころの話ではない。
勇者たちは自身が持つ手練手管を吐き出し続けてどうにかこうにか、戦いを継続しているところだ。それはすなわち自身の新しい手札を切り続ける事で、その手札に対してエイサが対応する間の隙を付いてどうにか戦線を持たせているという事に他ならない。手札が尽きた時、それが彼女たち勇者側の敗北だ。
「やってられないわね」
「ホントですねぇ。こちらは手が尽きれば敗北、相手は一切の手を明かさずすべて剣一本で対応してくる。正しく化け物です」
「でも、やらなければこちらが無駄死にするだけ」
珍しくボヤくような言葉がフィリアから漏れた。
それに同意したリヴィが矢をエイサに射掛け、それに応じるようにシェリスがつららを弾丸として放つ。が、それさえもエイサの大剣が煌めき、一瞬のうちに叩き落された。手札を切ってできる事がほんの一呼吸、前衛の二人に呼吸する間を与える事が出来る程度の時間稼ぎのみとは、聖女、弓聖、大魔法使いの名をほしいままにした三人には歯がゆくて仕方がない。
それとも、あの大戦士を相手にしてそれだけの時間が稼げるだけでも、その力量はすさまじいというべきなのか。自らの力の足りなさに三人の後衛は臍を噛む。
エイサの大剣が翻った。
血飛沫が舞う。
ソウジとアリスに致命傷に等し傷が刻まれるのを見て即座に治癒の奇跡を願い再生する。再生するまでの間髪に斬撃を受けないようにシェリスが転移魔法をもって僅かに距離を空ける。そしてその隙を潰すためにリヴィが再び矢を射かけた。
矢が砕けた。
エイサの斬撃がすべて叩き落とし、同時にナイフが投擲される。
そのナイフを再度リヴィが弓で射落として、転移魔法により再度態勢を立て直したアリスとソウジがエイサを食い止める。だが、その抵抗も風の前の塵に等しい。一合をもって態勢を崩され見る見るうちに戦況の優位を失っていく。
それはアリスとソウジが不甲斐ないわけではない。
それこそ二人の形相は必死のそれ。秘術と秘技を絞り出してエイサに抗じようと奮戦している。脂汗を絞り、単騎で軍団を攻撃を防ぎきるかの如く連撃に連撃をもって死力を尽くす。だが。
「糞がぁ!!」
「ぐぅうう!!」
二人の悪態とうめき声が唱和する。
死力を尽くして、全霊をもって戦いに挑んでそれでもなおエイサの武芸は圧倒的だ。必死の二人に対してエイサの剣閃にはいまだに余裕が見える。それが分かるからこそ、二人の剣戟は更に苛烈に限界を超えてその速度と苛烈さを増していく。
筋肉の断裂していく音が聞こえる。骨が罅割れる音が聞こえる。限界を超えた挙動に内臓が引き裂かれる痛みが、彼ら二人の口元から零れる吐血となって漏れ出る。それほどの全力を尽くしてなお、一撃たりともエイサには届かない。
強い。
強すぎる。
圧倒的だ。
もはやそれ以外に感慨さえ抱けない。ただひたすら、問答無用に強い。
周囲を敵に囲まれて、戦場を広く使えないというのも追い詰められている原因の中にはあるが、それにしたところで問答無用が過ぎる。本来の戦いに徹したエイサの強さは彼らの想像のはるか上を言っていた。
エイサは持久型」の戦士だとソウジは知っていた。今までの戦いにおいてその戦い方を彼がほとんどしてこなかったのは分かっている。それはそこまでの実力が自分たち、即ち勇者に無かったからだという事も、本来の戦い方をする必要のないほどにかけ離れた実力差が彼らにはあったからこそ、今までエイサの本来の戦型とかち合わずに済んでいたという事をよくよく理解していたつもりだったが、実際に戦ってみるのと見ないのでは雲泥の差だ。
あまりにも隔絶した実力差が勇者たちとエイサの間には横たわっている。
赤子と大人の差異程の。いや、その際でさえ可愛く見えるほどの力の差だ。ここまでの実力差があるともはやエイサを同じ人間の枠組みに入れていいのかと疑問符さえ抱いてしまう程に、勇者たちとエイサの間には力の差があった。
エイサが斬撃を振るう。
アリスの剣に受け止められない軌道をもってされど防がなければ確実に死をもたらす斬撃をソウジがギリギリのところで防ぎ、その剣圧に押し負ける。ひどく単純な斬撃に見えてさえその一撃に凝らされた技量をソウジでは理解できない。単純に振るっているように見える斬撃にどれ程の剣理が含まれているのか、その一端にさえたどり着けない程に彼我の差は隔絶していた。
心が震える。
あまりの力量差に、あまりの高みに心の何かに熱がこもる。
「何が可笑しい?」
不意にエイサがソウジへとそう聞いた。
その言葉をもってソウジは初めて自分が笑みを浮かべていたことに気が付く。
余裕などない。隣のアリスにちらりと視線を送ってみれば、彼女の表情は絶望に濡れている。唯一爛々と輝く目の光に諦めは無いが、それでもこの戦いの行き着く果てを見据えて心が俺かけているのが見て取れた。
それを責めることなど出来はしない。
ここまでの力の差があればその表情を浮かべるのは余りにも自然な事だから。むしろおかしいのは自分だとソウジは理解していた。
秘術を尽くして届かぬ絶望の前で、笑みを浮かべる自分の方が可笑しい事は自明の理だ。
「悪いな。だがしかし」
言葉と同時にエイサに突きを放つ。
神速の七連撃。その全てを当然のように回避してソウジに斬撃を放つエイサを見据えながら、彼の笑みは消せはしない。むしろ剣戟が交錯する度にその笑みは深まっていく。そして心の炎は燃え広がっていく。
だがそれは仕方がない事だろうと内心で思う。
ソウジは男だ。
男であるのであれば、最強に憧れない理由はない。
そして目の前にこうまで極まった力量の男がいて、心に火が灯らないなんて嘘だ。だから。
「この笑みは消せねぇ。ああ、そうとも消えるはずがない。我が最大の強敵よっ!!」
そんな答えになっていない言葉を回答として、ソウジはエイサへと無謀な突撃を繰り返す。
その姿は、まさしくもって勇者にふさわしき姿だった。