八十六話
夜明けと同時にフェリオスが軍議を始める。
それを聞いてもエイサにはそれに出るつもりは無かった。しかしモンリスはそう答えたエイサに対して、出た方が良いと進言を行う。モンリスの意外な言葉に彼の方に視線を向けるが、モンリスは微笑を浮かべたまま、ただ自身の言を進めるだけだ。
「……ま、お前が言うんだ。出ろと言うのであれば出るがな」
「はは、お聞きいただきありがとうございます将軍」
「が、基本的に俺は戦場に出る気はないぞ。その事をフェリオスが納得するとは思えないが、それを押し通すだけの種は有るんだろうな?」
「無論。そのあたりはエレディア殿と話は付いております」
「エレディアと話は付いていてもフェリオスの一存でひっくり返されかねんが、それでもか?」
「そのあたりも含めて言いくるめる事は出来るでしょう」
自信満々にモンリスはそう言い切った。
その態度にエイサは鼻を鳴らしながら頷くと、ベッドの横に立てかけておいた剣を背負いなおして、あてがわれた部屋より外に出た。フェリオスの祝福か快晴の陽光が降り注ぐ。その眩さに僅かに顔をしかめながら昨日の天幕へと足を進めると、途中でニレイシアが柵に腰かけているのが見えた。
彼女はエイサを見つけると彼に向かって手を振ってくる。
それをあっさりと無視して歩みを進めれば、彼女は柵より飛び降りてエイサの側へと歩み寄ってきた。
「どうして無視なんてするの? エイサ」
「……ああ、悪い。全く気が付かなかった」
「ばっちり目が合ったよね!?」
「陽光で目が眩んで見えなかっただけだ。文句ならフェリオスに言え」
「はぁ? 貴方がその程度で人の気配を間違えるハズないじゃない。くだらない嘘を言わないで」
「上手の手から水が漏ると言うだろう。猿も木から落ちるし、弘法とて筆を誤る。なら、俺がお前の気配を感じ取らない事だってあるだろうさ」
「感じ取らないってあたり、自白しているんだけど」
ニレイシアは整った美貌を尖らせてエイサの兜をこつこつとつつく。
エイサはその手を鬱陶し気に跳ねのけると、彼女を無視してそのまま天幕へ向かって歩いていく。
そんな彼に頬を膨らませながらもニレイシアは同行する。鬱陶しげな表情をするエイサを見ながらモンリスはにやにやと笑みを浮かべた。
「なんだ、モンリス。言いたいことがあるのなら遠慮なく言え」
「いやぁ、モテますなぁ将軍、と思いまして。羨ましい限りでさぁ。あっしも将軍ほどモテてみたいものです」
そんなことをいけしゃあしゃあというモンリスに対してエイサは眉根を顰めた。そして確かめるように問いかけた。
「正気か?」
「あ、ひっどーい。本気か? ですらなく、正気か? って聞いたよこの男」
ねえ? と言わんばかりにモンリスを見つめるニレイシア。しかしモンリスは彼女に見つめられながらも肩を竦めるだけにとどめた。その態度にニレイシアはますます頬を膨らませる。が、そんな彼女の態度を意に介する事さえなく、エイサは淡々と天幕へと歩みを進めていく。
「……むぅ。モンリス……だっけ、小鬼。貴方をひっどい試練が襲う様にしてやるから」
そんな洒落になっていない事をニレイシアはモンリスに向かって宣言する。しかしモンリスはそんな彼女の言葉を意に介した風もなくエイサに向かって話しかけた。
「らしいので、将軍お助けください」
「ああ。勿論。お前は俺が守ろう」
「こいつら……」
即席のお姫様ごっこでニレイシアを煽る二人に、彼女の堪忍袋の緒が切れそうになる。本気で神罰でも与えてやろうかと、魔力を僅かに練り上げた瞬間、エイサの剣が首筋にぴたりと添えられた。
「ニレイシア」
「……わ、分かってるわよ。ただの冗談」
「ならばいい。だが、こいつに手を出すのであればそれは俺を敵に回す事と同義だと覚えておけよ。次は止めるつもりは無い」
「はいはい。分かりましたよーだ」
首筋に突き付けられた剣の感触にニレイシアは冷や汗を流す。
無論、首を撥ねられた程度で死ぬほど神という種族脆くはないが、再度地上へ顕現するためにはある程度の時間がかかる。それを嫌った彼女はエイサの言葉を素直に受け入れるしかない。
しかしながら素晴らしい技の切れ味だ。自身に突き付けられた刃の切っ先に信じられない程のキレを見て彼女は感嘆の声を漏らす。抜き放った瞬間さえ感じ取れないほどの抜刀速度。それでいて剣を首筋に触れさせるところで完璧に停止させる力量。それら全てが彼女の知るエイサという男の力量から差絶したものになっている。しばらく見ないうちにまた強くなっている。その事を理解して益々笑みを深くした。
「流石は人の子。私たちが知らないうちに直ぐに力をつける」
「お前らが変わらなすぎるだけだろ神様」
「それは当然。私たち神ですもの」
そう言って胸を張るニレイシア。
豊かな胸元を揺らし満足げにそう返した彼女に対してエイサは大きなため息をついた。
神様に皮肉は通じない。
そんな彼女を無視するようにエイサは天幕の中へと足を進めた。
一礼をしてくる兵士たちに手を挙げて答えながら、軍議の行われる一番奥へと出向くと、そこには既に幾柱かの神が集まっていた。
炎と鍛冶の神、ヴァルフォルス。
水と生命の神、タークア。
死と夜闇の神、エレディア。
そして、生と太陽の神。フェリオス。
その神々の視線がエイサと地と狩猟の神ニレイシアに集まる。
ニレイシアはともかくエイサが姿を現したことで、フェリオスの視線が細まりエイサを射抜く。その視線をあっさりと無視してエイサは用意されていた席に座るとフェリオスに視線を向けた。フェリオスより放たれる重圧がエイサを押しつぶそうとしてくるが、その程度で押しつぶされる程彼もまた温い男ではない。当然のようにその重圧をはねのけると頬づえをついてフェリオスと対峙した。
「エレディア。夜のうちに客将を迎えたと言っていたが、その客将とはもしやこの男の事か?」
対峙したエイサより視線を逸らすことなくフェリオスがエレディアに向かって尋ねた。太陽の神のとしての威厳を纏ったその詰問をエレディアは肩を竦める事で受け流す。その態度にフェリオスが激しさらに詰問を続けようとしたところをエイサが静止した。
「下らない身内争いなら後でにしろフェリオス。俺は軍議と聞いて出てきてやっているんだ。貴様ら神の小競り合いを見物しに来たわけじゃないぞ」
「エイサ……貴様、不遜であるぞ」
「不遜? 誰に対して、何に対してだ? それはもしかして、お前に対して俺が……か? もしそうだとするのであれば、くだらない事を言うなよと返そう。俺たちは魔王に配されし序列無きモノだ。神であるからといってただそれだけで畏敬の念を抱かれるなどという勘違いはよしてくれよ」
そう言い切ったエイサに対してフェリオスの怒気が膨れ上がる。
その怒気を悠々と無視をするとエイサはエレディアに向かって進めろと言わんばかりに顎を向けた。
その態度に苦笑しながらエレディアは軍議の開始を宣言する。
「それではこれより、軍議を始めましょう」
「エレディア!!」
「何かしらフェリオス」
「貴様……神として奴の在り様に隔意さえ抱かぬのかっ!!」
「ええ、だって将軍。私たちを不遜に見下しているという訳でも無いもの。神を名乗り信奉されたいと願うのであれば、貴方が力を示せばいいだけの事でしょう?」
エレディアの言葉にフェリオスは押し黙った。彼女の言葉はすなわち、見下されたくなければ力づくで言う事を聞かせて見せろという事に他ならない。しかしながらエイサの実力はフェリオスを上回る。そしてそれをフェリオスは認める事が出来ない。彼のプライドがそれを認めることなど許すはずもない。
故にフェリオスはエイサをただ睨みつけるしか出来なかった。
しかし、その視線でさえエイサに容易く受け止められ、益々イライラが募っているように見える。しかし、そんな彼に頓着する事無くエレディアの言葉に従って軍議が開始された。内容としてはヒヴィシスの提案に対する対応と、勇者に対する対応だ。
しかし、エイサの興味は勇者の対応にしかなく、ヒヴィシスの提案。すなわち前線ラインの押上げについては聞き流す程度にしか聞いていなかった。
「それでエイサ。貴様は何をもって働くのだ」
「あ?」
不意にフェリオスがエイサに問いかけた。
それに対してエイサは疑問形で返したことにより、聞き流していたことが露わになった。その態度にフェリオスの怒りが益々増していく。そんな様子を見たエレディアは頭痛を抑えるように自身の額に手を当てた。またニレイシアは二人の様子をワクワクした表情で眺めている。
「貴様っ!!」
エイサの態度に我慢できなくなったのか、フェリオスがついに自身の得物である槍を抜き放つ。太陽の輝きを纏う槍がエイサに向かって突き付けられた。そして最後通牒と言わんばかりにもう一度だけ問いただす。
「エイサ。貴様はいったい何をもって我らに貢献するっ!!」
吠えるような詰問を受けて、エイサは突き付けられた槍を掴む。
そして答えるのはいつも通りの言葉。分かり切ったことを何度も聞くんじゃない。なんて、そんな態度が透けて見える態度でエイサは答えた。
「何も。俺は勇者を殺す以外のために動くつもりは無い」
「そうか」
エイサのあまりにもいつも通りな答えに。フェリオスは全ての激情を抑え込み。
そのまま、自身の槍に渾身の力を込めた。